第二話

「リリア、そろそろ起きられるかい? ねえ、リリア」


 誰かの声が、リリアの意識にふれた。

 誰? 重いまぶたをどうにか開けると、瞳に映ったのは見慣れぬ光景だ。

 染み一つなさそうな白い天井に、そこからつり下げられた豪華な燭台しょくだい。焦げ茶色で統一された趣味の良い家具は、かなり高価なものに思える。


 どうやらリリアは、見知らぬ部屋のベッドに横になっているようだった。


「ああ、目覚めたね。よかったよ」


 ふたたび響いた声に首を巡らせれば、横たわるリリアのかたわらにはロドルフがいた。


「ロドルフ……どうしてあなたが?」

「意識ははっきりしている? 大丈夫かい?」

 問われて、ようやく状況を把握する。


 ――そうだわ。わたくし、エドにおとしいれられて、気を失って……。


 リリアは弾かれるように上半身を起こした。

 そして、はっと息を飲む。


 ――縛られている……!


 両手首に痛みを覚えて視線をやれば、それらは自身の腹の前で拘束されていた。

 いったい、なぜこんなことに? リリアの心臓が、ばくばくと嫌な脈を打ち始める。


「ここはどこなの? エドは!?」

「ここはサワバの街にある僕の私邸していだよ」

「サワバ……!? どうしてそんなところに!」


 なぜ自分がその街に連れてこられたのか。

 なぜロドルフの私邸がそこにあるのか。

 リリアの頭の中は、疑問符で埋め尽くされた。


「ロドルフ、あなたがわたくしを助けてくれた――」

 というわけでは、どうやらなさそうだ。


 ――そんな、まさか……。


 リリアは泣き出したい衝動に駆られた。


「どうして、あなたが……?」


 こぼれ落ちた声は、まるで他人のそれのように低かった。


「ロドルフ、どうしてあなたがこのようなことを……!」


 信じたくなくて、けれど状況から考えるに、信じないわけにはいかなくて。

 リリアは拘束された両手を祈るように組み合わせた。

 お願い。どうか違うと言って。

 ただわたくしのことを助けに来ただけだと、そう言って。

 強く、強く願いながら。


「状況把握が早いな。そうだよ。君のことを背後から襲い、気を失わせた上でエドにここまで運ばせたのは、僕だ。もちろんエドの竜でね」

 ロドルフはあっけらかんとしていた。


「嘘!」

「そう信じたい気持ちもわかるけれど」

「なぜ!?」

「この国――ヴィステスタ王国のためだ」

「え……?」

 思わぬ回答に、リリアは言葉を失う。


「種を明かそう。できれば君にも賛同してもらいたいからね」


 ロドルフは、ベッドの横にある椅子に腰掛け直した。

 いまだベッドの上にいるリリアとは、向かい合う格好になる。


「君とシリルの結婚を阻止そしするため、シリルのことを脅したのは僕の母だ」


 いきなりの告白。

 けれど驚きはなかった。

 二人の婚約が破談となり、得をする人物――それはやはりロドルフの即位を望む者だからだ。

 彼を玉座に座らせるために必須となるのは、クラウ家をジョルジュ派にしないこと。


「ただ、母の実家であるクラウ家の当主は、浅はかな謀反むほんなんかに荷担かたんするようなおろかな人物ではなかった。そのため母は、マテスタ家をそそのかしたんだ」

「マテスタ……エドの家ね?」

「マテスタ家の当主が野心家なのは、わりと知られたことでね。母はそこにつけ込んだ。そして実際、当主は自身の欲のために母に従った。その息子であるエドは、クラウの未来のために――まあ、これはエドが勝手に望む未来だけれど、そのために母に従ったんだ。結果、マテスタ家は人員と資金を用意し、母に命令されるままに動いた」


 それらの者たちが、出奔しゅっぽんしたカイエンの居場所を突き止め、彼の所持品を盗んだのだという。それをシリルに送りつけることにより、シリルは身動きがとれなくなったということらしい。


「二人の婚約が破棄された時、母は高笑いしていたよ。これで国が割れる。次の王座に座るのは我が息子だ、と」

「でも、あなたは言ってくれたわ。『王になどなれるわけがない』と。『銀竜を持たぬ王などあり得ない』と」


 その言葉が嘘だったとは、リリアにはどうしても思えない。


「そうだね。それは僕の嘘いつわりのない想いだね」

「ではあなたは何を考えているの……!? なぜわたくしとの結婚なんて望んだの!」


 するとロドルフは、くつくつと笑い始めた。


「僕は、母がいくら騒ごうが、僕が王になれるわけがないと確信していた。だから母の王位に対する執着がわずらわしかったし、それから逃げ出したかった」

「だからテシレイアに留学したのね?」


 ロドルフはうなずく。


「テシレイアは素晴らしい国だったよ。王政をきながらも、王の権威は絶対ではない。民たちに選ばれた代表者が話し合って、国の未来を決めていくんだ。文官も武官も、血筋などでは選ばれない。すべてが実力に比例する。だから国も大いに栄えるし、強い」

「でも、周辺諸国に侵攻し、平和をおびやかす危険国家だわ」

「攻め入られるのは内戦ばかりの不安定な国や、途上国だ。そしてそれらの国は、テシレイアに吸収されたあと、飛躍ひやく的に発展している」

「ロドルフ、あなた……何が言いたいの?」


 母から逃れるために滞在した隣国。

 結果、ロドルフはテシレイアに大いなる魅力を感じ、休日の度に訪ねるほどになった。

 サワバに私邸を構えたのも、この街がテシレイアとの国境沿いにあるからだろう。

 知っていた、彼がテシレイアに傾倒けいとうしていることは。

 けれど今、それがどう関係してくるのだろう?


「リリア、僕はね、この国をテシレイアにしたいんだよ」

「……? それって……」


 テシレイアのように、ではなく、テシレイアに?

 反芻はんすうした刹那、リリアは打ち震えた。

 それは、まさか。

 おそろしい予感が胸中を支配し、四肢が小刻みに震え出す。


「あなた……この国を、テシレイアに……」


 声に出すことすら恐ろしくて、ためらった。


「テシレイアに、攻めさせるつもりね……!?」

「正解。よくできました」


 返ってきたのはまったく嬉しくない言葉と、満面の笑み。


「ふざけないで!」


 リリアはベッドから飛び降りた。

 両手を拘束されているため若干バランスを崩すが、すぐさま立て直す。


「ねえ、冗談でしょう? だってそんなことになったら、どれだけの犠牲が出ると思っているの!?」

「うん、だから君と結婚したいと望んでいるんだよ」

「え……?」


 もう何が何だか、さっぱり意味がわからなかった。

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