第六章 夜空を駆ける竜(明かされた真実は予想外なものでした)
第一話
王の元へ行き、必ず誤解を解いてくる。
そう約束し、リリアが去っていってから、およそ二時間後のこと。
「殿下、ここにいるのか?」
シリルはラヴェリタの竜舎をたずねていた。
実際、誤解は解けたのだろうか?
結果を気にし始めれば居ても立ってもいられなくなってしまい、頃合いを見計らってリリアを探し始めたのだ。
――部屋には戻っていなかったからな。ここだと思っていたんだが……。
「ここにもいない、か」
薄暗い竜舎の中に彼女の気配を感じ取れず、シリルは溜息を吐く。
もしやまだ王と話しているのだろうか?
だとしたら話が難航しているのか、否か。
リリアとロドルフの結婚に、王はかなり乗り気だったという。もしや思い留まるよう説得されているのかもしれない。
「頼む……どうかうまいこといってくれ」
ぽつりと呟きながら、シリルはラヴェリタの前まで歩を進めた。
「もう寝てるのか?」
声をかければ、彼女は気怠げに顔を上げた。
「あんたの主、ここに来なかったか?」
問うてみるが、もちろん返事はない。
ラヴェリタはさっさと去れ、とでも言いたげに、目を眇めている。
「そんな顔をするな。いいかげん、俺に慣れてくれてもいい頃だろう?」
シリルは毎日、勤務の合間を縫って、ラヴェリタの元を訪ねていた。
何をするわけでもない。ただリリアの日々の様子を、一方的に報告するだけ。
例えば、リリアが今日、竜騎士隊の隊員たちと大立ち回りを演じた、とか、昨夜の夕飯を美味そうにたいらげた、とか。
『殿下は俺のこと、どう思っているんだろうな』などと、どうしようもないことを問うてみたこともある。
シリルは、リリアの結婚相手として、ラヴェリタに認めてほしかった。
そしてリリアが大切にしているものを、自分も大切にしたかったのだ。
「……あんたはいいよな。何がどうなったって、殿下と死ぬまで一緒にいられる」
ぽつりと呟いてから、何をぼやいているのだ、と情けなくなった。
リリアと想いはひとつだと信じている。
けれど一筋縄ではいかない自分の恋に、かなりの焦りも感じている。
――もう六年だ、彼女と出会って。
何事も無ければ今頃、すでに彼女は自分の妻となっていたはずだ。
あの細い亜麻色の髪も、柔らかな頬や唇も、紫色の大きな瞳も。
驚くほど
それらに飽きるほど口づけて、ふれて、抱いて――清らかで気高い彼女を、思う存分愛することができれば、どれほど幸せだろうか。
――やはり、許せないな。
いつしかシリルは両の拳を握っていた。
自分から彼女を奪った者どものことがやはり許せなくて、怒りがこみ上げてくる。
「……さて、そろそろ仕掛けてみるべきか」
立て続けに起きた事件のおかげで、シリルは自分の敵が誰であるのか、おおよその予測をつけることができていた。
問題は、いつ、どういった形で捕らえるかだ。
しかも、なるべく騒ぎを小さくおさえたい。
――まったく……あいつはなぜブルネラ様の下になど付いた?
考えて
それは息を
「ラヴェリタ……?」
顔を上げた彼女が、部屋の天井――南東の方角を睨むようにしている。
「おい、いったいどうし――」
――なんだ?
今度は、はっと息を飲んだ。
外からけたたましい音――誰かの足音が聞こえてきたのだ。
この走り方は、おそらくエドだ。バタバタとかなり急いだ様子で、こちらにやってくる。
――先を越されたか……!
「シリル様、こちらにおいでですか!」
ラヴェリタの竜舎にやってきたのは、やはりエドだった。
「どうした。団長はいないぞ?」
「大変なことが起きました! 竜騎士隊の竜たちが、竜舎から盗まれたのです! すべて空に放たれました!」
「なんだと……!?」
それはまったく予想外の方面からの攻撃。
いったいどういうことだ? シリルの胸中を不安が支配した。
「団長に報告は!?」
「捜しましたが見つかりません!」
「陛下の部屋にいるはずだ!」
「陛下は本日、離宮に滞在中とのことです!」
「離宮? ――ということは……!」
王の元にも、宿舎の自室にも、ラヴェリタの竜舎にもリリアはいない。
――
「なめやがって……!」
シリルはエドとともに、竜騎士隊の竜舎へと走った。
そこには騒ぎを聞きつけた隊員たちが集まってきている。
「副隊長、竜が……俺の竜が!」
「副隊長のセノフォンテも見当たりません!」
「落ち着け!」
シリルは自分に言い聞かせるように叫んだ。
「いいか、とにかく落ち着くんだ。エド、竜舎の鍵は? どうやって破られた?」
「わかりません。見回りは一時間毎に行っておりました。ですのでごく短時間での犯行かと」
「ということは竜たちはまだ近くにいるかもしれないな」
シリルは指笛を鳴らした。
それは隊員たちが、日頃から竜を喚ぶためにしている合図。
はっとした隊員たちが、慌ててシリルに習う。
「あっ……戻ってきた!」
誰かの声に空を仰げば、月明かりを浴びてきらりと光る黒竜がこちらにやってくる様を見て取れた。
夜空に溶け込むような黒い体躯に、紅茶色の丸い目――エドの竜だ。
「取り急ぎ、私が竜たちを捜してまいります!」
「だめだ!」
エドの提案を、即刻斬って捨てた。
今にも走り出しそうな彼の腕を、シリルはつかむ。
「エドの竜には……クレメンテ、おまえが乗れ!」
「え!? 俺が、ですか!? 無理っすよ!」
いきなり指名された隊員――クレメンテが、驚きに目を見開いた。
無理もない。
竜騎士隊では、基本、一人と一匹が主従関係を結んでいる。
エドの竜にエド以外の者が乗るなど、本来であればありえないのだ。
「無理じゃない。おまえの操縦技術は隊の中でも飛び抜けている。エドの竜でも必ずいける!」
「それは、いけることはいけるかもしれませんが……」
クレメンテはエドのことを気遣っているのか、ちらちらのぞき見ている。
「エドには頼むことがある。――いいな、エド」
「ええ、それはまあ、有事なのでしかたありませんが……」
「方角は南東。クレメンテはとにかく飛び回り、竜を見つけろ。皆は近衛隊から馬を借り、南東に向かう本道を進め。そしてクレメンテが竜を見つけ次第、それに乗ってこの場に戻ってきて待機だ。あとは俺からの指示を待て!」
「了解しました!」
隊員たちは揃って敬礼した。
「エド、来い!」
シリルはふたたびラヴェリタの竜舎へと戻った。
「シリル様、なぜ南東だとおわかりになるのですか!?」
エドはどこか焦った様子で問うてくる。
「何か根拠があるのですか!」
「おまえの竜が逆方向――北西から来たからだ。それに先ほど、ラヴェリタが南東の方角を気にしていたようだったからな」
あれが彼女から与えられた合図であってほしいと、シリルは願っていた。
「なぜ私の竜と逆方向を目指すのです? お言葉ですが、私の竜が来た方角に他の竜もいると考えるべきでは?」
「だがおまえの竜は犯人どもに放たれたわけではないだろう?」
「……? それはいったいどういう……」
「先ほどおまえの腕をつかんだ時、手袋越しでも、隊服が冷たくなっていることがわかった。つまりおまえは、ついさっきまで竜に乗って空を駆けていたということだ」
「――……っ!」
エドの顔色が変わった。
やはり、と、シリルは溜息を吐く。
上空の気温は地上よりも低い。竜の背に乗り長時間飛べば、隊服はかなり冷えるのだ。
「おまえは何らかの用で竜を駆り、戻って来るなり竜舎の黒竜たちを空に放った。――これは一人で短時間で行うことは不可能だから、誰かの手を借りたのだろう。そして最後に自分の竜に『ほかの竜たちと逆方向に向かえ』と命じた。なぜなら俺にその方角を捜させ、隊の竜たちを取り戻させないためだ」
「シリル様、あなたはいったい何を……」
「遅れて飛び立ったおまえの竜だけが、指笛に反応して戻れる距離にいた。本来ならば、俺はおまえにほかの竜の捜索を命じていただろう。そうなればおまえは、あえて竜を捜さずに、のらりくらりと空を飛んでいたはずだ」
ではなぜそうまでして竜騎士隊から竜を奪ったのか?
「団長をどこに連れて行った?」
「あ…………」
エドは一歩、後ずさった。
逃がしてたまるかと、シリルはすぐさま距離を詰める。
「なぜ王宮から連れ去る必要があった? 彼女の狙いは何だ」
そう、彼女――シリルとリリアの結婚を
「おまえはブルネラ様の手駒なんだろう?」
「ちがう、のです、シリル様……今回の目的は……!」
「早く言え! なぜこのようなことをした!」
「それは、あなたに騎士団長になっていただきたいから……!」
耳をつんざくような叫び声を、エドはあげた。
「ロドルフ隊長が王になれば、クラウ家の益々の繁栄と、あなたの騎士団長就任を約束するとブルネラ様がおっしゃられたのです! だから私は……!」
「この、馬鹿が!」
どうせそんなところだろうとは思っていた。
思ってはいたが、実際そうきかされると悲しくなってくる。
「だから彼女に従ったのか!」
「ええ、そうです。手駒となり、あなたを脅す内容の書簡をあなたに届けました……! 騎士団長に就任し、その手腕をいかんなく発揮し、この国を守っていくあなたのお姿を拝見したくて!」
「それで、殿下が団長に就いてからも、数々の事件を起こしたのか。あの方と俺との仲を引き裂くよう、ブルネラ様に命令されて!」
「それは……」
そこでエドはもごもごと口ごもった。
なぜだろう。まだ何か言えないことがあるのだろうか?
視線を足元に落とし、考え込むようなそぶりをしている。
「団長をどこに連れて行った?」
シリルはエドの胸ぐらをつかんだ。
「もう一度問う。なぜ彼女を王宮から連れ去る必要があったんだ」
「あなたから離すためです」
「俺から……?」
「団長と二人で話しをするある程度の時間がほしい、とおっしゃられていました。説得をして、それが無理なら方法を変える、と」
「説得……? どういうことだ?」
その時、シリルの頭の中に、ふと
それは陽の光を浴びて輝くような、まぶしい金色。
途端に心臓を握りつぶされるような衝撃が、身体の中を走り抜けた。
「まさか……」
「団長は、隣国テシレイアとの国境にいらっしゃいます。先ほど私が竜に乗せて送ってまいりました」
「サワバの街か!」
「ですがシリル様、おそらくもう間に合いません。ここにはもう竜はいない。馬に乗って行かれては、夜も明けてしまうでしょう」
「くそっ……」
シリルは突き飛ばすようにして、エドの胸ぐらを離した。
彼の言うとおりだ。
いまだ竜は一匹も戻ってきていない。馬では間に合わない。
目指す場所は明らかになったというのに、彼女の元に駆けつける手段がないのだ。
「それでも馬で……いや、放たれた竜をどうにか捜した方が……」
今さらだが、エドの竜を捜索に向かわせたのが悔やまれる。
――まさかこんなことになるとは……!
シリルは握った拳を自分の額に押しつけた。
犯人がブルネラであるとの、ある程度の予測はついていた。
しかし真実はさらに奥深いものだった。
自分の思考の、なんとあさはかだったことか。
「くそっ……最悪だ」
自分の肩を痛いほどにつかめば、声にならないうめき声がもれた。
と、その時。
「……いや、いるな」
ふたたび頭の中に、まぶしく閃く色があった。
それは月光を浴びて輝くような、神聖な白銀。
シリルは顔を上げるなり、その色へ向かって早足で歩き始めた。
――必ず、助ける。
もう何があったとて、彼女を誰の手にも渡しやしない。
シリルは胸の内に、燃えさかる炎を宿していた。
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