第六話

「辻馬車が停まっている場所まで、少し歩くようになりますが」

「………………」

「団長、聞いていらっしゃいますか? 少し歩くようになりますが、かまいませんね?」

「え? あっ、ええ、もちろんかまわないわ」


 竜舎をあとにする間際、ラヴェリタがつぶやいた言葉が、リリアの頭の中をぐるぐると駆け巡っていた。


 あの発言は、いったい何に対してのものなのだろう?

 彼女は何かを知っている?

 上の空のまま、リリアはエドの背を追って歩き続ける。


「陛下には、いったいどのようなご用事で?」

「ええと、ロドルフとの結婚話の撤回に」

「え? あれは決定済みの話ではなかったのですか?」


 問われて、はっとした。

 ぼうっとしていたリリアは、話す必要のないことまでエドに明かしてしまっていたのだ。


「ごめんなさい、忘れてちょうだい。……あっ、でもあの話が誤りであることは間違いないわ」

「そうなのですね。本日、シリル様がずっと不機嫌でいらしたので、それが原因かと思っていたのですが」

「それは……」


 そうかもしれないわね、と、胸の内で答える。

 なにせシリルに訂正したのも、つい先ほどのことなのだ。


「では陛下には、シリル様との結婚を願いに行かれるのですね?」

「あなた……いろいろと詳しいのね。まさか副隊長から直接聞いたの?」

 エドは「いいえ」と首を横に振る。


「ですがあの方を見ていれば、何がどうなっているのか手に取るようにわかります。シリル様は団長に関わることについてのみ、感情を率直に表現されていらっしゃいますので」

「そうかしら。よくわからないわ」


 それはリリアの本音だった。


「でも、彼をよく理解しているあなたが言うのだから、そうなのかもしれないわね」

「私の知っているシリル様は、口は悪くとも理知的で、冷静で、あまり感情的になられる方ではありません。しかし団長の前では違う。あなたの言葉や態度に、一喜一憂されていらっしゃいます」

「それが、あなたは気に入らないのね?」


 なんとなくそう感じて問いただせば、エドは苦笑した。


「気に入らない、とは身も蓋もない言い方ですね」


 気づけば彼がかもし出す雰囲気が、ひりついたものに変化している。


「エド・マテスタ……あなたは、どうしてそんなにもシリル副隊長に心酔しているの? あなたの家が、クラウ家派だから?」

「そうとも言えますね。うちがクラウ家派でなければ、あの方と出会えなかった可能性もありますし、あの方のあとを追って騎士団に入団することもなかったでしょう」


 え? とリリアは目をみはった。


「あなたはシリル副隊長に影響されて、入団したの?」

「ええ、そうです」

 こちらを振り返ったエドの瞳は、いつになく輝いている。


「あの方と出会ったのは、今から十年前。私が十歳で、あの方が十一歳の時でした」


 その頃、エドは父親に連れられ、初めてクラウ家を訪れた。

 定期的に開かれていた、クラウ家派の貴族の集まり。邸宅の玄関前には貴族たちが乗ってきた馬車がいくつも停まり、それは圧巻な光景だったという。


「連れられてきた子供は、私だけではありませんでした。十数名はいたでしょうか……彼等と初めて顔を合わせた私はなかなか仲間に入れてもらえず、それどころか最終的には虐めの標的となってしまったのです。私が彼等より身分の低い、子爵家の息子だったからでしょうね」

「くだらない差別だわ」


 しかしその虐めはなかなか熾烈しれつなもので、最終的には殴る蹴るの暴行を受けたのだとか。


「その頃の私は弱かった。ただ身体を丸めて泣いていることしかできませんでしたよ。――けれどそこに」


 颯爽と現れ、あっという間にいじめっ子たちを蹴散らし、エドを守ってくれた子供がいたのだとか。


「それがシリル様です。『おい、大丈夫か?』と、地面に這いつくばった私に手を差し伸べてくださったあの方は、まさに物語の中から出てきたヒーローのようでした。……まあ、そのあとには『おまえ、弱いな』と。『それとも苛められる趣味でもあるのか?』と、異質なものを見るような眼差しを向けられたのですが」

「失礼な話ね」

「さすがに頭にきましたよ。『そんなわけないでしょう!?』と、泣きながらシリル様に食ってかかりました」


 するとシリルは言ったのだ。

「『ならば強くなって闘えばいい』と」

「強く……?」

「どうやって? と、幼かった私は聞きました。すると『そんなの知るか。自分で考えろ』と、突き放されたのです」


 当時のことを思い出しているのだろう。前を向き直ったエドの肩が、楽しげに揺れていた。


「そのまま去ろうとするあの方のあとを、私は夢中で追いかけました。必死な様を見て、かわいそうになったのでしょう。シリル様は『面倒だ』と言いつつも、私に剣術や体術を教えてくださいました」


 それはその日をきっかけに、シリルが騎士団へ入団するまでの二年間、続いたのだという。


「シリル様が騎士団へ入団する日、私はクラウ家の皆様とともにお見送りをさせていただきました。……その時、誓ったのです。いずれ私も騎士団へ入団し、この方の部下となり、この方のために働こう、と。この方こそが、この国を守ってくださる方。この方のためになら、命を落としても惜しくはない、と」


 ああ、そういうことなのね。

 リリアはようやく納得した。

 エドのシリルに対する想いを知ったから今だからこそ。


「エド・マテスタ……そもそもあなたは、わたくしが彼の上の立場――騎士団長の職に就いていることが、やはり納得できないのね?」

「ええ、そうですね」


 思いの外あっさりエドは認めた。


「彼がわたくしと結婚しようとしていることも?」

「そうですね。あなたと結婚されてしまえば、シリル様はきっとあなたを尊重しすぎて彼自身の長所を殺してしまう。私は何にも縛られず、理知的かつ大胆に竜騎士隊を――ひいては騎士団を率いていくあの方のお姿を見たいのです」


 そこでリリアはふと思い出した。

 昨日、シリルたちが弓矢で狙われた際の現場を、エドに案内してもらった時のことを。


 ――あの時、エドは言っていたわ。


『ここです。犯人はあの上とあそこ、その隣の三方向からカイエン様とシリル様を狙いました』と、まるで一部始終をその場で見ていたかのように。


「……ねえ、教えてちょうだい。あなたは昨日、シリル副隊長とカイエン竜医りゅいが狙われた時、どこにいたの?」


 問うた直後、エドはぴたりと足を止めた。

 リリアの心臓が、ばくばくと嫌な脈を打ち始める。


「……あの時は、近くの演習場で自分の班の指揮をとっていました」

「そう……そうよね。あなたの班はその予定だったもの」


 だったらなぜ。


「あの時の状況を、まるで見ていたかのように説明できたのかしら」


 そして。


「今、あなたはわたくしを連れてどこに向かおうというの?」

「……さすが悪役王女と名高い御方だ、その辺のぼんやりしている令嬢とは違い、なかなか勘が鋭くいらっしゃる」


 エドが、ゆっくりとこちらを振り返った。

 その顔には今、この場面にはそぐわない、やわらかな微笑が浮かべられている。


 ――ああ、やはりそうなの。


「昨日、あの二人を矢で射ようとしたのも、サワバの街でカイエン竜医を捕らえようとしたのも、そしてその犯人たちを逃したのも、すべてあなたの仕業というわけね?」


 先ほどラヴェリタは、こう言っていた。

『真実にたどりつきたいのなら、よく回顧かいこしてみることじゃな。そなたの求めるものは、すぐ手の届くところにあるかもしれぬぞ』と。


 ――たしかに、驚くほど近くにあったわ。


 ちらばっていた不明瞭な点が、明確な形を持ち始める。

 けれどそれらはいまだ線で繋がらない。エドの動機が、それらと結びつこうとしないのだ。

 リリアはきっとまだ、何かを見落としている。


「すべて私の仕業? ――惜しい、ですね」

 エドは唇の片端を持ち上げ、くつくつと笑い始めた。


 ――やり合うことになるかしら。


 有事の訪れを予測し、腰に下げた剣のつかに手を添える。

 けれどその直後、背後から布のようなもので目隠しをされた。


「――っ!? なにを……!」


 おまけに首元を軽く締め上げられれば、リリアは即座に恐慌きょうこう状態に陥る。


 ――仲間がいたの!?


 しまった! と、後悔してももう遅い。

 まさかあとをつけられていたなんて。

 リリアはどうにか自由になろうとしたばた足掻くが、背後から回された手はびくともしなかった。


「ひ、きょうもの……!」


 意識を手放す瞬間、どうにか目元を覆う布だけはぎ取ることができた。

 最後に瞳に映ったのは、エドが胸に手をあて、深々と頭を下げる姿だった。

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