第五話

 ヴィステスタ王国には、二大勢力と呼ばれる大貴族が存在する。


 アンセルム家と、クラウ家。


 リリアとジョルジュの母である王妃は、アンセルム家出身。

 そして王弟の妃であり、ロドルフとその妹のヴィオラの母である女性はクラウ家出身である。


 もちろん王やジョルジュにはアンセルム家からの支持が。そして王弟やロドルフにはクラウ家からの支援がある。


 そのような状況をかんがみて、かつて王はこう考えた。

 やがて即位する王太子ジョルジュのためにも、貴族からの支持を盤石ばんじゃくなものにしておきたい、と。


 そうして決まったのが、王太子の姉であるリリアと、クラウ家の跡取りであるシリルの縁組みだ。

 もとより手中に収めているアンセルム家からの支持に加えて、もうひとつの大貴族も取り込もうとの算段だったのだろう。


「はじめまして。私はシリル・クラウ。いずれ殿下の夫になる男です」

 

 今より七年前のその日。

 婚約者として初めて彼から挨拶を受けたリリアは、とにかく浮き足立っていた。


 ――信じられないわ……まるで夢のよう……!


 その頃すでに、シリルはかなりの有名人だった。


 名門クラウ家直系の男子。彼は次男であったが、長男が家督かとくを継ぐことを拒否したため、次の当主となることは決定していた。

 そして何より、優れた外見と内面。

 シリルの端正な顔立ちに貴族の娘たちは黄色い声を上げ、また仕事に対する有能ぶりに、騎士団の者たちは感嘆の声を漏らした。


 そんな彼の噂はもちろんリリアの耳にも入っていたし、時折城内で見かける彼の姿に、リリアも胸をときめかせていたひとりだった。

 

 ――その彼が、わたくしの未来の夫として、今、目の前でひざまずいている。


 そしてリリアのことだけを、その蒼玉の瞳に映しているのだ。


「は、はじめまして。わたくし、リリア・アンセルム・ヴィステスタと申します。どうぞお見知りおきを」


 ドレスのスカートの裾をつまみ、軽く持ち上げながら膝を曲げる。

 緊張するあまりに、声は少し震えてしまったかもしれない。


 すると彼は、リリアを見て、くつくつと笑い始めた。


「なるほど、このお子様な王女殿下が俺の恋人か……ははっ、なかなか面白い」


 どうやら彼は、四つ年下のリリアのことを、完全に子供扱いすることにしたらしく、いきなり砕けた態度で接してきた。

 それにショックを受けたリリアだったが、たしかに自分は十歳の子供盛り。しかたがないと思えた。


 それよりも。

「すぐに成長いたしますわ……!」

 彼に待っていて欲しかった。

「きっとすぐに成長して、あなたにふさわしいと言われる女性になります。だからどうか待っていてください……!」


 必死で願えば、シリルはきょとんとした顔で目を瞬いたのちに、笑った。「なかなか悪くない提案だ」と。


「絶世の美女と評される王妃殿下にうり二つと言われるあなただ。さぞや美しく成長するだろう。その時まで、あなたのお守りをしようじゃないか」


 やがて目の前に前触れもなく、小さな花束が現れた。

 それは数本の白いアイリスを紫色のリボンで束ねた、とても美しいものだった。


「殿下、これをあなたに」


 ようやく立ち上がった彼は、リリアよりずいぶん背が高くて、見上げるような格好になった。


「きれい……ありがとうございます」

「殿下はこの花の名を知っているか?」

「アイリス……ですか?」

「花言葉は?」


 わからなくて、首をゆるりと左右に振った。

 その程度のことも知らないのかと、彼にがっかりされやしないか、不安になりながら。


 するとシリルは、ふたたびひざまずき、リリアの右手をとった。

 そしてそこに口づける真似をしてきたのだ。


「花言葉は、あなたを大切にします」

「え……」

「今、ここで誓おう。将来、俺の妻となるあなたを、誰よりも大切にする、と」


 その時、リリアはいとも簡単に恋に落ちてしまった。

 彼の言葉に、自信に満ちた眼差しに、リリアの手をとる力強さに、すっかり捕らえられてしまったのだ。



 ――なつかしいわ。それからまず手紙の交換から始めて、一年が経った頃には一緒に食事をするようになって……。


 三年が経つ頃には連れだって外出することを許され、観劇に行ったり、彼の馬で遠乗りに出かけたり、時にはお忍びで街を散策したりと、まぶしい日々を過ごした。


 とはいえてんで子供だったリリアだ。世間知らずな上に、気の利いた会話もできやしない。

 実際、彼が理想とするような交際とはほど遠いものだっただろう。


 それでもいつか彼の妻になれるのだ、と。

 自分が成長すれば、もっと彼と恋人らしくなれるのだと、リリアはやがて訪れる未来に恋い焦がれていた。

 まさか彼から、一方的に婚約を破棄されることになるとは、夢にも思わずにいたのだ。



「……ばかみたい」


 騎士団長に就任後、勤務初日。

 深夜、ベッドに横になったリリアは、過去の記憶に思いを馳せていた。


 ――本当にばかみたいだわ。久々に会ったからといって、何を思い出しているの。


 ここは王城内の外れにある竜騎士隊専用宿舎。

 その中の最上階、隊長所有の部屋である。


 騎士団員は基本、宿舎での共同生活を義務づけられている。

 それはリリアとて例外ではなく、ただの王女であったこれまでとは、まったく異なる環境に身を置くこととなった。


 救いであるのは隊長と副隊長には特権――部屋が一般隊員の部屋より多く豪華、キッチンやバスルーム等の設備が整っている、申請すれば侍従や侍女の帯同を認められる等、が与えられていていることだ。


 隊長や副隊長などの要職は、王族や上級貴族が務めることが多い。

 それを考慮しての特権制度なのだろう。


 ――今日はさすがに疲れたわ……このまま寝てしまおうかしら。

 

 夕刻、ラヴェリタの竜舎でシリルと再会したのち、リリアは隊長室で過去の隊長たちが書き残した日誌を次から次へと読み漁った。

 日々の訓練の流れや年間行事や突発的な出動など、いち早く把握しようと務めたのだ。


 終えた時にはかなり夜も更けていたため、慌てて自室に戻り、シャワーを浴びた。

 そして少しだけなら、とベッドに横になったのだが、それがまずかった。

 溜まっていた疲労がいっきに押し寄せ、身体がどうにも動かなくなってしまったのだ。


 結局、リリアは睡魔と格闘することをあきらめ、早々と意識を手放した。

 夢と現実の狭間をたゆたいながら、やがて深い眠りに落ちていったのだ。

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