第二章 目まぐるしい一日(予想外な展開はお断りです)

第一話

「今日もまた、勝手に演習場を変更したというのね?」


 翌朝、リリアは第二演習場の入り口に立っていた。


 リリアが騎士団長兼竜騎士隊の隊長に就任してから三日目。

 隊の日程として朝一番での定期演習が入っていたため、もしや、と思い予定と異なる演習場に着てみたのだが、予想どおりそこには隊員たちが集まっていた。


 ――またしてもわたくしを蚊帳かやの外にやるつもりね。


 けれどそう簡単に出し抜かれてたまるものかと、演習場に足を踏み入れる。

 しかしその時。


「シリル様だ……! シリル副隊長がお帰りになられたぞ!」


 およそ三十名の隊員たちから歓声が上がり、リリアは反射的に立ち止まった。

 皆の視線の先にいるのは、リリアと別の出入り口から姿を現したシリルだった。


「お帰りなさいませ、シリル様。サカント街での会議、お疲れ様でした」


 すぐさまシリルのもとに駆け寄るのは、昨日、リリアのことを追い払った隊員、エド・マテスタだ。

 彼はシリルの足元にひざまずくと、竜騎士隊の記章が入った胸元に手をあてる。


「お帰りをお待ちしておりました」

「立て、エド。留守中、何か変わったことはなかったか?」

「ございません」


 エドの表情は昨日とは打って変わって、嬉々ききとして輝いていた。


 ――そういうことなのね。


 ようやく合点がいった。

 なぜエドが昨日、あそこまで厳しい態度をリリアに見せたのか。


 つまり彼は、シリル・クラウの心酔者。

 リリアが就任するまで隊を取り仕切っていたクラウのことを支持し、隊長にふさわしいのは彼だと考えているのだろう。


 ――たしかに、そうかもしれないわ。


 途端に気持ちが重くなった。


 かつての婚約者であるシリルの有能ぶりを、もちろんリリアは知っている。

 しかも彼は名門クラウ家の嫡子ちゃくしだ。リリアが現れなければ、いずれ竜騎士隊の隊長に――ひいては騎士団長に彼が就任した可能性は高い。


 ――それでももう、引き返せないもの。


「殿下――いや、団長はまだお見えになっていないのか? 演習場の変更はきちんと伝わっているんだろうな」


 シリルは怪訝な表情であたりを見回し始めた。

 昨日まで隊を不在にしていたため、状況を把握していないらしい。


「ああ、王女殿下ですか」

 エドはリリアのことを嘲笑うかのように冷笑した。

「お飾りの上役など必要ありません。王女殿下には昨日、その旨を申し伝えさせていただきました」

「どういうことだ?」

「演習の指揮を執ろうとなされたので、お帰りいただいたまでです」

「ちょっと待て、だから今日も演習場を変更したのか?」


 こともなげにうなずいたエドの前で、シリルは天を仰ぐように顔を上向ける。


「この馬鹿共が……何をしているんだ、おまえたちは」

「シリル様、どこに行かれるのです!」

「団長を迎えに行く」

「なぜですか!」

「なぜだと? わかりきったことを聞くな!」


 早足で歩き始めたシリルだったが、あとを追ってきたエドとふたたび向き合った。


姑息こそくだ。こんなものはただの子供じみた嫌がらせだ。彼女を団長に任命したのは陛下だぞ。不満があるなら直接ぶつけろ!」

「ですが私たち隊員は皆、あなた様に隊長になっていただきたい一心で……!」

「彼女を押し退けてまでなる気はない!」

「なぜですか!? あなたの隊長就任は、つい先日まで既定路線だったはずだ。あなたも受け入れるおつもりだったでしょう!? それなのになぜ――」

「理由を今ここでおまえたちに明かすつもりはない!」

「もしや、罪悪感からですか……? かつてあなたが彼女との婚約を破棄したからですか!」

「エド!」

「ですが相手は悪役王女と名高い御方だ、あなたが罪悪感を覚える必要は――」


「そこまでにしてもらえるかしら」


 我慢ならなくて声を発すると、皆の視線がたちまちこちらに向けられた。


 まさかここで婚約破棄の一件を持ち出されることになるなんて。

 うんざりしながら、リリアはシリルとエドの横を素通りし、隊員たちの前に立つ。


「おはよう、皆さん。さあ、定期演習を始めるわよ」


 するとそこで、エドが「はっ」と鼻でわらった。

「何をいきなりばかげたことを……昨日あれほど申し上げたのに、まだおわかりになりませんか? あなたは必要ないと言っているのですよ」

「エド!」


 部下の暴言を止めようと、シリルは彼の胸ぐらをつかもうとした。

 けれどわずかにリリアが早い。

 リリアは腰に下げている長剣を手に取ると、その剣先をエドの胸元にある騎士団の記章に向ける。


「エド・マテスタ。あなたは昨日言ったわね? あなたたちを従えたいのなら、この剣で答えを出せ、と」

「ええ、言いましたが、それが何か?」

「ならばあなたもその手に剣を。わたくしの答えを伝えるわ」


 つまりリリアと手合わせをしろ、という意味だ。


「殿下!」


 シリルが苦い顔で二人の間に入ってきた。


 視線が交わった刹那、どきりと鼓動が跳ねる。けれどリリアは、落ち着け、と自分に言い聞かせる。

 彼は自分の副官。そしてリリアは騎士団長だ。ただそれだけの関係なのだから、よけいな物思いは仕事のさまたげになる。


「殿下、このエド相手にいったい何をするつもりだ?」

「邪魔よ。どいてちょうだい」

 リリアは首を左右に振った。

「エドは強い。護身術程度の剣技で勝負できる相手だと思ったら大間違いだぞ」


 だからといって今ここで、シリルに取りなしてもらっても何の意味もない。

 これはリリアが自分で切り抜けなければいけない問題なのだ。


「どいて、というのが聞こえなかったかしら?」

「なんと言われようとも退く気はないが?」

「ならばあなたをわたくしの副官から降ろすしかないわね」

「それは……ずいぶんこくなことを言う」


 シリルは苦笑しながら唇を噛む。


「わたくしが用があるのはエド・マテスタよ」

 リリアはふたたび彼と向かい会った。

「準備はいいかしら? わたくしの答えをこの剣で伝えるわ」

「互いにさやから剣を抜かない、という条件でかまいませんね?」


 エドはシリルに一礼し、リリアの前に立つ。


「それでかまわないわ。リリア・アンセルム・ヴィステスタ――まいるわ」

「エド・マテスタです。手を抜く気はありませんので、悪しからず」


 副官から降ろされてはたまらないと考えたのか、シリルは呆れたように息を吐いて、数歩、下がった。


「まずいと判断したら即刻、参戦するぞ。あなたのその身体に、髪の毛一本ほどの傷だって負わせるわけにはいかないからな」


 しかしその声は、すでにリリアの耳には届いていなかった。

 リリアはその瞳にエドだけを映し、感覚を研ぎ澄ませ始めていたのだ。

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