第二話

 立ち合い、始め。


 そのような明確な合図はない。

 けれど目が合った刹那、その時が訪れたことを、リリアもエドも察知した。


「先手を取らせてもらうわ……!」


 リリアはエドに向かって駆けだしていく。


「殿下! 不用意に飛び込むな!」


 シリルの怒ったような声音があとを追ってきたが、もう止まらない。全力疾走ののち、さやに収めたままの剣をエドに向けて振り上げた。


「なかなか速いですね」


 エドは余裕の表情で意図的に後退した。


 と、その直後、予想外の出来事が起きる。

 エドの動きによって空いた空間に、ほかの隊員たちがなだれ込んできたのだ。


「王女殿下、まずは私たちと手合わせを!」

「上官が出るまでもありません!」


 彼等はやはり鞘に収めたままの剣を手に、リリアの行く手をはばもうとする。

 と、さすがに我慢ならないといった様子で、シリルが自身の剣のに手をやった。


「この馬鹿共が……! 無粋なことを!」

 しかしエドが、「お待ち下さい」と止める。

「相手は仮にも騎士団長です。これくらい受け止められなくては話になりません」

「だが多勢に無勢だろうが!」

「……そうでしょうか?」


 エドの声色が変わった。

 そしてシリルは、蒼玉の瞳を驚きに見開いている。

「これは……」


 リリアはひとりの隊員の手元を狙って剣を突き出し、相手の手から武器を奪った。

 そしてそのまま隣の隊員の足元を払い、地面に転がす。振り返る勢いで迫る剣を避け、近くにいた二人の隊員に回し蹴りをくらわせた。

 その背後からこちらを狙う隊員には飛びかかるようにして剣を振り、あっさりと薙ぎ倒す。


 ――まずは五人!


 シリルもエドも、ほかの隊員たちも、リリアの予想外の動きに唖然としている。

 そのうちに従騎士のひとりが、気が動転したように叫んだ。


「そんな……王女ですよ!? どうしてこんなに強いんですか……!」


 その声に気を取られている暇はない。


 リリアはそのあとも、剣を縦横無尽に振り回し、手刀や蹴りを休むことなく繰り出し続ける。剣術に体術を織り交ぜ、かなり攻撃的に攻めた。


 するといつしか、十六人ほどの隊員たちが戦闘不能に陥っていた。

 竜騎士隊員の数は、隊長と副隊長をのぞけば三十一。つまり半分に勝利したことになる。


「これはちょっと予想外ですね……シリル様はご存知だったのですか?」

「護身術を習っていると聞いたことはあるが、まさかこれほどとは……剣術だけでなく、体術も相当なものだな」


「エド・マテスタ! 隊員たちを下がらせなさい! このままでは怪我人が増えるだけだわ!」


 これ以上、無駄な時間を過ごしてはいられないと、リリアは隊員たちの輪の中から抜け出した。

 戦いたいのはあくまでエド一人。リリアに反感を持つ隊員たちのトップである彼をどうにかしなければ、状況は変わらない。


「今度こそ先手を取らせてもらうわ……!」


 エドめがけて疾走したのち、最後の一歩を大きく踏み込む。

 距離を詰め、彼の胴めがけて剣を横に振ったが、すんでのところでかわされた。


「いいでしょう。皆は手を出さぬように!」


 エドが命じた直後、周囲にいた隊員たちがたちまち退いた。

 リリアとエドの戦いを邪魔するつもりはないとの意思表示だ。


 けれどシリルだけは、腕を組んだまま近くに留まっている。

 場合によっては試合を止める。彼の表情はそう物語っていた。


「王女殿下、あなたのことをあなどっていましたよ。我が竜騎士隊員相手にここまでされるとは……!」


 エドの攻撃。

 振り下ろされた剣先を避けたリリアだったが、風圧で隊服の裾が持ち上がった。


 ――力強い……! 今、危なかったわ!


「わたくしは王女殿下ではないわ。騎士団長よ!」

「それはこの試合の結果次第です! ――まいりますよ!」


 続いて胴を払われそうになり、反射的にかがんでやり過ごす。そこを返す刃で狙われ、今度は飛び上がってかわした。


 ――シリル様が言うとおり、たしかに強いわ……剣術だけでは負けてしまう!


 瞬時に相手の能力を把握したリリアは、やはり攻撃に体術を織り交ぜることにする。

 

「今度はこちらからいくわよ!」


 攻められるばかりは性に合わない。

 リリアはエドめがけて二度、三度と縦にも横にも剣を振った。

 あたりに響く、鞘と鞘がぶつかり合う音。エドはリリアの攻撃をあっさり受け止め、横に流す。

 ならば、と、渾身の力で剣を突き出し、彼のそれを跳ね上げるようにした。

 と、ほんの一瞬、エドに隙が生まれる。その機を逃がしてなるものかと、脇腹に手刀を打ち込み、そのまま身を屈めて足を払った。


「なっ……」


 思わぬ連続攻撃だったのだろう。エドはその場でたたらを踏んだ。


 ――ここだわ!


 リリアは瞬時に駆け出し、飛び上がる。

 その勢いのまま彼に斬りかかり、その身体を地面に押し倒した。


「エド・マテスタ……! わたくしの勝ちだわ!」


 倒れた拍子に力が緩んだのか、エドの手から剣が転げ落ちる。

 それを奪い取り、鞘から刃を引き抜き、寝転んだままの彼の顔の横に勢いよく突き立てた。


「――リリア・アンセルム・ヴィステスタがここに誓うわ! わたくしはあなたたちの剣となり、盾となり、あらゆるものからあなたたちを守ることを……! あなたたちに先駆けて空を行き、この力をもって誰よりも先に敵陣に斬り込み、あなたたちを危険から遠ざけてみせる! もちろん大国テシレイア相手でも!」


 リリアはここぞとばかりに宣言した。

 その勢いに気圧されたのだろう。エドもほかの隊員たちも、そしてシリルも、誰もが驚いたようにこちらを注視している。


「……エド・マテスタ。あなたは昨日、言ったわね? 実力を伴わない言葉に説得力はない、と。あなたたちを従えたいのなら、この剣で答えを出せ、と」


 そう。だからこれが。


「わたくしの答えよ」


 急に強く吹き付けた風が、コート風の隊服の裾と、リリアの亜麻色の髪をふわりと持ち上げる。


「わたくしは今この時から、あなたたちの長としてあなたたちを従える。そして王族の一人として、あなたたちが守るに値する国を与えてみせるわ。――それに異論があるものは、その剣で語りなさい」


 エドからほかの隊員たちへと、視線を向ける。

 つまり不満があるなら大人げない態度などとらずに、直接リリアに挑んでこい、という意味だった。


「わたくしは逃げも隠れもしない。いつだって受けて立つから」


 皆に認めてもらうために、今、リリアにできることは何だろう?

 ここ数日、考えに考えて、思い至った。

 自分に出来ることは、努力をすることだけだ。

 皆の言葉に耳を傾け、皆の理想となれるよう前に進み続けることだけ。


 だから。

 

「どんな小さなことでもいいわ。何かあったらすぐにわたくしにぶつけてちょうだい。それをかてに、あなたたちが誇れる長になれるよう、努力をするから」


 以上、と、エドの顔の横に突き立てた剣を鞘に仕舞い、彼の前へと差し出す。


「怪我はなかったかしら」

「ええ、怪我はしていませんが……さすがにまいりました。私の負けです」


 身を起こしたエドは、リリアから剣を受け取るなり立ち上がった。

 彼も、ほかの隊員たちも、どうやら大きく負傷はしていないらしい。よかった、と安堵したリリアは、ようやく肩の力を抜く。


 と、そこであることに気がつき、今度ははっと息をのんだ。


 ――何……? どうしてそんなにこちらを見ているの……?


 シリルからひたと向けられる熱視線。

 それを意識した途端に居心地が悪くなって、いてもたってもいられないような心地に陥った。


「殿下、少しいいか」


 やがて彼がこちらにやってくれば、自然と顔をうつむける。


「な、なにかしら」

「今回のことも含めて、今後のことについて二人でじっくり話しをしたい。今日の任務終了後、あなたの部屋を訪ねるから、そのつもりでいてくれ」

「えっ……わたくしの部屋?」

竜舎りゅうしゃの隣にある隊長室のことだ」

「あっ……ああ、そちらのこと」


 まさか私室にやってくるのかと焦ったリリアは、ほっと胸をなで下ろした。


「俺はべつにあなたの私室でもかまわないが?」

「ばか言わないでちょうだい」


 彼のことをキッと睨め付けると、どうしてかシリルはくすくす笑い始める。

 面白がられている。そう気づけば悔しさがこみ上げてきて、両の拳に力が入った。


「しかし、先ほどの立ち回りは見事だった。これであなたに対する隊員たちの見方もだいぶ変わるだろう」


 シリルは身を屈め、リリアの頬に手をのばしてくる。


 ――な、何を……!


「頬が汚れている」

「え? ど、どこ?」

「動くな。よけいに汚れる」


 シリルの長い指が、リリアの頬にそっとふれる。


「あなたは……ずいぶん綺麗になったな。剣を握るあなたの横顔に、思わず見とれたよ」

「え……」


 戸惑っている間に、彼の大きな手は離れていった。

 それをどこかさみしく感じてしまっている自分がいることに気づいて、リリアは愕然とする。

 ばかな、いったい何を考えているの、と。


「さあ、行くぞ。ここからが本当の定期演習だ」


 彼はコート風の隊服の裾を翻し、颯爽と歩き出した。

 その後ろ姿がまぶしくて、リリアは無意識のうちに唇を噛んだのだ。

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