第三話

「なんじゃ、また浮かない顔をしておるのか」


 その日の夜、竜舎りゅうしゃに立ち寄ったリリアに向けて、ラヴェリタはうんざりしたように言った。


「毎日毎日、暇なことじゃの。よくもまぁ、そんなに落ち込めるものじゃ」

「べつに落ち込んでなんていないわ。ただちょっと疲れただけよ」


 リリアはラヴェリタの前まで歩み寄り、その鼻先を撫でる。


「ああ、そういえばそなた、朝から隊員たち相手に大立ち回りを演じたんじゃったな?」

「どうしてあなたが知っているの?」

「暇な隊員がわらわの様子をうかがいにきてな。一人でぶつぶつ話しておったのじゃ」


 おそらくラヴェリタの世話係である隊員のことだろう。


「で、まさか勝ったんじゃろうな?」

「あたりまえのことを聞かないでちょうだい」

「隊員たちの反応が目に浮かぶようじゃ。おおかた王女だからとあなどっておったに違いない。そなたは剣術と体術の師から、逆に教えを請われるほど強くあるというのにな」


 護身のためにと、幼い頃から習わされてきた武術。

 それに適した資質を、どうやらリリアは持ち得ていたらしい。

 あっという間に力を伸ばし、いつしかリリアの右に出る者は周囲にはいなくなった。


 それを知っている父であるからこそ、リリアの騎士団長就任という、突拍子もない人事を思いついたのかもしれない。


「ん? ということはそなた、あの男の前で剣技を披露したんじゃな?」


 あの男。

 つまりシリルのことだ。


「かつては絶対に知られたくないと言っておったのにな」

「過去の話はやめてちょうだい」


 溜息混じりに言ったリリアだったが、そこでふと思い出した。

 今日の任務終了後、隊長室を訪ねると宣言してきた彼が、いくら待っても現れなかったことを。


 ――なんなのかしら、あの人……人を待たせるだけ待たせておいて、失礼だわ。


 いまだ彼と顔を合わせることに戸惑っているリリアだ。隊長室の扉がノックされるその時を、かなりうろたえながら待っていた。

 だというのに結局、夜の八時になっても彼は現れなかった。

 竜騎士隊の本日の任務は、夕方の五時まで。いったい彼は何をしていたのだろう?


 最終的に、もうこれ以上待つ必要はないと判断し、リリアは隊長室をあとにしたのだ。


 そののちにラヴェリタの機嫌をうかがおうと、竜舎に立ち寄ったのだが。


「今夜はもう帰るわ。これから夕食も作らなければいけないし」

「作る、だと? まさかそなた、自分で作るつもりか?」

「そうなるわね。侍女は帯同していないもの」


 するとラヴェリタは、「ふむ……」となんともいえない反応を返してくる。


「食べられるものができあがればよいが、はたしてどうなるかの」

「よけいなお世話よ。おやすみなさい」


 にこりともせず言い放ち、返事もまたずに竜舎をあとにする。

 そして竜騎士隊専用宿舎の私室に戻り、さっそく厨房のかまどの前に立った。


 けれど。

 

「どこで間違えたのかしら……牛肉と魚が黒こげになってしまったわ」


 三十分後にはひとり、絶望していた。


 今夜のメニューは、スパイスで味付けした牛肉の蒸し焼き、魚のバター焼き、白パンにデザートのフルーツ。

 だというのに今、リリアの目の前には、もはや食べ物であるのか否かもわからなくなってしまった物体が並んでいる。

 

「火力が強かったのかしら……」


 おそらくそうなのだろう。

 鍋や竈の周辺だけでなく、リリアの頬や額までもすすで黒く汚れてしまっている。


 ――おかしいわ。厨房長に習ったとおりの手順を踏んだはずなのに。


 どうにも納得がいかなくて首をひねっていると、ふいに部屋の扉がノックされた。


「殿下、いるんだろう?」


 扉の向こうから聞こえてきたのは、くぐもった声。

 鮮明に聞き取ることはできなかったが、訪問者は男性だ。


 何事かあったのだろうか?

 リリアは訪ねてきたのが誰であるのか確認もせずに、戸を開けていた。


「ええ、いるけれど何か――」


 あったの? と問おうとして、けれど最後まで声にならなかった。

 あろうことか、扉を開けたその場所には。


「シリルだ。夜分に失礼するぞ」


 隊服姿の彼が、不適な笑みを浮かべて立っていたのだ。

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