第三話

「いらしたわ……! シリル様、おかえりなさいませ。戻られたら終業かと思いまして、お迎えにまいりましたの」


 西方への哨戒しょうかい飛行を終えた竜騎士隊が戻ると、演習場ではヴィオラとその侍女たちが待っていた。


 彼女の母であるブルネラの姿は見当たらない。

 リリアはほっと安堵あんどの息を吐く。


「皆様、おつかれさまですわ。あちらにお飲み物を用意いたしましたので、どうぞ」


 ヴィオラの言葉に、竜から降りた隊員たちがわっと歓声をあげた。


「さすがヴィオラ様、気が利くよな」

「副隊長、羨ましすぎる……!」


 しかしリリアは、ヴィオラの元へ走って行こうとする隊員たちを、「待って!」と呼び止める。


「まずは竜を竜舎りゅうしゃに連れて行きなさい。それから終礼よ」


 するとそこで、ヴィオラが「あら」と困ったように頬に手をあてた。


「何もそんなに急がなくても。皆様お疲れでしょうから、まずは喉をうるおしてくださればいいのに」

「だめよ」


 リリアは首を左右に振る。

「一生懸命飛んでくれた竜たちも、きっと疲れているわ。まずは竜を休ませる必要があるの。それに留守を守ってくれた隊員たちが待っているもの。規則どおりの時間に終礼をしてあげたいのよ」


 するとヴィオラは、急に「申し訳ございません……!」と狼狽ろうばいし始めた。


「わたくし、出過ぎた真似をしてしまって……皆様のお役に少しでも立ちたいと思ったのですが、だからといって部外者が飲み物の用意など、勝手な真似をしてしまいましたわ。本当に申し訳ありません……何度でも謝りますから、どうかリリア様、そんなに怒らないでくださいませ……!」

「え……」 


 リリアはぽかんとした。

 ヴィオラを怒っているつもりもなければ、飲み物を用意したことをとがめたつもりもない。

 ただ規則に従い、仕事を遂行したいと考えているだけだ。

 だというのにそのような言い方をされれば、まるでリリアが悪役ではないか。


「かわいそうだな、ヴィオラ様……ああ、あんなに泣いて」

「そんなに厳しくされることもないのにな」

「私情が入っているんじゃないか? ほら、副隊長のかつての婚約者と今の恋人と――」

「みなさん、それ以上はやめてくださいませ!」


 急にヴィオラが声を大きくした。

 

「そのようにリリア様のことを悪くおっしゃらないで……! 今回のことは、わたくしに非があるのです。わたくしが勝手にこのようなことをしたから、リリア様のご気分を損ねてしまったのですわ……!」

「いえ、わたくしはとくに怒ってなど……」


 いないわ、と言い切る前に、背後からラヴェリタの声が聞こえてきた。


「とんだ女じゃな。ほれ、皆、あの女の演技にまんまとだまされておるぞ」


 ラヴェリタはリリアにしか理解できない言葉であざ笑う。


「どうする? そなたはすっかり悪役じゃ。しかし男とはばかな生き物じゃの。こんなにも簡単に踊らされるとは滑稽こっけいすぎて反吐へどが出るわ」

「ラヴェリタ、言葉が過ぎるわよ」

「そなただとてそう思っておるのじゃろ? 竜騎士隊は少数精鋭と聞いておったが、何がエリート集団じゃ。そなたの就任時の陰湿ないじめといい、まったくもって程度の低い男ばかりじゃな」


 そこでラヴェリタは、一度、言葉を切った。


「ラヴェリタ? どうしたの?」

「……いや、あの女に騙されていない者もおるようじゃ。さて、いったいどうするつもりなのか、見物じゃの」


 え? と、リリアはラヴェリタの視線を追った。

 そこには立つのは、愛竜セノフォンテから降りたシリル。しかも彼は、苛立ったように拳を握っている。


 ――怒っている……? どうして?


 やがて彼は早足でヴィオラに歩み寄り、自分の顔をおおっている彼女の腕をつかんだ。


「シリル様……わたくしを気遣ってくださるのですね。ですがわたくしは大丈夫ですわ。ご心配いただき、ありがとうございます」

「何を見当外れなことを。俺はあなたにさっさとこの場から去ってほしいだけだ」

「え……?」


 ヴィオラだけではない。リリアも、周囲にいた隊員たちも、驚きに目をみはった。


「あなたはいったい何がしたいんですか。ほかの隊員たちまで巻き込んで……あなたの相手をしているほど皆、暇じゃないんですよ」

「そんな……わたくしはただ、皆様のお役に立ちたいと……!」

「だったらこのような真似は金輪際こんりんざいやめていただきたい。用なら先ほど済んだでしょう。あなたのせいで疲れている竜を休ませることもできず、終礼も遅れてしまい、はっきり言って迷惑だ」

「ですが、そろそろ終業時刻だと……! シリル様をお迎えしたいと思ったのですわ!」

「ですからそれが迷惑だと言っているんです」


 シリルはわずらわしげに言うと、きびすを返して歩き始めた。

 そしてこちらに向かって歩を進めてくる。なぜかリリアのことを、ひたと見つめながら。


「この際だからはっきり言っておこう。皆、面白おかしく噂しているようだが、俺とヴィオラ様はただの従兄弟同士。それ以外の何の関係でもない」


 途端にあたりにざわめきが起きた。

 リリア同様、隊員たちも皆、シリルとヴィオラは恋人同士だと思っていたらしい。


「俺たちが恋人同士? そんなことあるわけないだろうが」


 言いながら、シリルはリリアの眼前で足を止めた。

「これまでも、これからもな」

 まるでリリアに言い聞かせるように。


「いきなり何を……今は仕事中よ。あなたの個人的なことを話している暇などないわ」


 戸惑ったリリアは、慌ててシリルに背を向けた。

 そして皆に命令を下す。「とにかく竜を竜舎へ!」と。


「仕事中など百も承知。ただあなたに知っていてほしかっただけだ」


 背後からシリルのつぶやく声が聞こえてきたが、リリアはそのまま振り返らずにラヴェリタの元へと歩み寄った。

 そして逃げるように、ラヴェリタの竜舎へと向かったのだ


 ――どうして急に、そのようなことを……。


 彼の意図するところが理解できず、ただただ混乱しながら。

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