第二話

「この身の程知らずが……! 殿下にそんなものを向けるとは!」


 シリルは腰に下げていた剣を握ると、息つく間もなく男たちに向かっていった。

 ひとりめの腰を横にはらうようにして斬りつけ、返す刀でもう一太刀浴びせる。

 続いて背後に立つ男に回し蹴りを食らわせ、後ずさったところに突きを繰り出した。


 ――なんて速いの……! 動きに無駄がない!


 自身の剣術とは桁違いの速さだ。

 その流れるような動きに、リリアは思わず見惚れてしまう。


 けれど次の瞬間、リリアは心臓を握りつぶされてしまいそうな感覚に陥った。

 

「シリル様、危ない……!」


 残る一人が、シリルに向けて矢を放ったのだ。

 しかし彼は、それをこともなげに払いのけ、続けて飛んできたもう一本の矢も切り落とす。


 ――そのようなことができるなんて……!


 リリアが目を丸くしている間に、シリルは最後のひとり――リーダーらしき男の胸から腰にかけてを斬りつけて倒すと、すぐさまこちらにやってきた。


「無事か、殿下。怪我はないか!?」

 刃を濡らす血を払い、剣をさやに収めたシリルは、息一つ乱れていない。


「ええ、助けてくれてありがとう、感謝するわ」

 ふと正気に戻ったリリアは、背後にいるカイエンを振り返った。


「カイエン様は!? お怪我はありませんか!」

「カイエン……? カイエンだって……!?」

 シリルが突然、声色を変える。


「もしや、兄上か……!?」

「え……?」


 どういうこと? と、リリアはシリルとカイエンを交互に見やった。


「兄上……! やはり兄上か!」

 弾かれたようにカイエンに走り寄るシリル。

 彼は珍しく、激しく動揺しているようだった。


「シリル……八年ぶりか。まさかこのような場所でおまえに会えるとは……! 久しぶりだな、元気だったか?」


 カイエンは眼鏡の奥で目を細めた。

 その途端にシリルは、カイエンの胸元につかみかかり、声を荒らげる。


「あんたは今までいったいどこに行ってたんだ……! 俺があんたのことをどれほど捜したと……!」

「東の国、シェンシャンに行っていた。三年間そこで学び、つい半月ほど前にこの国に帰ってきたところだ」

「くそっ、まさかここで見つかるとは……!」

「おまえはどうしていた? クラウ家の皆は元気か? 何か変わったことは?」

「変わったことだと? 大ありだ!」


 シリルは床に膝を付き、握った拳を床に叩きつける。


「シリル……いったいどうしたんだ。何か問題でもあったのか?」

「それは俺のせりふだ。兄上、あなたは何の問題もなかったか?」

「私? いや、私はこのとおりだ。王女殿下とおまえのおかげで怪我のひとつもせずにすんだよ」

「違う、この二年間のことだ。東国で何もなかったか? 誰かに付け狙われたり、命を狙われたり、何か変わったことは……!」


 するとそこでカイエンが、シリルの前にひざまずいた。


「……なるほど、それがおまえが王女殿下との婚約を破棄した理由か」

 カイエンはシリルの肩にぽんと手を置く。


「え……?」

 リリアはもう口をはさまずにはいられなかった。


 ――婚約破棄の理由ですって?


 もはやカイエンとシリルが兄弟であることに驚いている場合ではない。


「あの、婚約破棄の理由って……?」

 おそるおそる問えば、カイエンがこちらに視線をくれた。


「あなたとシリルの婚約破棄の噂は、東国にいる私の耳にまで届きました。その時は、なぜ、とただ驚くばかりでしたが、ようやくわかりましたよ。――シリル、おまえは脅されていたんだな?」

「おどされ……? えっ、何をですか!?」


 逸る気持ちをおさえきれずに、リリアはシリルの横に膝を付く。


「そうだな、たとえば……王女殿下との婚約を破棄しなければ、兄である私を殺す、とでも言われたか?」

「そうなの!?」


 リリアとカイエンが揃って注目すれば、シリルは下を向いたまま大きく息を吐いた。


「沈黙は肯定と受け取るぞ」

 カイエンはリリアに向き直る。

「私は過去、家督かとくを継ぐことを拒否してクラウ家から勘当されています。よって、クラウ家の力を使って私を捜索することも、脅してきた者たちの素性を暴くことも不可能だ。……そこをいいように利用されたのでしょう」


 カイエンいわく、本来であればカイエンは、騎士団に入団し、位人臣くらいじんしんを極めつつクラウ家を継ぐべき、と定められていた嫡男ちゃくなん

 しかし竜医りゅういを志してしまったがゆえに両親からは勘当され、本人も行方をくらましてしまった。

 結果、クラウ家からすれば、もはやカイエンはただの他人。

 彼が誰に命を狙われようとも、たとえ命を落としてしまったとて、知ったことではない、ということらしい。


「……親父には話していないんだ」

 ようやくシリルが口を開いた。

「話せば『どうでもいい』と捨て置かれることは目に見えているからな」


 たしかに、と、カイエンが自嘲気味に笑う。

「あの父上のことだ、知ればシリルが行動することも禁じようとするだろう。――で? それはいつからだ?」

「事の始まりは二年前、竜騎士隊の隊舎に書簡が届いたところから、だ。殿下との婚約を破棄しなければ、兄上に即刻、手をかける、と。出奔しゅっぽんした兄上の行方を知っている、と」


 そしてその書簡には、カイエンのものとおぼしき医術の道具と、彼がいつも身に着けていた、クラウ家の紋章入りの指輪が添えられていたらしい。


「指輪? そういえば、三年ほど前、東国に旅立つ頃に盗まれたな。森で竜の治療をしている時、邪魔だからと一時的に外して、医術の道具と一緒に置いていたんだが、ふと気づいたらなくなっていたんだ。てっきり物盗りの仕業だと思っていたが……」

 その頃にはもう、犯人はカイエンの監視を始めていたのかもしれない。


「俺を脅してきた相手が誰であるのか、真の目的は何なのか、いまだ不明のままだ。が、兄上の身の安全をはかるためには、とにかく相手の要求をのむしかなかった。そのため王女殿下に別れを告げ、ロドルフ隊長の力を借り、兄上の行方を捜してもらうことにしたんだ」


 カイエンをかくまうことさえできれば、脅しなど恐れることはない。

 取り急ぎ犯人を捜し、捕縛し、罰を与え、そしてリリアとの関係をどうにか修復できれば。

 シリルはそう考えていたらしい。


「なのに、兄上はまったく見つからなかった。ロドルフ隊長の私兵を借り、二年もの間捜し続けても、だ。まさか東国にいたとは……」

「事情を知らなかったとはいえ、迷惑をかけて申し訳なかったな。ただでさえおまえには、クラウ家の跡取りという責務を負わせてしまったのにな」

「いや、それに関して謝る必要はない。俺は今の立場にわりと満足している。それにクラウ家の跡取りになったからこそ……」


 ふとシリルの蒼玉の瞳がこちらに向けられた。

 どきり。

 射貫かれるような眼差しに、リリアの鼓動が大きく跳ねる。


 ――シリル様の意志では、なかったの……。


 ふと気を抜けば全身から力が抜けてしまいそうで、リリアは唇をきつく噛みしめた。

 そのことがどうしようもなく嬉しくて、けれど悲しくて、複雑で。

 様々な感情で、胸の中がぐちゃぐちゃだった。


「皆さん、ご無事でしょうか!?」


 その時、ようやくエドが戻ってきた。

 息を切らして駆け込んできた彼は、全員の無事を確認するなり、ほっと胸をなで下ろす。


「ああ、よかった、シリル様もいらしていたのですね……私、道に迷ってしまって。シリル様のもとまでたどり着けなかったのです」

 エドは「申し訳ありませんでした!」と、命令を下したリリアの前で頭を下げた。


「そうだったの……」

 てっきりエドがシリルに知らせ、応援に駆けつけてくれたのだと思っていたのだが。


「ラヴェリタが教えてくれたような気がしたんだ。あなたの危機を」

 シリルはカイエンとともに立ち上がると、あたりをぐるりと見回した。


「さて、団長、こいつらをどうする?」

 こいつら。つまり、床に転がっている五人の男たちのことだ。

「応急処置をしたのちに、連れて帰りましょう」

「こいつらの体格だと、竜に乗せて連れ帰れるのは二人までだな」

「残りの者たちは警備隊に搬送してもらうわ」


 彼等にはきれいさっぱり吐いてもらわなければいけない。

 なぜ今回、カイエンを狙ったのか。それが自分たちの意志なのか、あるいは誰かに命じられての行動なのか。


 ――彼等の目的はわからないけれど、背後にいるのは、おそらく。


 シリルを脅してきた人物に違いない。皆がそう思っていた。

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