第五話

「できたぞ。食材があまり充実していないから、たいしたものではないが」


 隣室で待つリリアの前にシリルが現れたのは、ものの十数分後のことだった。


 やがてテーブルの上に次々と並べられていく料理の数々。

 スパイスやハーブで味付けされたであろう牛肉のあぶり焼に、魚介類と野菜の煮込み料理、スープに白パン、そして飾り切りがほどこされたフルーツなど、見た目にも美しい品々がテーブルの上を彩る。


「おいしい……」


 牛肉のあぶり焼をひとくち食べるなり、自然と感嘆の声がもれた。

 何種類ものスパイスやハーブが溶け込んで、深みのある味を出している。


 では他の料理は? と、煮込み料理やスープに手を出してみれば、それらも驚くほど美味だった。


「口に合いそうでよかった」


 シリルはテーブルを挟んでリリアの向かい側に腰を下ろした。

 リリアが食事をする姿を、満足そうな面持ちで眺めている。


「……料理、上手なのね。知らなかったわ」


 自ら話しかけるとなると、緊張して声が震えた。


 ――本当に、知らなかったわ。五年も婚約していたのに……。


 なぜかさびしいような心地になりながら、湯気が立つスープをさじですくって口に運ぶ。


「自炊するようになったのは、ここ三年のことだ。副隊長に任命され、厨房付の部屋をもらったからな」


 部下となった隊員たちとそれまでのように食事をともにするのはどうかと考え、料理を学んだのだという。


「三年前なら、まだ婚約中だったのに……」


 あの頃、リリアはシリルのことを、とてもよく知っているつもりでいた。

 けれど実際はそうではなかったのだと思えば、胸の中にもやもやしたものが広がっていく。


「殿下の武技や料理と、俺の料理と……お互い様だな。もしやまだ知らないことがたくさんあるのかもしれない」

「たしかに、あなたが、わたくしが知る以上に強引な方で、驚いているわ」


 嫌味のつもりでそう口にすれば、余裕の笑みが返ってきた。


「俺も、殿下がこんなにも気丈な一面を持っているなんて、知らなかったよ」

「ならばやはり婚約を破棄しておいて正解だったわね。わたくしのようなかわいげのない女なんて、願い下げでしょうから」


 リリアは自嘲気味に言った。

 そして、自分の言葉に傷ついた。

 婚約破棄の一件を笑い話にできるほど、まだ立ち直れていなかったことに気がついたのだ。


 するとシリルは、一瞬だけ真顔になって、けれど呆れたように笑った。

「殿下がどう思っているかは知らないが、俺は気丈なあなたのことも、やはり好ましく思うよ」

「え……?」

「ひたむきで、一生懸命で、正しくあろうと努めていて。それでいてかわいらしいから、困る」


 心臓がどくりと脈打った。

 かわいいらしい。そんなものは、ただのお世辞に決まっている。

 それでもリリアの胸の内は、激しくかき乱れる。


「困るって……なぜ困るの?」


 その問いにシリルは応えてはくれなかった。

 その代わりに、何かを思い出したように「ああ」とぽんと手を叩く。


「まずいな。早く運ばないと料理が冷める」


 やがて彼は、厨房から、リリアの前に並ぶものとまったく同じ料理を運んできた。


「そんなにたくさん……せっかく作ってくれたのに申し訳ないけれど、わたくし、全部は食べられないわ」

「いや、これは俺のものだ。またとない機会だからな、ここで一緒に食事をさせてもらうことにした」

「へ?」


 あっけらかんと言われれば、思わず気の抜けた声がもれた。

 

「な……何を言っているの? どういうつもり!?」

「あなたと一緒にいたいと思っているだけだが、何か問題でも?」

「それは……ええと、竜騎士隊の今後について、どうしても今、話をしたいということかしら?」


 シリルは「いや」と首を横に振った。


「さっき殿下は、私室に仕事を持ち込む気はない、と言ったよな?」

「ええ、たしかに言ったけれど」

「その考えに俺も同意だ。だから仕事の話をする気はない」

「ではいったい何をするというの?」

「ただ一緒に食事をすればいいだろう? 俺はあなたの顔を見ていられれば、それだけで満足だ」


 躊躇ためらいなく説明され、リリアの頭の中はさらに混乱した。


 彼はいったいどういうつもりなのだろう?

 婚約を破棄してきたのはそちらだというのに、まるでその件はなかったことのような態度だ。


「あの、つかぬことを聞くけれど……」


 問おうとして、やはりやめた。

 何を聞いたところで、リリアと彼が結婚する未来は、もう二度と戻ってはこないのだから。


 結局リリアは、できるだけ早く食事を済ませようと、もくもくと食べ続けた。

 食事を終え、彼にさっさとこの部屋から出て行ってもらうしかないと考えたのだ。


「そんなに空腹だったのか。ほら、まだたくさんあるぞ。よければ俺の分も食べてくれ」


 シリルは終始、上機嫌といった様子だった。

 そして帰り際。


「殿下の口に合ったようでよかったよ。さて、明日のメニューは何にするか……明日は今日より早く来られるだろうから、待っていてくれ」


 あろうことか、そのような言葉を残して去っていったのだ。

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