第五話

「まさか……来たというのか?」

 ロドルフが呆然と呟いた。


 ――嘘よ。だって竜は皆、放たれてしまったって、ロドルフは言っていたもの……!


 そう認識していても、沸き上がる期待をおさえることができやしない。

 もしや――いや、きっと。

 どきどきしながら、リリアは天を仰ぐように顔を上げた。


 そして見つけたのだ。漆黒の夜空の中、こちらに向かって飛んでくる一匹の竜の姿を。

 月光を浴び、宝石のように輝く体躯をした、白銀色の聖竜――それはラヴェリタだった。


「ラヴェリタ……!」


 どうして?

 盛大に混乱しつつも、リリアは彼女の姿を必死に目で追った。

 そのうちに彼女の背に乗っている人物がシリルであることに気づき、泣き出してしまいたい衝動に駆られた。


 ――来てくれた……どうやってラヴェリタに乗ったのかは、わからないけれど。


 彼が、来てくれたのだ。


「シリル様……! ラヴェリタ、ここよ!」


 無我夢中で声を張り上げたが、直後、口元をロドルフの手で抑えられた。


「声を出してはだめだ……! まだこちらに気づいていない!」

 羽交い締めにされたまま、部屋の中に戻されかける。


 けれど、ロドルフはすぐさまびくりと身体を硬直させた。 

 なぜ? リリアがどうにか顔を上げれば、いつの間にかすぐそこに迫る銀竜がいる。リリアの存在に気づいたラヴェリタが、矢のような速度でこちらに飛んできたのだ。


「――殿下! 無事か……!」

「シリル様!」

「殿下にふれるな!」


 バルコニーすれすれを飛ぶラヴェリタから、シリルが飛び降りた。

 彼はそのままの勢いでロドルフの脇腹を蹴りつけ、バルコニーの床に派手に転がす。流れるような動作でリリアを奪還だっかん。自身の背後へ押し隠した。


「ああっ、くそ! 間に合った……!」


 シリルは怒りを吐き出したのち、こちらを振り返った。

 「殿下、大丈夫か!? って、なんだこの縄は! あんたの肌にあとが残るだろうが!」

 シリルはさっそく剣で縄を切る。


「シリル様……なぜラヴェリタに……!」

 こみあげる感情をおさえきれず、リリアは彼の胸元に飛び込んだ。


「ラヴェリタに頼み込んだんだ。殿下の窮地きゅうちだ。頼むから俺を乗せて飛んでくれ、と、土下座する勢いでな」

「それで乗せてくれたの? あのラヴェリタが?」

「――おいっ! 約束を忘れるなよ!」


 突如、間に割って入ってきたのはラヴェリタの声だ。

 彼女はロドルフの私邸の周囲を旋回するように飛んでいる。


「シリル・クラウ。おまえを乗せて飛んだ報酬は、水花百個じゃぞ。期限は三日後まで。きっちり持ってこなければ、そなたの頭を食ろうてやるからな!」

「ああ、もちろんわかっている! まったく、うるさい竜だな。少し黙っていてくれ」

「なんじゃと? そなた、誰に向かってものを言っておる!」

「シリル様、ラヴェリタ、あなたたち……」


 リリアは唖然とした。

 水花百個、というとんでもない報酬に対してもそうだが、何より驚いたのは、シリルとラヴェリタが人語で会話をしていることだ。


「シリル様、あなた、ラヴェリタの話していることがわかるのね?」

「突然、ラヴェリタが話し始めたんだ。何度竜舎をたずねても、今まで一度だってこんなことはなかったのに」

「何度? 何度もラヴェリタを訪ねてくれていたの?」


 それが影響しているのか否かはわからない。

 けれどラヴェリタは認めたのだ。シリルのことを、リリアの伴侶として、自分の主として。

 だからこそリリアにのみ使っていた人語を、彼に対しても使い出したのだろう。


「シリル様……今ここで、求婚の返事をさせていただくわ。わたくしが願うのは、やはりあなたとともにある将来。これから先もずっと、あなたに一緒にいてほしいと願っているの」


 それは七年前から変わらぬ、恋。


「あなたの妻となり、この命が果てるその時まで、あなたを愛していたいのです」


 言いながら、リリアはシリルの横に並んだ。 

 足を肩幅程度に開き、拳を軽く握り込み、戦闘態勢をとる。


「殿下……こんなに嬉しいことはない。今すぐにここであんたを抱きしめて、俺の望むままにしたい。――だが」


 シリルは腰に下がる剣のつかに手をやり、それを勢いよく鞘から引き抜いた。

 銀色のやいばが、月光に照らされきらりと光る。


「あんたにふれるのは、これが片づいたあとだ。――覚悟しておいてくれ。俺はもう、あんたの前で自分を止めないからな」


「シリル……ここまでよく来たね。計画は狂ったけれど、ようこそ、と言うべきかな」

 ようやく立ち上がったロドルフは、いつもと変わらぬ爽やかな笑みを浮かべていた。

 リリアとシリルが揃った今、状況は一転し、ロドルフは不利になったはず。

 それなのにどうしてそんなにも余裕の態度でいられるのだろう?


「ロドルフ隊長、あんたはこうなることも織り込み済みだったんだな?」

「僕は慎重派でね。万が一のことを考えて行動するタイプなんだ。――来い!」


 ロドルフが再度、合図を出した直後、部屋の中に、さらに十数人の男たちが入ってきた。

 ふと気づけば隣の部屋のバルコニーにも、上の階のバルコニーにも、下の階のそれにだって、たくさんの男たちがいる。

 彼等は皆、弓矢を片手にこちらを狙っているようだった。


「これくらいの人数、君たちにはどうということもないかな? でも彼等は皆、テシレイアの騎士団から借りている強者きょうしゃたちだ。剣も弓も得意。マテスタ家が雇ったその辺のゴロツキとは違う」

「なるほど、俺を徹底的にいたぶろうというわけか」

「シリル、君に用はないからね、ここで消えてもらうよ。僕はリリアとともにテシレイアに行く。僕のたくらみが君に知れてしまった以上、もうこの国に留まることは不可能になったからね」

「テシレイア? ずいぶんと傾倒けいとうしているようだが、行くならあんたひとりで行け」

「だめ……! ロドルフを行かせたら、テシレイアと戦になるわ!」


 リリアが慌てて口を挟めば、シリルは「何?」と、眉をひそめた。

 しかし即座に状況を把握してくれる。


「ということは、ロドルフ隊長の身柄を必ず拘束しなければいけない、ということだな?」

「ええ。捕らえて王城に連れ帰り――裁く!」

「了解。――いいか、絶対に俺の側から離れるなよ。その身体にかすり傷一つでもつけてみろ。ここにいる全員を八つ裂きにして殺すからな」

「き、気をつけるわ」


 ここにいるほかの者たちのためにも。


 シリルとリリアは互いの背を守るような位置に立ち、敵と向かい合った。

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