第二話

 ここヴィステスタ王国は、竜を神からの遣いとし、崇めている国だ。


 貴族の領地では農民が作物を作り、各州都では潅漑かんがい整備などの開発が進められ、王都では商売が盛んに行われている、それなりに裕福な国である。


 そのような国の唯一の王女として、リリアは生まれた。

 その四年後には、弟のジョルジュが誕生。彼は次代の王と定められた王太子となった。


 聡明な王と王妃、そして王太子の健やかな成長と、国の未来は明るかった。


 けれど四年ほど前、暗雲が立ちこめる。

 王が病に倒れ、満足に公務をすることができなくなったのだ。


 幸い、数ヶ月の療養ののちに、王は公務に復帰。王国は平静を取り戻した。

 けれど一時でも指導者不在となったことにより、思わぬ事態が巻き起こる。


 もしも今、王の病気が悪化し、最悪の境遇に陥ったなら?


 不安を抱いた一部の民たちが、次代の王はいまだ幼いジョルジュではなく、王の弟の息子――つまりはリリアの従兄弟にあたるロドルフのほうがよいのではないか、と声を上げ始めたのだ。


 ロドルフはリリアの五つ年上である青年。隣国テシレイアで数年学んだのちに騎士団に入団し、近衛隊の隊長を務める人物である。


 これでは将来、国が割れる。


 そう危惧した王は、二か月ほど前、ジョルジュが十三歳になったのをきっかけに、彼を積極的に政治に参加させ始めた。

 そしてリリアを空位であった王立騎士団の団長とし、将来、ジョルジュを補佐できるよう励めと命じてきたのだ。


 ――わたくしにとっては、まさに寝耳に水の出来事だったわ。


 婚約を破棄され、悪役に仕立てあげられた自分。

 それでもいずれ新たな縁談が決まり、どこぞかの貴族の元へ嫁いでいくのだと、漠然と予測していた。

 まさか自分が表舞台に立つことになるとは、夢にも思っていなかったのだ。


 だからといって、いつまでも戸惑っていてもしかたがない。


 ――まずは日々を過ごすことになる竜騎士隊の隊員たちに、どうにか認めてもらわなければ。


 そのためには何をどうすべきか?

 あれこれ頭を悩ませながら、リリアは従騎士である少年の背を追って、第二演習場へと足を踏み入れた。


「これが竜騎士隊の演習……」


 目にした瞬間、度肝を抜かれた。


 石造りの演習場で、二人ひと組、あるいは三人ひと組となって行われている訓練。

 そこかしこで銀色の剣先が光り、剣と剣がぶつかる音が響き渡る。


 率直に抱いた感想は、剣技のレベルが驚くほど高い、ということ。


 リリアは幼い頃より、剣術と体術を護身目的で習い続けてきた。

 それゆえにわかるのだ。隊員たちの剣技の程度が、どれほどのものかということを。


 ――だからといって驚いている場合ではないわ。


 はっと我に返ったリリアは、みなぎる緊張を抑え、声を張り上げた。


「演習、やめ! 一度、集合してちょうだい!」


 けれど、誰も手を休めようとはしない。

 なぜだろう。聞こえなかったのだろうか。


「集合よ! 訓練の一時中断を命じるわ!」


 もう一度、今度は先ほどよりも大きな声で。

 しかし結果は一緒だった。


 なぜ? リリアは首をかしげて、そしてようやく気がついた。自分が無視されている、ということに。


 ――あの隊員も……あちらの彼もそうだわ。皆、こちらをちらちら見ている……!


「なんて子供じみたことを……!」


 次第に苛ついてきたリリアは、腰に下げている長剣のつかに手をやった。

 こうなったら自分も飛び入り参加してやろうか、どうしようか。

 唇を噛みつつ悩んでていると、横からふと声をかけられる。


「これはこれは、王女殿下御自おんみずからこのような場においでくださるとは、光栄です」


 視線をやった先に立つのは、栗色の長髪と、同色の瞳が印象的な、細身の男。

 たしか名をエド・マテスタ。二十歳。

 竜騎士隊での地位は上から数えて三番目だったと記憶している。


「エド・マテスタ隊員……今現在ここにいる者の中で位が最上なのは、あなたね?」

「おっしゃるとおりですが」

「ならばすぐに訓練を中断させてちょうだい。なぜ勝手に第二演習場で行っているのかは、今は不問にするわ。それよりもあなたたちと話がしたいの」


 リリアが騎士団長に就任したのは昨日のことだが、いまだ竜騎士隊の隊員たちが揃う場で挨拶をしていない。

 できれば所信表明のような言葉を、皆に聞いてもらいたかった。


 しかし。

「その必要はございません」

 エドは悠然と微笑んだ。

「なにも王女殿下御自ら、このような場所にいらっしゃらなくても結構です。お気遣いはありがたいですが、私どもは隊長という存在がいようがいまいが、きちんと訓練を行っておりますので、ご心配なく」 


 柔らかな声音だが、はっきりとした拒絶だ。


「わたくしは話をしたい、と言ったのよ」

「ですから貴重なお時間を割いてまで、そのようなことをしていただく必要はございません。いろいろとご予定もおありでしょう。ささ、どうぞあちらへ」


 エドはリリアの背に手を添えると、演習場の出入り口を指さした。


 しかしリリアも、そう簡単に引き下がるわけにはいかない。

 権力を振りかざしたくはないが、この場合、やむを得まい。

「命令よ」

 背に回されたエドの手を振り払う。

「即刻、訓練を中断させなさい」


 するとエドは、「命令?」と、くすくす笑い始めた。

「さすが悪役王女と名高いお方だ。すぐに権力に頼られるのですね」

 まいったな、と、エドは溜息を吐く。


「しかし命令とおっしゃられるが、それはいったいどなたからのものです? 王女からの? それともまさか騎士団長からのものだとでも?」

「それはもちろん――」

「騎士団長からの、などとおっしゃらないでくださいね」

「え……」

 なぜ? と、リリアは眉根を寄せた。


「我々をべる騎士団長とは、指揮官であり、指導者であり、戦士である者。竜に騎乗して空を駆ける際には隊の先頭に立ち、剣を片手に我々を率いる存在です。とくに大国テシレイアの脅威にさらされている昨今、必要なのは強き者だ。――さて、王女殿下に我々を率いることができますでしょうか?」


 いつしかエドは真顔になっている。


「それは……もちろんそうしたいと考えているわ」

「では私たち隊員に、何を与えてくださいますか?」


 与える? それはいったいどういう意味だろう?


「実力を伴わない言葉に説得力はありません。私たちを従えたいとお考えならば、ぜひその剣で答えを」


 つまり、弱き者に上に立つ資格はない、とのことだ。


「答えをいただけるようになりましたら、もう一度おいでくださいませ」


 そう言って、エドはまたしてもにこやかに微笑んだ。

 リリアはもう、何も言い返すことができずに、第二演習場をあとにした。

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