05 手ごたえあり
公民館からの帰り道、僕は『ニコ福マート』というスーパーマーケットに向かい、自転車を走らせていた。
スマホに届いたメッセージは母からだった。夕飯のおつかいを頼まれたのだ。ビーフシチューを作ろうと作業を進めていたら、後になって牛肉を切らしていることに気づいたらしい。
ちゃんと確認してから調理を始めてほしいと文句を言いながら、しぶしぶ引き受けた。生の牛肉を買うためだけに寄り道しなければならないのは億劫だけど、ビーフが入っていないビーフシチューが食卓に上がるのもぞっとしない。
途中に別のスーパーが二軒あるものの、僕はいつも素通りする。『ニコ福マート』を利用しなければ、両親からネチネチと文句を言われるからだ。
店に到着するころには、外はだいぶ暗くなっていた。もうすぐ十二月。陽が落ちるのが早い。
自転車を置いて店内に入り、買い物かごを片手に歩いていると、横から声をかけられた。
「おお、悟。いらっしゃい!」
相手は小太りの中年男性。『ニコ福マート』のロゴが印字された、緑色のジャケットを身に着けている。彼は父の兄──つまり叔父にあたる人で、この店の経営者だ。
僕が他の店を利用しないのは、そういう大人の事情があるのだ。
『個人経営の店は、なにかと苦しいんだぞ』
と、父からはそう聞いている。当の父は次男坊で、その苦しい個人経営から逃れて民間企業に雇われている。そのくせ酒に酔った時には、
『事業主はいいよな。馬鹿な上司に気を遣わなくていいし』
なんて言うのだから、どっちだよ、という感じだ。
「なに買いに来た?」
並行して歩きながら、叔父さんが尋ねた。
「牛肉。ちょっと、おつかいで」
「おお、高校生でお前、親のおつかいできる奴ってのは、すげえぞ」
「何が? ただの使いっぱしりだよ」
「親孝行な子供っつうのは将来有望だ。うちの娘なんて大学で独り暮らし始めてから、まだ一回も顔見せに来ねえからな。ありゃあ駄目だ」
「ふうん」
叔父はお喋りかつ声が大きい。仕事そっちのけで僕と喋ったうえに、レジで会計を大幅に下げてくれた。
帰宅後、母にそれを伝えると、
「ありがたいのはありがたいけどねえ……そんな身内びいきを大っぴらにやってるから、お客さんが離れていくんじゃないのかしらねえ?」
感謝や喜びというよりは、心配するような反応が返ってきた。母は大した下ごしらえもしない牛肉を鍋に入れながら、顔をしかめて義兄の将来を案じている。
「……それは叔父さんに直接言ったほうがいいんじゃないの?」
僕はスーパーの経営について指摘できるような立場ではない。
「あれ、待てよ……?」
ひらめきがあったのは、そんな時だった。
まさかこういうタイミングで、その瞬間が訪れようとは。
「悟、ついでに夕飯の準備を──」
「ごめん。ちょっと、やることあるから!」
僕は母の言葉を最後まで聞かずに、二階の自室に駆け込んだ。
机に向かうなり、父のお下がりで貰ったデスクトップPCで、検索を繰り返す。
これだ。これならいけるんじゃないか。
調べていくうちに、頭の中で次々と言葉が結びつき、クイズが構築されていく。階下から聞こえる母の催促を無視しつつ、僕はその問題文をスマホに入力した。親孝行な息子だなんて、とんでもない。
明日の放課後が、待ち遠しくなった。
そして翌日の放課後。学校を出た僕は自転車を軽快に走らせ、公民館へ向かった。
自分で言うのもなんだけど、新作クイズの出来は、かなり良いと思う。試しに桂木に見せたけれど、予想通り正解することはできなかった。あまり参考にはならないけれど、それでも手ごたえは感じた。
公民館に到着。中に入ると、事務室にはいつものお姉さんがいた。今日は電話中ではなく、僕が窓口に立つとすぐに気づいてくれた。ただ、よく見ると耳に白いワイヤレスイヤホンが装着されており、その机には、スタンドに立て掛けたスマホが置いてあった。動画か何かを楽しんでいる最中らしかった。やはり相変わらずだ。
お姉さんが小窓から差し出してくれた記録簿には、まだ九先輩の名前は書かれていない。今日も僕の方が先に着いたようだ。
第四和室でセッティングを終え、そわそわしながら待っていると、ノックの音がした。
来た。
「お疲れ様です」
「お疲れ様。今日も早いのね。部屋の用意ができていると助かるわ」
「いえ、この程度のことは」
先輩はねぎらいの言葉をかけてくれた。
「先輩、今日も新しい問題作ってきました。けっこう自信ありますよ」
僕は待ちきれなくなり、先輩が席に着く前にそう告げた。その眉がわずかに動く。座布団に腰をおろすなり、彼女はノートPCも出さぬまま、座卓にスマホを置いた。
「では、拝見させていただくわ」
「はい」
僕はうなずき、マインでその問題文を送った。
【問題3】
『ある一軒のスーパーマーケットがあります。そこには仕事熱心で、売上げが前日より一円でも上がれば大喜びする、次郎さんという店長がいました。彼は一生懸命仕事に励み、少しでも多くお客さんが買い物してくれるよう、日々努力していました。
ところがその日は客足がいまいち。ようやくあと一万円で前日売上げを超えるというところで、閉店ぎりぎりに常連の木元さんが来店しました。人間としては嫌な人でしたが、彼は地域の有名な実業家で毎回たくさんの買い物をしていくので、次郎店長はにこにこ接客していました。売上げさえ伸びれば彼は幸せなのです。
結局その日、木元さんは一万円を大きく上回る買い物をしていきました。ところが、最終的なその日の売り上げは前日を超えず、次郎店長は落胆し、数日後には店を辞めてしまいました。さて、売り上げが前日を超えなかったのはどうしてでしょうか?
※補足:当スーパーのシステムは『ニコ福マート』と全て同じとし、営業時間は午前十時から、午後十時までです』
先輩は人形のように身動きせず、その問題文をじっと見つめ続けた。
いつもより長い静寂。まばたきさえほとんどしない。
おかげで彼女の瞳が、やや明るめのブラウン色だということを知ることができたけれど、その琥珀みたいに美しい瞳が乾いてしまわないか、ふと心配になった。ドライアイは視力低下の原因になるらしいし。そういえば先輩って、視力は良いのかな。眼鏡をかけたところは見たことがないけれど、もしかしてコンタクトレンズだったりして。
ついそんな益体も無いことを考えていると、
「……わかったわ」
いきなり彼女が口を開いた。
不安な気持ちがサッと胸をよぎった。まさか、もう答えが解ってしまったというのだろうか。
「正直なところ正解だとは思っていないけれど、質問できないルールだし、一度だけ回答しておくわ」
僕は、はい、と返事をしながら、おや? と首をひねった。
「『木元氏は買い物をしたが、代金が未払いとなり、翌日の売り上げに繰り越された』というのは、どう?」
先輩はこちらを探るように回答をした。こういうことは珍しい。
「……先輩。念のため言っておきますけど、それも一回分の回答になりますからね」
「わかっているわよ。だから前置きしたでしょう?」
彼女は少しだけむっとした様子だった。冷静沈着な態度とのギャップが、ちょっとした子供っぽさを醸し出した。
可愛い、と思ってしまった僕は、その邪念をすぐに振り払い、目の前の勝負に意識を戻した。
僕はポーカーフェイスを作り、慎重に述べた。
「不正解です。その回答は」
これで勝利に一歩ちかづいたけれど、気をゆるめてはならない。
「そう。じゃあ説明してくれる?」
彼女は涼やかにそう言った。どうということない、という余裕の顔だ。
「わかりました」
なるほど。態度を見るかぎり、今のは捨て回答だったようだ。このナゾ解き勝負ではヒントを設けていないので、僕の説明を聞くことで、そこからヒントを得ようというのだろう。
「説明します。問題文には記してませんが、『ニコ福マート』では、代金未払いで買い物ができるシステムは無いです。補足してある以上、それが不正解の理由となります」
実は去年の夏休みに、僕はあの店で短期間のアルバイトをしたことがある。その時はレジ打ちの補助の仕事を当てがわれたが、財布を忘れてしまったお客さんや、カード決済が通らないお客さんに対して、ツケで商品を渡すようなことはしなかった。
「へえ、そう」
彼女はうなずくと、しばらく顎に手を当て、何も喋らなくなった。黙考しているらしい。
「やっぱり、行くしかないわね」
そして唐突に立ち上がった。
「え、どこに……」
「あなたも、予定がないなら来なさい」
ちょうど僕の質問と、彼女の声が重なった。
「……はい、行きます」
「そう。なら早く片づけて出ましょう」
また外出だ。
僕は急いで部屋を片づけた。
「ところで、どうして『ニコフク』なの?」
公民館の建物を出て自転車に乗ろうというところで、先輩が尋ねた。
「え?」
僕はその時、自転車のキーを取り出すべく、リュックの前ポケットを漁っている最中だった。
「
もちろん『ニコフク』とは、『ニコ福マート』の略なのだけど、九先輩の口からそれが発せられたのが予想外で、最初のうち何の話をしているのかわからなかった。
「えっと、実はあそこ、僕の叔父の店なんです」
「へえ、そうなの」
先輩は少し驚いた様子でうなずきつつ、自転車のスタンドを上げた。
「そういえば先輩。ルール上、質問は禁止だったんじゃ?」
「答えるかどうかの選択権が出題者にあるだけよ。答えたくなければ、答えなければいいでしょう? 私は単に興味が湧いたから、尋ねただけの話よ」
真意は定かではないけれど、言われてみればその通りだ。日常会話の感覚で反射的に答えたが、油断していた。こういう時こそ注意をはらわないと、うっかりヒントを与えかねない。
「それとも今の質問で、核心に迫ったのかしら?」
「その手には乗りませんよ」
僕が言うと、先輩は楽しげに微笑んだ。
ほら……そっちから誘っておいてそんな顔をされたら、僕が勘違いしてしまうのも無理ないじゃないか。
僕は目をそらし、見つけたキーを後輪の鍵穴に挿した。
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