20 たばこの臭い

「お兄ちゃん、ご飯だって」


 はっと気がつくと、妹がベッドの横に立ち、こちらを見下ろしていた。面倒くさそうな顔で腕を組み、僕を足蹴にしている。


「あ、ああ……そう」


 もう少し普通に起こせよと思いつつ、僕は安堵した。ゆっくりと頭の混乱が解けてくる。


 どうやらいつの間にか眠ってしまい、夢を見たらしい。それで夕飯の時刻になったから、妹が僕を起こしに来たというわけだ。 


 そうだよな、夢だよな……と自分の記憶を掘り起こし、僕は確認作業を行った。桂木が同好会を去ったところまでは現実に起きた出来事だけど、その後は違う。記憶のねつ造だ。そもそもあの時期にはナゾ解き勝負は始まっていないから、先輩からあんな台詞が出るのがおかしい。現実と妄想が夢の中で混ざってしまっていたみたいだ。


 とはいえ安堵はしたものの、九先輩の夢を見てしまったこと自体が、今の僕には辛い。あまり気分は良くなかった。


 身体を起こす。妹はまだベッドの横に立っていた。なぜだろう、いつもならさっさと居間に戻るのに。


「ねえ、お兄ちゃん」


「何?」


 どうやら何かお願いごとがあるらしい。長年の付き合いでそれを感じた。


「お兄ちゃんさ、確か『無理むりきわ』の攻略ノートって作ってたよね? 馬鹿みたいに」


「ああ、作ってたけど。馬鹿みたいにってなんだよ」


「まだ持ってる? あるんだったら貸して」


 妹は僕の抗議を無視し、要求だけ突きつけた。


 『無理きわ』とは、『無理ゲーの極み』という、超理不尽難易度で有名になったスマホアプリのことだ。いや、有名というか悪名高いと言った方が正しいか。僕が中学生の頃に流行し、僕以外みんなが放棄したという、例のゲームだ。


「馬鹿みたいな奴が作ったノートなんて、いらないだろ」


「いや、そういうのいいからさ。あるの? ないの?」


 相変わらず生意気な奴だなあ。


「……あると思うけど、どこだっけな」


 僕はあくびしながら立ち上がった。捨てていなければ、机の中にしまっているはず。


「ところで、なんで今さら『無理きわ』?」


 僕はそのノートを探しながら尋ねた。


「いま全国的にブームなんだよ。知らないの? うちのガッコでも流行ってるのに」


「いや、知らない」


「お兄ちゃんって、いつも遅れてるよね」


「はいはい、そうだね」


 妹とまともに話しても疲れるだけなので、それとなく聞き流した。どうやら有名なユーチューバーが再挑戦企画を立ち上げたことで、また話題になっているらしい。


「ステージリニューアルとかしてないの?」


「ううん、そのままっぽい」


 完全に二次流行じゃないか。むしろ変化の速い現代において、アプリが今まで存在し続けていることの方がすごい。


 攻略ノートが見つかった。B5サイズで表紙がオレンジ色のノート。僕が攻略した時の情報が、さまざまな図と一緒に記録されている。我ながら、くじけずによくやったものだ。


 ノートを手渡すと、妹はにんまり笑った。


「これのとおりにやれば全部クリアできるのね?」


「うん、たぶん」


「たぶんって何よ。お兄ちゃん、ほんとにクリアしたの?」


「したよ。ただ、由美にできるかどうかは、わからないから」


「意味不明なんですけど。ノートあるんだから、できるに決まってんじゃん」


 妹は頬を膨らませる。


「まあ、うん。そうだね」


 理論上はね。


 その時、一階から母の声が聞こえた。妹が慌てた様子で告げる。


「ちょっと、そういえばお兄ちゃん、何もたもたしてるの? ごはんだって言ったじゃん!」


「お前な……」


 僕は呆れて部屋を出た。


「あ、それとお兄ちゃん」


 ところがドアをくぐった瞬間、妹に呼び止められた。


「ん?」


「ちょっと煙草くさいよ。もしかして吸ってる?」


「それを早く言えよっ」


 両親に余計な誤解をされたら困るので、僕は慌てて部屋に戻り、服と部屋に消臭スプレーをかけた。どうやら宮本の煙草の臭いが移ったみたいだ。


「お兄ちゃん、吸ってるならやめた方がいいよ。お父さんにバレたらマジで追い出されるから。煙草だけは絶対ゆるさないって言ってるじゃん、あの人」


「わかってるよ、そんなの。というか吸ってないし」


 うちの父は、法律の外側に独自のルールを持っているのだ。彼いわく、お酒よりも煙草の方がずっと悪質だそうだ。自身が何度も禁煙に失敗しているから、というのがその理由らしい。


『たった一本が、地獄の道に続いていると思え』というのが、彼の教えであり、お馴染みの脅し文句だ。


 酒と煙草、未成年……。


 その時だった。いきなり新しいクイズが頭にひらめいた。


「由美、先行ってて」


「あっそ」


 僕がそう告げると、妹はさっさと部屋を出た。


「消えるといいね、臭い」


「いや、そういうのじゃないから」


 誤解している可能性はあるが、いなくなってくれたのはありがたい。その方が集中できる。


 机に向かい、浮かんだクイズをノートにメモしていく。母から夕飯を催促するメッセージがスマホに届いたけど、無視して問題文を書き続けた。


 なぜこういうタイミングでアイディアが浮かぶのだろう。いろんな体験を、勝手にネタにしてしまう身体になってしまったのだろうか。なんか貧乏くさいというか、ただでは転ばないというか、完全にナゾ解き同好会に染まっているみたいだ。


 それから10分もかからずに、新作は完成した。


「でもなあ……」


 僕はそのノートを眺め、溜息をついた。やはり見ればわかってしまう。この程度のレベルでは駄目だ。九先輩にとっては簡単すぎる。


【問題24】

『山田君と川下君は、深夜にお酒を飲みながら酔って談笑していました。どちらも飲んでいたのはビールで、アルコール度数が五パーセント程度の標準的なものです。中学生になったばかりだった彼らは、山田君の両親が旅行に出たのをいいことに、十三歳という若さでありながら大人ぶってみたかったのです。


 酔った二人は、そのまま談笑しながら家の外に出て散歩することにしました。すると悪いことに、二人のそばを偶然にもパトカーが通りかかりました。そして二人とも、警察官に職務質問され、飲酒がバレてしまいました。


 結果、山田君は一週間の停学処分になりました。ところが、なぜか川下君だけは見逃され、普段どおり学校に通っています。


 さて、どうして彼だけが処分されず、見逃してもらうことができたのでしょうか。


※補足:二人ともきちんとビールを体内に摂取しています。飲んだふりをしたわけではありません。川下君も山田君と同じくらい酔っており、明らかにアルコールを飲んでいることがわかるほどでした。それと川下君には特別な人脈は無く、学校関係者および警察などとの繋がりはありません。ごく一般的な中学生の子供です』




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