07 頭取り

 ふと気づけば十一月が終わっていた。


 勝負開始から二週間経過し、十二月十日の朝。


「だから言ったろうが。勝てねえって」


 通学路で桂木と顔を合わせ、その態度に腹が立った僕は、信号待ちの時にすねを蹴ってやった。


「痛ってえ!」


 思っていたより強く蹴ってしまったらしく、彼は自転車ともども倒れそうになった。


 信号が青に変わったので、僕は先にペダルを踏み、交差点に逃げた。


「なんだよ、蹴ることねえだろ!」


「だってムカついたし!」


 桂木が追いかけてくるも、僕は学校まで逃げ切った。九先輩なら許せるが、外野の人間が勝ち誇ったような顔をするのは、腹が立つ。


 言われなくたって、自分が一番よくわかっているのだ。


 このままだと先輩には勝てない、と。


 じりじりと焦りが募っていた。『ニコ福マート』へ行って以来、先輩を追い詰めるようなクイズを作ることができていない。毎日ひとつ以上は新しい問題を考え、同好会に持ち込んでいるのだけど、どれもことごとく正解されてしまう。


 そうこうしているうちに、新作ができるそばから「これは正解されちゃうだろうな……」という予想がつくようになってきた。そういう時は、高跳びの選手に素人用のバーを用意するような徒労感にさいなまれる。何か間違いが起こってくれと願いながら放課後を迎える日々が続いており、徐々に公民館を訪れるのが辛いというか、怖くなっている自分もいる。


 しかも九先輩は、今でも知識量を増やし続け、ナゾを解く力を強化している。まさにナゾ解きアスリートと言っていい。 


 ちなみに今日作ったクイズはこれだ。先輩にとっては、素人が跳ぶ高さのバーだ。



【問題18】

『日本のとある地域では、一軒家の二階にドアが設置されていることがあります。ベランダや足場はありません。住人がそこを開けて一歩そとへ出ようものなら、間違いなく落下し、怪我をしてしまうようなドアです。一見すると危険で、使い道が無いように思えますが、これが無いと一階のドアや窓が封鎖され、まともに外出できない時があります。さて、それはどんな時でしょうか?

※補足:人工的に封鎖されるわけではありません』



 ……本当にまずい。


 放課後。その問題も予想どおり軽く正解され、僕は早々にネタ切れとなってしまった。


「もっと良い問題を用意してきなさい」


 九先輩は余裕の表情で、さっき閉じたばかりのノートPCを開いた。ここのところ、この調子が続いている。


 第四和室には、彼女のマウスのクリック音と、タイピングの音だけが響く。そこに僕の溜息が混ざる。


 超難問を作るにはどうしたらいいのだろうか……。


 同好会の最中は弱気なところを見られないよう気をつけていたが、さすがに落ち込んでしまった。手ごたえの感じられる問題がまったく作れないのはストレスだ。僕はまた大きく息をついた。


 その時だった。


「出口君、ちょっと今から、メモをとってくれないかしら」


「は、はい!」


 いきなり先輩に声をかけられ、驚いた。すぐに顔を上げ、カバンの中を漁ったけれど、メモ帳は持ち歩いておらず、代用品を探した。


 僕がもたついていたからか、先輩は補足をしてくれた。


「今の『メモをとる』は、『メモ帳に何かを記す』という方の意味で、記録が目的

だから、べつにスマホのメモでも構わないわ」


「あ──わかりました」


 僕はその言葉に甘え、スマホのメモアプリを開く。


「日本語って難解よね。だからこそ、文章だけでも面白い問題が作れるのでしょうけれど」


「そうですね」


「その点では、出口君の作る問題は良いわよね。ミスリードを促しつつも、解答をきちんと絞られるように、前提条件から丁寧に作ってあるでしょう? そのせいで長文にはなりがちだけど……それは、あなたの根底にあるフェアプレーの精神が、そうさせるからだと思うの。その辺りが私の好みなのよね」


「あ、ありがとうございます……」


 じん、と胸にしみた。


 先輩が僕のクイズを褒めてくれた。お世辞を言う人ではないし、皮肉という感じでもない。何かのついでにぽろりと出るような、そんな褒め方だった。


 これは今回だけのことじゃない。実は僕が告白したあの日もそうだった。嬉しくなってしまった僕は感情を高ぶらせ、心の檻のとびらを開けた。……『好意的な褒め言葉は脈ありサイン』のような、雑誌に書いてある漠然としたノウハウは、やはりあてにならない。


「それでどう? メモは準備いいかしら?」


 先輩がちらりとこちらに目を向けた。


「あ、はい」


 僕は慌ててスマホに視線を落とす。メモアプリの真っ白な画面がカーソルを点滅させ、僕の操作を待っていた。


「どうぞ。準備できました」


「では『しりとり』と入力して」


「『しりとり』ですか」


 ……なぜ?


 先輩の様子をうかがってみるも、至って真面目な表情。『いいからメモれ』という圧力さえ感じたので、とにかく従ってみよう。


「入力しました」


「では出口君。『し』で終わる言葉を、何か言ってみなさい」


「え?」


「『え』じゃないわ。『し』よ」


 聞き返しただけなのに、先輩が真面目に指摘するので、思わず笑いそうになった。


「えーっと、わかりました。じゃあ、『かかし』でどうですか?」


「いいわ。では『かかし』と入力しなさい」


「はい」


 僕はまた言われたとおり、メモアプリに入力する。


『しりとり』


『かかし』


 その二つの単語が真っ白な画面に並んだ。先輩も、何やらカタカタとタイピングしている。


「それでは次、『いか』と入力して」


「いいですけど……先輩、これって何なんですか?」


「わかるでしょう。しりとりよ」


「でもしりとりの通常ルールって……」


「いえ、訂正するわ。これは『通常じゃないしりとり』よ。つまり特別ルールというやつね。『あたまとり』と呼んでもいいわ」


 なるほど。


「相手の言葉の頭文字をとって、その文字で終わる言葉を言い合う、ということですね」


「そうよ。話が早くて助かるわ」


 しりとりといえば、『単語の末尾の文字をとる』から『尻とり』なわけで、それなら先輩のそれは、『単語の頭文字をとる』から『頭とり』というわけか。


「ただ、この場合は最後に『ん』がついても継続できるから、代わりに時間制限を設けて勝敗を決めるのよ」


「なるほど」


「というわけで、お互いの回答時間はメモをとる五秒間も含めて、トータル十五秒にするわ。その時間内に正しく回答できなければ負け。それでは、あなたの番よ」


 先輩が僕に目を向ける。次は『い』で終わる言葉を答えなければならない。


「じゃあ、『住まい』で」


 そもそもなぜ『あたまとり』を始めようと思ったのかは不明だけど……先輩がやりたいというのなら、今は何も問うまい。


 僕は疑問を脇に置き、しばらくその遊びに付き合うことにした。


 ところがこのあたまとり、やってみるとなかなか難しい。間違えてしりとりにならないように答える作業は、慣れるまでがひと苦労だ。右利きの人間が左手で文字を書くようなもどかしさがある。非常に新鮮な感覚だった。


『しりとり、かかし、いか、住まい、古巣、護符、単語、バッタ、カバ、馬鹿、ラバ……』


 スマホのメモ画面に、一見すると何の関連性のない言葉たちが次々と並んでいく。


 ふと、この羅列を使えば、簡単なIQテスト系のクイズができそうだなと思った。


 例えば。


【問題Q】

『(内閣府、サバンナ、男女格差、五反田、囲碁、か???) この『???』に入る三文字は何でしょう?』 


 ついついそんなことを考えてしまっている自分に気づき、僕は密かに苦笑した。先輩と出会い同好会に入ってからというもの、どんなものでもクイズのネタにしてしまう。


 それから僕と先輩は、あたまとりを三十分くらい、淡々とプレイした。今までずっと先輩と言葉をかわし続ける状況というのは無かったので、とても貴重な経験だった。


 途中で何回か、僕のミスで負けた。彼女に勝ちたいと思って攻めたこともあったけれど、逆に追い詰めれられてしまった。彼女はノーミスだった。さすがとしか言いようがない。


「どうだったかしら?」


 終了後、感想を求められた。


「楽しかったです。勝てなかったけど」


「そう」


 先輩はうなずいた。


「他には、何かあったかしら?」


「ほ、他には?」


 さらに求められた。


 感想が平凡だったからだろうか? 素直に思ったことを答えたんだけど……。でも訊かれた以上は、何か考えないと駄目だよな。


「いまスマホのメモをずっと振り返ってるんですけど、これだけ画面にびっしり単語が並んでいると、妙な達成感がありますね」


 別に言葉あそびをしただけで、何かを成し遂げたわけではない。でもスマホに表示された単語の数々を眺めると、なかなか圧巻だった。しかもただの羅列ではなく、きちんと法則性があるのもまた面白い。


「他には、どう?」


「……」


 ところがさらに感想を問われた。


 いったい、先輩は何を求めているのだろう? まさか僕に敗北宣言をさせたいとか、そういう話じゃないよな? いや。でも九先輩って負けず嫌いだし、あながち否定できないかも。


 どうしたものか……。


「つ、つくづく、先輩ってすごいですよね。完敗です。検索かけないとわからないような言葉もありましたし。さすが、知識量が半端じゃないですね」


「ありがとう」


 先輩は表情を変えずに応えた。


「それで、他には何かあるかしら?」


 だがなんと、まだ続けるつもりのようだった。


 あなたは僕に、何と答えてほしいんだ? 


「あー、えーっと……」


 素直に感想を述べたし、敗北宣言に加えて、先輩のすごさも改めて称賛した。


「ちょっと他には……無い、ですね」


 恐るおそる正直に答えると、


「そう」


 彼女は一言で片づけ、ノートPCに視線を戻してしまった。どこか残念そうに見えたのは気のせいか。


 ノートPCに何か打ち込みをしている彼女の様子は、いつもどおり凛としてクールで、表情が読めない。しかし本当のところ何がしたかったんだろう? あたまとりといい、今の質問攻めといい、今日の先輩は少し変だ。


 いや、そもそも変人ではあるのだけど、なんだか変の種類がいつもとちがうんだよな……。


 疑問は解消されぬまま、その日の同好会の活動は終わった。

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