22 ……10日間だ。
翌日の月曜日。普段通りに学校へ行き、授業を受けた。
ずっと考えごとをしていたら、あっという間に放課後になっていた。帰りのショートホームルームなんて、本当は五分以上かかっていたと思うけれど、数秒で終わった気がした。時間の経過が長く感じた時といえば、桂木からしつこく詮索(もちろんマユリさんのことだ)された時だけだ。
……同好会に行こう。
僕は一日中、ずっとそれだけ考えていた。とにかく今日こそは先輩に会おうと、自分で自分を奮い立たせていた。
新作のクイズもいくつかできたし、一応、手ぶらではない。……が、おとといの合コンの日に作ったものをはじめ、どれも先輩にとって、レベルが低いのは明らかだ。
またがっかりさせてしまうだろうか……。
そんな想像が脳裏に浮かび、僕はなかなか席を立つことができなかった。
自分でもムカつくほど、うじうじしていた。
ほんの少し前までは、放課後が待ち遠しかったのに。うじうじどころか、うきうきしながら公民館へ向かっていたほどなのに。いまは居残りでも何でもいいから、もう少しこの場に留まる理由がほしかった。
ところが僕の願いに反して掃除が始まり、追い出されるように廊下へ出た。
仕方なく昇降口へ向かうも、歩く足が重い。用も無いのにトイレに入ってみたり、鏡に映る自分の顔を見たり……やっぱり少し老けたかもしれない。
『憂鬱そうな顔でやられても誰も得しないし。さっさとやめて、次に行きなよ』
ふと妹の言葉がよみがえった。
「悔しいけど一理あるよ。馬鹿野郎」
鏡に写っている憂鬱そうな顔に向かって呟いた。
僕だって、これがただの恋愛だったなら、そんなに苦しむ必要があるとは思わない。つまり僕にとってこれは、ただの恋愛以上の何かなのだ。
さんざん時間をかけ、僕はようやく学校の外へ出ることができた。
その時だった。
十メートルほど先に、よく知っている後ろ姿を見つけた。
もちろん、九先輩だ。
黒髪が冷たい風にさらりと揺れる。脇目もふらず、彼女はまっすぐ歩いていく。大声で呼べば、聞こえる範囲……もしくはちょっと駆ければ、すぐ追いつく距離だ。
だけど……僕はできなかった。動け、という心の声に反して、僕の身体は微動だにせず固まっていた。
ふと気づけば、もう先輩の姿はそこに無かった。校門を抜け、公民館へ向かったのだろう。
僕も行かなきゃ、と思いながらも、やっぱり身体は言うことを聞かない。足がそちらへ向いてくれない。
行けよ、僕。
諦めるなよ。
後戻りできなくなるぞ。
それでいいのか?
右、左、右、左。一歩ずつアスファルトを踏みしめるごとに、自分の中に声が響く。
それでいいのかだって?
……いいわけない。
いいわけないだろ。わかってるよ、そんなの。
でも今の僕は、心と身体があべこべだった。前を向きながら後ろ向きに歩いているような、そんなわけのわからない状態だった。
葛藤の末、気づけば僕は公民館へ向かわず、またバスに乗っていた。
……十日間だ。
最初に休んだ日から換算して十日間、僕は同好会に顔を出せていない。本当に後戻りができなくなっていた。
休日明け。二十三日の月曜日。気づけばもう最終週だった。今週の水曜日でもって、僕と九先輩のナゾ解き勝負は終了する。終わってしまう。
僕は鬱々とした精神状態で、なんとか登校した。正直なところ学校には行きたくなかった。
一つ、また一つと授業が終わっていくたびに、胸におもりが載せられていくような感覚に陥る。先週からずっとだ。放課後が怖くて仕方がない。
各授業では次々と宿題の範囲が発表された。僕の心とは対照的に、クラスの空気は明るい。そろそろ冬休みだから、みんな浮かれ気味なのだ。
昼休みに桂木が声をかけてきた。教室で、僕が一人になるタイミングを見計らっていたみたいだ。
「おいデグチ。そういえば九先輩との勝負、どうなんだよ? 最終日いつだっけ?」
「……あさって」
「どうだ、やっぱり勝てなそうか?」
「……最近は、ずっと不戦敗」
答えながら僕はうつむいた。
今回ばかりは、桂木の言ったとおりになってしまいそうだった。絶望の未来はもうすぐそこ。すごく情けないし、悔しい気持ちになった。
「まあ、しょうがねえよ。もし先輩からとんでもねえこと要求されたら、俺を呼べよな。なんなら裁判やるぞ。その時は俺も証人になって、先輩に殴られたことも含めて、そのパワハラっぷりを証言してやる。そしたら──」
「桂木、ごめん……」
机にぽたぽたと雫が落ちる。言葉にしているうちに、なぜか込み上げてきてしまったのだ。
「お、おいおいおい。お前、何泣いてんだよ?」
桂木が、慌てた様子で僕の肩をゆする。
「もっと考えて、最初に桂木に相談しておけば……こんな無謀な勝負なんて、しなかったんだろうな……。このままじゃ、僕……」
涙が止まらない。精神がズタズタだ。自分ではもう、どうにもできない。
教室が次第にざわついてくる。周囲の空気を壊しているのは自覚できたけれど、いかんせん抑制が利かない。
「デグチ、こっち来い」
すると桂木が腕を掴み、僕を教室の外へ連れ出した。
そのままずかずかと歩く。どこまで行くのだろうと思ったら、彼は廊下の奥で止まった。すぐそこに特別教室があり、周りにひとけはない。
桂木は掴んでいた腕を放し、僕と向き合った。何か言いづらそうな顔をして、頭をかいている。
「デグチ。お前、ほんとのところ、わかってねえだろ?」
桂木が問う。
「何が? どういうこと?」
僕は涙をぬぐった。
「俺がいつもお前に、『九先輩はやめとけよ』って忠告してたのがどうしてなのか、ちっともわかってねえ」
「そんなの、僕と釣り合わないからだろ?」
桂木はやれやれ、と肩をすくめた。
「その様子だと、俺がお前を無理やり合コンに誘った理由も、わかってねえな」
「……無理やり誘ったという、自覚はあるんだな」
「ああ。ある」
彼は頷いた。それはもう、清々しさすら感じるほどの即答だった。
「あのなあ、こんなの自分で言うのもなんだけどよ……実は全部、お前の身を案じたからとか、そういう話じゃねえんだよ。いや、むしろお前のことなんてちっとも考えてなかったと言っても、過言じゃねえかもしれねえ」
「は?」
彼は両腕を組んで眉間にしわを寄せ、いかにも難しい話をしているような態度で言う。
「俺が忠告したり、合コンに誘ったりしたのはな……もし何かの間違いがあって、お前が九先輩と付き合うことになったら悔しいから、邪魔してただけのことなんだよ」
「邪魔してた?」
「いや、なんっつーか悪気があるわけじゃなくてな? いわば条件反射みたいなもんなんだよ。俺の中にいる精神分析家カツラギが、そう言ってる」
「条件反射? 精神分析家?」
何を言ってるんだ、こいつは。
「例えば、自分がテスト勉強してない時によ、周りで黙々と勉強してる奴を見つけたら、邪魔したくなるだろ? それと一緒なんだよ」
「今どき、そんなことをするのはお前だけだよ……」
他人の足を引っ張って自分を正当化する輩の代表かよ。
「お前のナゾ解き勝負のことを三年の先輩にリークしたのも、俺だ」
「やっぱりお前か」
以前問い詰めた時はしらばっくれてたくせに。ここにきてあっさり打ち明けやが
った。
桂木は僕に構わず続けた。
「俺の立場からすると、あの人の彼氏になるなら、お前よりは三年の先輩の方がマシだと思ったのさ。でも、よーく考えたらよ、それって、お前と九先輩の付き合う可能性が、少しでも『ある』と思ったからこその行動だろ? だからそうやって、いろいろ邪魔したくなるわけだ。そう考えたら、捉えようによっちゃあ、良いことじゃねえ?」
「……」
僕は言葉が出なかった。涙はすっかり止まっていた。
どんな理屈だよ、それ。
「本当はこんなこと言う気なんて、さらさら無かったけどよ、まさかお前が泣き出すくらい追い詰められてるとは思わなかったからよ。もっとタフで、狂ってる奴だと思ったもんでな」
桂木は言いながら、恥ずかしそうに頭をかいた。
「あのさ、桂木」
「ん?」
僕はその目を見つめた。
「お前は本当に、最低な友達だな」
「ああ、俺もそう思う」
「あっさり認めるなよ」
桂木は笑った。
そこ、笑うところじゃないぞ。
「だからよお。そんな俺の言うことなんて、いちいち気にすんなよ。まあ俺としては、お前が諦めてくれた方が『イェーイ! ざまあ!』だけどよ。お前自身は、諦めたくないと思ってんだろ? このままじゃ後悔するって、気づいてんだろ?」
「……うん」
僕は頷いた。
「だったら、とりあえず公民館には行けよ。そんで、なんなら九先輩に交渉してみたらどうだ? あと一ヶ月だけ、あるいは卒業まで、勝負の期限を延ばしてほしいとかさ。このまま黙って不戦敗で終わるよりは、ましだろ?」
「……うん。そうだね」
とりあえず公民館に行ってみる、か。
最低の友達のおかげで、自分の気持ちをちゃんと確かめることができたけれど。
目の前にそびえる壁は、今の僕には変わらず高いままだ。
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