21 お兄ちゃん狂ってるの?

 翌日の日曜日。


「ちょっとお兄ちゃん!『無理きわ』の攻略ノート見ながらやったけど、ステージ2の情報だけほとんど抜けてるじゃん! なんで? あたし昨日の夜ぜんぜんクリアできなくて、めっちゃムカついたんだけど!」


 朝食の後だった。食器を片づけている僕に、遅れて起きてきた妹が、噛みつくように文句を言ってきた。


「いや、ステージ2は覚えやすかったし、ほとんどミスしないことが多かったから。当時は必要ないかなって思ったんだよ。僕しかどうせ使わないしさ」


「何それ、嫌味?」


 妹は眉間にしわを寄せ、横から僕を睨んだ。ヤンキーかよ。


「僕はそうだった。っていう話をしただけだよ」


「じゃあ、あたしのために書いてよ」


「やだよ。自分で調べながら書けばいいだろ」


「よくない。どんだけ時間かかると思ってんの。馬鹿じゃん?」


「ははは……」


 だよね。半年以上かかりました。


「そうだ、わかった。お兄ちゃんさあ、ステージ2クリアしてみせてよ。それを見ながらあたしがノート書くから。それならどう?」


 妹は溜息をつき、しぶしぶという感じで提案した。


「まあ……それだったら」


「じゃあ決まりね。いまソッコーでごはん食べるから、先にステージ1クリアして待機しててね。ノートはあたしの机の上に置いてあるから。間違っても、部屋漁らないでよ」


「はいはい」


 ここまで横暴だと、逆に文句のつけようがないな。


 まあ特に予定もないし、たまにはこういう日もいいだろう。ゲームをしていれば、九先輩のことを考えずに済むかもしれない。


 僕は手に付いた洗剤を落とし、蛇口の水を止めた。



 部屋に戻るなり、僕は机に向かった。自分のスマホに『無理きわ』を再インストールし、その間に攻略ノートを読み直す。


 簡単に説明すると、『無理きわ』は全15ステージのアクションゲームだ。全部で三回失敗すると終了。コンテニュー不可で、必ずステージ1からやり直し。これでもかというくらい意地悪な罠が仕掛けられているのが特徴で、全てクリアしようと思ったら、相当な集中力と根気、運を要する。だから誰もが匙を投げるのだ。


 かく言う僕も、ノートがあるにもかかわらず、ステージ1だけで二回もやり直してしまった。


 そこへ妹がやって来て、圧力をかける。


「ちょっとお兄ちゃん、マジでクリアしたことあるの? めちゃくちゃミスってるじゃん」


「うるさいな」


 横スクロールの画面でキャラクターを動かす。走ったり跳んだり。罠を避けて、また罠を避けて、不規則な動きの敵を回避する。


 ようやくステージ1をクリアし、肝心のステージ2。


「じゃあ、ノートとれよ」


「オッケー」


 ステージ2はパズル要素のあるステージで、僕はこのステージがわりと得意だった。結果、一発でクリアできたけれど、


「ちょっと、なに速攻でクリアしてんの? こっちのことも考えてよ」


 肝心の妹のノートが追い付かず、それから何度かやり直すはめになった。


 やり直すには、再度ステージ1をクリアする必要がある。うんざりしてきて、集中力が無くなり、またステージ1でもちょこちょこと凡ミスをするようになった。


「ていうかさー、お兄ちゃんって狂ってるの?」


「はあ?」


 妹がぽつりとひどいことを言った。僕は画面に目を向けたまま、顔をしかめた。


「違うな『狂ってた』か。過去形──いや、今も?」


「おい、自分の兄貴を狂人よばわりするなよ」


 今すぐスマホを置いて部屋を出てもいいかなと思ったけれど、よく考えたらここは僕の部屋だった。しかたなく適当に耳を傾ける。


「だって、こんなエンドロールすらあるかわかんない馬鹿みたいなゲームに何ヶ月もかけて挑んじゃってさあ。時間の無駄だなって思わなかったの?」


「まあ……」


 ちなみに、ごく短いエンドロールは存在する。この目で見たから確かだ。


「こんなの、全部クリアできなくて当たり前じゃん。みんなと一緒にさっさと諦めればよかったのに。しつこすぎ。ただの変態だよ」


「へ、変態とか言うなよ」


「だってそうじゃん」


「はいはい、そうですか……」


 その口ぶりからすると、すでに妹は、自分がクリアするのを諦めている感じだった。


 確かに。どうせただのゲームだ。仲間はずれにされない程度にブームに乗っかって、要領よく学校生活を上手く楽しむ方が賢い選択だ。圧倒的に妹の方が正論で、僕の方がおかしい。自分でもそう思う。わざわざ苦労して、何の意味があるかわからないことに情熱を注ぐなんて、頭の悪い異常者のやることだ。もっと有意義なことに、得することに時間を使えと言いたくなる。


 ああ、そうか。


 僕は気づいた。異常なのだ。普通の人から見れば、ナゾ解きなんてただのひまつぶしで、それを仕事に生きていこうだなんて、頭の悪い発想なのだ。


 先輩が自分の夢を教えてくれたあの日。桂木は『不可能とは言わない』と断っておきながら、その後の口ぶりでは、を前提に話していた。確かに、いくばくか先輩のことを思って奴なりに調査したのかもしれないが、結果としてその提案は、先輩の夢を実現する方法ではなくて、はじめから諦め、妥協させようとする方法だった。だから先輩はあそこまで怒ったのだろう。


 ずっと心の奥に引っかかっていた答えが出て、僕は少しばかり気が晴れた。妹はそれからも脈略のない話をしてきたが、僕はおおらかに対応できた。そして三回目のステージ2に突入し、そろそろ妹のノートが完成しようかという頃合いだった。


「ところでお兄ちゃんさあ、何か悩んでるでしょ?」


 いきなり妹が尋ねた。


「え?」


 僕はつい反応し、あろうことかミスをしてしまった。


「最近ため息ばっかりだもん。どうせあれでしょ? 恋の悩みでしょ?」


「いや……違うし……」


 中学生に言い当てられたとなると恥ずかしいので、なんとかごまかそうと思った。


 ところが気持ちに反して、ふたたび超のつく凡ミスをした。ステージ開始早々、わかりきった場所に仕掛けてある罠に引っかかってしまったのだ。


「うわ、ダサッ、図星?」


「うるさい」


 僕は顔が熱くなるのを自覚した。妹はおかしいのをこらえるように、くつくつと笑った。


「てゆーか別に、お兄ちゃんの恋バナに興味ないの。ただ、どうせ恋愛するなら楽しくやってほしいんだよね。憂鬱そうな顔でやられても誰も得しないし。さっさとやめて、次に行きなよって感じ」


「……簡単に言うなよな」


 生意気な物言いにムカついたけれど、それなりに思うところはあり、言い返せなかった。


 僕、そこまで暗い顔してたかな。


「まあ、お兄ちゃん変態だから、言ってもしょうがないかー」


 妹がからかうように言う。


「……さっさとノート書き上げて、出て行ってくれない?」


 僕は話を無理やり切りあげ、ゲームに集中した。けれど頭の中は、九先輩のことでいっぱいだった。胸の中は葛藤で渦巻いていた。


 諦める、か。


 その選択肢はまったく無い。……とは、言い切れない自分がいる。


 ナゾ解き勝負を提案したのはそもそも僕だし、やり遂げなければ先輩に失礼だと思う反面、仮にやり切ったとしても……勝つどころか、また彼女をがっかりさせるのがオチのような気もする。


 それならいっそこのまま諦めたほうが、傷を深めることもないし潔い、という考え方もある。


 こんなことなら勝負なんて始めなければよかったと、何度後悔したことか。


 ……でも同時に、こうも考える。


 もしここで諦めたとして、僕は三ヶ月後、彼女が卒業し去っていくのを、笑顔で手を振って見送ることができるのだろうか、と。


 それに先輩との関係が切れるということは、僕にとっては別の意味も孕んでいる。僕はまだが少しも視えていない。でも今とはちがう道が存在することだけは勘づいている。そんな状態で先輩と離れ、一人になったら。僕だけで、既存の価値観に抵抗できるか? ちがう道を模索し続けることができるか? それとも今までどおりなんとなく大人の言うことに流されたまま、自分の進路を、人生を、歩んでいくのか? なんの疑問も、何の迷いもなく、当たり前のような顔をして、それができるのか? 


 僕は結論を出さぬまま、ゲームの世界に逃げ込んだ。


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