23 もうサーティファイブだよ
ようやくだ。
僕はその放課後、ようやく公民館に辿り着くことができた。
しかし残念ながら、九先輩に会うことはできなかった。
なぜなら現在の時刻が午後七時を回ろうとしており、ナゾ解き同好会の活動時間をとっくに過ぎているからだ。普段の活動では、僕たちはいつも午後六時には公民館を出てしまうのだ。
「意味ないよ。こんなんじゃ……」
僕はすでにわかっていたことを、あらためて呟いた。
声に出すと、自分の愚かさ、情けなさが込み上げてくる。また涙が出そうになる。
学校を出てから、僕はずっと外を徘徊した。
公民館へ行こう。あの第四和室で、先輩と向き合おう。
そう自分に言い聞かせて歩き出すも、身体は思いどおりに動かない。なんとか公民館の近くまでは行けたのだけど、敷地まで入っていくことができない。そんな意気地のない僕がとった行動は、周辺の地域をぐるぐると遠回りし続け、時間かせぎをすることだった。
結果、歩いているだけで午後六時を大きく過ぎてしまった。それでも『とにかく公民館に行く』という目標だけは成し遂げようと思い、無意味だとわかっていながらも、ここに来たのだ。
情けない。本当に自分が情けない……。
気づけば頭の上に雪が積もっていた。手で払っても、次々と降ってくる。
当たり前だけど寒かった。ずっと外を歩いていたので、顔と手の感覚が麻痺しつつある。
公民館に到着したのはよいものの、中に入る用事は無いし、かといって、即刻まわれ右をして帰ることもできず、僕はその正面に向かって呆然と佇んでいた。今日は稽古が無いのか、柔道場の明かりがついていない。全体的に建物がひっそりしている。
「あれ? 君、ここで何してるの?」
その時、どこからともなく声をかけられた。見ると、建物の陰から誰かが顔を出していた。
いつも事務室にいる、金髪のお姉さんだった。
「え、いや……特に何も……」
なんと答えてよいかわからず、口ごもった。事実、ただ立っていただけだし。
「ふうん──うわ、雪すごいなあ」
空を見上げながら、彼女はひょいと姿を現した。大人っぽい色合いのピンクのニットセーターを身につけているものの、上着を着ていない。僕が言うのもなんだけど、寒そうだ。
「お姉さんこそ、何してるんですか?」
僕も尋ねてみた。まともに言葉を交わしたのは初めてかもしれない。
「いやあ、なんか電波わるくてさあ。もしかして雪のせい?」
お姉さんは片手に持ったスマホを掲げ、左右に振りながら言った。よく見ると耳にイヤホンも付いている。おそらく動画を観ている最中に再生がストップしたとか、そんなところだろう。
相変わらずだなあ。
「ていうか君、めちゃくちゃ寒そうだね。中、入っていきなよ」
彼女はスマホを振りながら言った。
「え、でも」
施設を使う予定も無いのに居座るのは、迷惑なのでは?
「いいから。どうせ今日は八時まで予約入ってないし。動画観れないと、わたしひまだし」
「ははは……」
どうやら僕はスマホの代わりらしい。
でもその心遣いはありがたかったので、素直に甘えることにした。ところが『ロビーで暖をとれ』という意味だろうと思っていたら、なんとお姉さんは僕を事務室の中に入れてくれた。
「い、いいんですか、入っちゃって?」
「大丈夫、大丈夫」
部屋の三分の一を占めている来賓用らしき黒のソファに座らせられる。落ち着かない。
室内はエアコンに加えてパネルヒーターがついていて、ぽかぽかと暖かかった。冷えていた顔と両手が、じんわり熱を帯びる。
「コーヒーでも飲む? インスタントだけど」
「はい。飲みます。ありがとうございます」
しかも温かいコーヒーまで淹れてくれるとは。優しすぎる。
今まで抱いてきたお姉さんの印象とまるっきりちがうので、僕はだいぶ戸惑った。よく考えたらこんな環境でぬくぬくと動画ばかり観ているってどうなのだろう、と水を差すようなことを思ったけれど、それにしても優しい。
「君、最近どうしてたの? 全然来てなかったじゃん」
電気ポッドのお湯をコーヒーカップに注ぎながら、お姉さんが尋ねた。
どうやら彼女なりに気にかけていたらしい。僕なんかには興味がなさそうな人だと思っていたけれど、ちゃんと見ているところは見ているようだ。
「ちょっと、いろいろあって」
僕は返答に困り、言葉を濁した。
「ふうん。あ、ブラックでもいい?」
「いいですよ」
彼女はそのカップを持ってきて、僕に手渡した。真っ白いカップは薄い素材で、かじかんだ手を添えると熱かった。湯気立ったコーヒーはいかにもインスタントな味わいだったけれど、身体にじんわり染み渡った。
するとお姉さんが自分の席に着き、ぎしりと事務椅子に腰かけて尋ねた。
「ね、『いろいろ』って何? もしかして彼女と別れたの?」
「え?」
……彼女?
「あの嫌味なくらい美人な彼女よ。九さん、だっけ?」
「はあ!?」
反応した拍子にむせてしまった。口に少しだけ含んでいたコーヒーが、気管に入ったようだ。
「大丈夫? もしかしてわたし、地雷ふんだ?」
「いや、あの……そもそもあの人は、彼女じゃないですから」
「へえ、そうなんだ」
納得顔でお姉さんは頷く。
「じゃあ、まだ君の片想いなんだねえ」
僕はまたコーヒーを吹き出しそうになった。
「可愛いなあ。やっぱりそうなんだあ」
お姉さんはにやにやと笑みを浮かべる。からかわれているようで悔しい。
「なんで、そう言い切れるんですか?」
「だって、どう見たって君、『あの子のことが好きー』って顔してるんだもん。一緒に帰っていく時とかさ、わかりやすいくらいだよ」
「ですか……」
一体どんな顔してたんだ僕は。恥ずかしい。
お姉さんは机に立て掛けてあるファイルの中から、一つをひょいと選んでぱらぱらとめくり、
「そうそう、出口悟君、だよね」
「はい」
「それで、今日はほんとにどうしたのさ? 最近ぜんぜん顔見ないなあと思ってたら、こんな時間にやって来て、外でぼうっと突っ立ってるんだもん。あれはちょっと引いたよ」
「す、すみません」
「いいよいいよ。面白いし」
彼女は机に片肘を突き、八重歯を見せて笑った。
「でもさあ。なんか放っておけないから、もし悩んでるなら、お姉さんにぶっちゃけちゃいなよ。こう見えても君の二倍くらい生きてるし、夫・子持ちだからさあ。男女関係のことなら、良いアドバイスできると思うよ?」
「はあ」
余裕のある年長者の構えだ。
恋愛相談というものは、どこか恥ずかしくて、抵抗があるけれど……優しくしてもらって嬉しかったし、お姉さんになら話してみてもいいかなあ、という気持ちにはなった。
「……」
でもなあ……。
「なんで黙ってんの?」
「あ、いや……すみません。なんか、理解してもらえるのかなって……」
失礼を承知で僕が言うと、お姉さんはむっと顔をしかめた。
「生意気だねえ。言ったでしょ? お姉さん、君の二倍は生きてるって。わたくし今年で三十五でございますよ。どうする? もうサーティファイブだよ。アラフォーだよ?」
彼女は鼻息を荒くする。僕への不満が、いつの間にか自分の加齢に対する憤りに変わっている気がするけど──ともかく、自信はかなりあるみたいだ。三十五歳と言いつつ見た目は若いし、恋愛経験が豊富そうな雰囲気は持っている。
「じゃあ、打ち明けますけど……くれぐれもここだけの話にしてくださいね。間違っても九先輩にはバレないように」
「もちろん、オッケー」
お姉さんはOKサインを作り、それをほっぺたにくっつけた。ノリが軽くて不安だなあ。
まあ今さら止めるわけにもいかないし、駄目でもともと。信じてみるしかない。
「ええっと……まず、お姉さんの言うとおり、僕は先輩に片想いをしまして……」
僕は事の経緯と、いま自分が置かれている状況を彼女に話した。
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