24 回り道と覚悟

 九先輩との勝負にまつわることを、すべてお姉さんに伝えた。告白したところから始め、打ちのめされて同好会に顔を出せなくなったことも、勝負の期限があと二日しかないことも、すべてだ。


 本当はそこまで赤裸々に喋るつもりはなかったのだけど、お姉さんにうまく引き出されてしまったというのが本音だ。さすが年長者という感じの対話力だった。


「ふうむ、話を聞いていてちょっと突っ込みたくなったんだけど……恋人関係って、そんなギャンブルみたいな感じで成立するもんなんだっけ? それ、南ちゃんが聞いたら怒るやつじゃない?」


「南ちゃん?」


「タッチだよタッチ。平成っ子にはわかんないか」


 尋ねると、お姉さんは苦笑した。


「しかしねぇ……悟くんの話を聞きながら考えてたんだけどさあ。それって、もう難しいクイズ作るしか、解決方法なくない?」


「まあ……はい……」


 相談に乗ると言っておいて、いきなりその結論はどうなのだと思ったが……おっしゃる通りです、とも思った。


「それか、土下座して降伏宣言する? 芸能人の記者会見じゃないけどさ、誠意さえ見せられたら、いくらか大目に見てくれるかもしれないよねえ。極刑にしようと思ったけど情状酌量の余地ありで減刑、みたいな。……あ、でもそうしたら九さんとは切れちゃう運命か。卒業しちゃったら、県外だもんねえ」


「そうですね……」


 先輩の進路についても、お姉さんには伝えていた。そもそもなぜ先輩にこだわるのかという前提を尋ねられたら、進路のことは外せなかったからだ。


「残酷なようだけど、悟君の予想は当たると思うよ。お姉さんの経験から言うと、学生時代にすごく仲良かった友達だって、距離が開けば疎遠になっていくもん。毎年あけおメールはするし、相手が里帰りする時だけは会うけど、結局その程度だよ。そう考えると、悟君たちの場合は、もっとねえ」


「ぶっつり……」


 僕はオウム返しに呟いた。想像し、血の気が引くのを感じた。対岸へ続く橋が、真ん中から一刀両断されるようなイメージだった。


「やっぱり、それは嫌?」


 お姉さんは僕の顔色をうかがうように尋ねる。


「それは……はい、嫌です……」


「そうだよなあ。うーん、本当にどうしようもないのかなあ?」


 彼女は腕を組み、ぎしり、と椅子の背に寄り掛かった。これといったアドバイスは思いつかないようだ。


「よし!」


 だが突然、パンと手を叩いた。


「お姉さんもちょっと考えてみるから、悟くんの作った問題、見せてみて」


「え、いいですけど」


 面目が立たないと思ったのだろうか。それともクイズを見れば妙案が浮かぶと思ったのか。お姉さんはそう言うと「さあ来い」と身構えている。


 ……あまり期待はしない方がいいかなぁ。


 僕はポケットからスマホを取り出し、どのクイズがいいか選んだ。


 同好会に顔を出せなくても、新しいクイズは作り続けている。最近できたそれらの中から試しに一問を抜き出し、僕はその端末ごとお姉さんに手渡した。


「どれどれ」


 彼女は自信ありげな表情で、それを眺めた。



【問題25】

『岬君は、友達の船越君と一緒に、ジョギングに行く約束をしていました。その日、岬君が自宅で待機していると、船越君が約束どおり迎えに来てくれました。岬君は外が暗いように見えたので「今日の天気は曇りか?」と船越君に尋ねました。彼は寒がりなので、天気が良くない日は暖かいウェアを着て、外出するようにしているのです。


 でも船越君は「晴れだ」と答えました。岬君は船越君の言うことを信用し、普段どおりの格好で外に出ました。


 ところがすぐに岬君は空を見て「やっぱり曇ってるじゃないか」と怒りました。事実、空は雲で覆われています。しかし船越君は同じ空を見て「どう見ても晴れだ」と言い張ります。さて、なぜでしょうか?


※補足:ここでの『空』とは、問題文中の現在時刻における上空のことを指しています。テレビや動画、写真などの空を見て話しているのではありません』



 お姉さんはぶつぶつと呟きながら問題文を読み、いくつか回答をした。


「『岬君は目が見えていない』、なんてどう? 自分の目が見えてないなら、外の天気だって見えないでしょ?」


「ちがいます。『空を見て』って書いてるじゃないですか。目が見えないなら『見て』と書くのは嘘になりますから」


 残念ながら、そのどれもが不正解だった。


「わかんない。ギブアップ。正解は?」


「正解はですね──」


 僕が答えを教えると、彼女は不服そうな顔をした。


「何それ。なんか納得いかないなあ。もう一問、違うやつちょうだい!」


「じゃあ次は──」


 そんな具合に、彼女はクイズ作りを手伝うどころか、僕が作ったそれらを解くのに必死になり、結果、一問も正解できず悔しがっていた。


 新しいクイズを考えるのが当初の目的だったのだけど、ただ二人で遊んでしまった。成果は特に何も得られなかった。


 まあ楽しんでもらえたみたいだから、それはそれで嬉しかったけれど。


「それにしても、いいなあ……こういう共通のものを二人で楽しめるってさあ……」


 お姉さんは散々クイズを楽しんだのちに、ぽつりと呟いた。


「あんな小っちゃい和室で、二人して何やってんのかなあ、ちちくり合ってんのかなあって、わたし、いつもムカついてたんだよねえ」


「そ、そんなことしてないですから!」


 いきなり何を言い出すんだこの人は。


「でも普通はそう思うじゃない? 君たちのこと、よく知らないしさ。でも話を聞いたら、逆に応援したくなっちゃったなあ」


「ははは……」


 僕は笑って流した。『普通は』って言葉、僕も嫌いになりそうだなあ。


 彼女は事務机にだらりと上体を預け、大きく息をついた。 


「ほんとにうらやましいなあ。わたしなんて結婚して三年目だけどさあ、旦那とはお互い仕事ですれ違いも多いし、顔合わせても日常会話がちょこちょこあるだけで、つまんないしさあ。子供がいなかったら、きっと離婚案件だよねえ。まあ、離婚してもいいっちゃあいいけど……親権で揉めたりするのはやだなあ」


「はあ」


 そんなぼやきを聞かされても、まだ僕には早すぎるんですけど。


「そうそう、つまんないといえばさ。悟くんさあ、やっぱり明日こそ、ちゃんと同好会に顔出した方がいいよ。ここ最近の九さん、なんか退屈そうに見えたから」


「え?」


 お姉さんはだらりとした姿勢のまま、真面目な口調で言った。


「新しいクイズ、もしかしたらすぐに正解されちゃうかもしれないけどさあ。せっかくいっぱい作ったんだから、全部見せてあげなよ。きっと今のまま終わるより、ずっといいよ」


「そうですかね……?」


 仮に全部見せてがっかりされたら嫌だから、そうできずにいるんだけど……。


「そうだよ。それは間違いないと思う」


 彼女は自信ありげに答えた。


「それと、もしかしたらラッキーで、一問くらい九さんの解けないクイズがあるかもしれないでしょ? このお姉さんがぜんぜん解けなかったんだから、可能性はあるんじゃない?」


「……」


 僕は返事をしなかった。


「ちょっと。黙ることないでしょ! せめて何か返しなさいよ!」


 彼女はがばっと上体を起こした。


「そう言われても……正直なところ、お姉さんだと比較にならないんですよね……」


「そこは無理に正直にならなくてもいいよ!」


 彼女はそう言い返してから、さすがにちょっと傷つくよお……と泣き真似をした。


 そんなやり取りをしていたら気分が軽くなってきて、僕は笑った。つられるようにお姉さんも笑った。僕は彼女を見直した。あまり頼りにはならないけど、なんでも気兼ねなく話せて、心が楽になる。


 九先輩が解くことのできない、超難問を作りたい。


 それは確かな欲求だし、達成したい僕の目標なのだけど、思い浮かばないものはどうしようもない。今ある手持ちの武器と、これから先の僕に望みを託すしか方法はない。


 そんな考え方はただの開き直りだし、根拠のない楽観主義だけど、いいじゃないか。無計画で戦地に飛び込んだって、しかたないじゃないか。大事なことから目を逸らすため馬鹿になるくらいなら、先輩に対して馬鹿になる方が、よっぽどましだ。


 はじめからそう考えればよかった。十日間も回り道をする必要なんてなかったんだ。


 ……いや、余計な回り道をしたからこそ、こういう心境に辿り着けたのか。


「ありがとうございました。僕、明日は同好会に参加します。ちゃんとここに来て、先輩に会います」


「うん、頑張れ。少年よ」


 僕はお姉さんに礼を言い、公民館を後にした。


 雪が止んでいた。僕の目の前には、真っ白な道なき道が広がっていた。


 勝負は終わってないぞ。


 僕は覚悟を決め、一歩前へ踏み出した。


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