29 勝負の決着は
翌日の昼間、外は天気だった。空に対する雲の割合が七くらいなので、あまり晴れっぽくないけれど『晴れ』だ。僕は目的地へ向かい、一人で歩道の上を歩いていた。
路面に十センチほど雪が積もっている。昨夜はあれから、だいぶ降った。
誰かが歩いた足跡が道のようになっていたので、なぞるように進んだ。でも、それを踏襲できたのは途中までで、曲がり角から先は、僕が足跡をのこす役回りになった。僕は後にやって来る人のため、すり足ぎみに歩き、道をなるべく広く作ってあげようと思った。
するとポケットの中のスマホが震えた。
取り出してみると桂木からのメッセージだった。ナゾ解き勝負の結末を問う内容だったけれど、しばらく放っておくことにした。これからもっと大事な用事があるし、あいつの相手をするのは、その後でいいだろう。
そうこうしているうちに、僕は目的地へ到着した。
いつもの公民館だ。
ガラス戸を開けて中に入る。外よりはマシだけど、ロビーはひんやり肌寒かった。
「こんにちは」
僕は受付の小窓を開けた。
「あ、うそ、来た!」
お姉さんがこちらを向いた。珍しくちゃんと事務仕事をしている様子だったけれど、僕の声ですぐに中断してしまった。立ち上がり、窓口まで駆け寄ってくる。
「今日から冬休みだよねー。予約入ってなかったから、来ないんだろうなって思ってたよー」
ナゾ解き同好会は、土日だけじゃなく祝日と長期休暇の時も、基本的に活動をしないのだ。
「その予定ではあったんですけど、急遽変更になりまして」
「そうなんだー。大丈夫、いつもの部屋、空いてるよ」
お姉さんは親指を立て、ウィンクをした。それにしても、数日前とはキャラクターが全然ちがうなあ。
こんなふうに和気あいあいと会話する関係になるとは、想像もしていなかった。たった二日間ではあるけれど、お姉さんには本当にお世話になった。彼女がいなければ、たぶん最終問題はひらめかなかったと思うし、たくさん応援もしてもらった。
「だからその前に、お礼も兼ねて結果報告したいと思って、ちょっと早めに来たんです」
僕はそう言って笑ってみせた。
すると彼女は口に手をあて、両目を見開いた。
「うそ……その顔……もしかして、勝ったの!?」
彼女は嬉しそうに飛び跳ね、「きゃー、やったー!」と声を上げた。その黄色い声が、静かなロビーに反響した。
「えーっと」
僕は恥ずかしくて、頭をかいた。
「違います。僕、負けたんです」
「……え?」
「おかげさまで、かなり善戦はできたと思うんですけどね」
彼女は、ぽかんと呆気に取られたような顔で、僕を見つめた。
「でも悟君……負けたのにどうしてそんな嬉しそうなの?」
「嬉しそうな顔してますか、僕?」
「うん、すごく」
「まあ、完全燃焼できてすっきりしたっていう気持ちもありますし、それに──」
首をひねるお姉さんに、僕は昨夜のことを話して聞かせた。
昨夜、午後11時59分ぎりぎりに、九先輩から着信があった。
僕がその電話に出るなり、彼女は早口で最終問題の回答をし、みごと時間内に正解してみせたのだ。
一ヶ月間のナゾ解き勝負が決着した瞬間だった。僕は長い緊張が解け、脱力し、ベッドの上で大の字になった。なんだか、すごく肩が凝っていた。
『本当に良い問題だったわ、出口君。ありがとう。さすがとしか言いようがない、すばらしい出来だったわ』
先輩は、スマホ越しに僕の健闘を称えてくれた。
『結婚や離婚調停にかかわる知識が乏しかったことと、問題を自身の家庭環境に重ねてしまったことが、私の目を曇らせたようね。いざ答えに気づいた時は、おかしくて笑ってしまったもの』
彼女は興奮ぎみに喋り続けた。そして面白かった映画の講釈を述べるように、僕が作った最終問題について、語ってくれた。
『改めて読めば、単純なギミックなのよね。たとえプロポーズが成功して、式を挙げ、子供を作ったからといって──そもそも入籍手続きをとっていなければ、公的には結婚済みの夫婦ではないという話よね。それなら離婚の調停を申請したって、棄却されるのが当然。仮に二人が事実婚と認められる状態だったとしても、その場合は『離婚調停』ではなく、公的には、ただの『民事調停』の申し立て、というロジックよね』
「そうですね」
僕は苦笑しながら、その声を聞いていた。
『正式に結婚してるからこその、正式な離婚──よく考えついたものね。本当に、大したものだわ』
彼女は芸術作品を味わうかのように、しみじみと締めくくった。
「ありがとうございます。それと……参りました」
文句なしの降参だ。
でも、悔いはぜんぜん残らなかった。途中で回り道はしたかもしれないけれど、自分の持てる力は存分に出し切った。そう断言できる戦いぶりだったと思う。
「答え、ぎりぎりでひらめいたんですか?」
尋ねると、先輩はくすくす笑った。楽しそうだ。
『いえ、本当は三時間くらい前には解けたのだけど、勝負に勝ってあなたに何をお願いするか悩んでいたら、この時間になってしまったのよ。どうせ回答のために連絡するのなら、一緒にお願いも聞いてもらう方が、効率的でしょう?』
「はははっ」
九先輩らしい答えに、僕は思わず笑ってしまった。
さすがだ。やはり敵わぬ相手であることに、変わりはなかったみたいだ。
僕は一度ながく息を吐く。頬をぴしゃりと叩き、身体を起こした。ここからは気を引き締めなければ。
「それで、先輩のお願いは、何ですか? こうなったら本当に、なんでもやってみせますよ」
無茶な勝負を仕掛けたのは僕の方だ。覚悟はできている。
お金だったら、何年かけてでも稼いで貢ぐし。
何か希少な物なら、駆けずり回ってでも探しに行こう。
その規模が膨らめば膨らむほど、想像するだに身震いがするけれど……心から慕っている女性に尽くすという人生も、悪くないなと素直に思えた。というかまったくそういう意図はなかったのだけど……よく考えてみたら、それも彼女との繋がりになる。あまり良い繋がりとは言えないけれど、卒業後も連絡を取り合う関係にはなれそうな気がする。
『では、お言葉に甘えて、お願いするわね』
先輩は意地悪っぽく告げた。
「どうぞ」
僕はつばを飲み込んだ。
『出口君』
「はい」
『私と──勝負をしなさい』
「──え?」
僕は思わず聞き返した。予想していた類の言葉がいっさい登
場しなかったので、聞きまちがえかと思ったのだ。
『私と、勝負をしなさい』
彼女は繰り返した。
「な、何の、勝負ですか?」
するとスマホの向こうから溜息が聞こえた。呆れているようだ。
『そんなこと、言うまでもないでしょう。ナゾ解き勝負よ』
「え、ええ? つい昨日までやってたじゃないですか!」
『そうだけど、今度は少し違うわ。次は私から出題して、あなたがそれに答えるのよ』
「先輩からですか?」
そんなの、この半年間でも数回しかない。
『ええ、でも一問だけね。条件は次のとおりよ。ノーヒントで、回答は一度きりにするわ』
「ちょ、ちょっと、待ってください」
僕は慌てて紙とペンを用意し、先輩がいきなり告げるクイズと回答条件をメモした。
それはものすごく厳しい内容だった。
彼女は挑発的に笑い、通話の最後をこう締めくくった。
『──これが私からあなたへのお願いよ。どう? ナゾ解き同好会の会長らしい、素敵なお願いでしょう?』
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