30 希望の星
「はあ? 何それ!?」
朝の公民館のロビーに、お姉さんの驚きの声がびりびりと反響した。
「お姉さん、声……」
僕はそう言って人差し指を口元に当ててみせた。現在この建物を利用している人がいるかは不明だが、さすがにうるさいと迷惑してしまうだろう。
「あ、うん、ごめん」
お姉さんは受付の小窓から飛び出さんばかりに前屈みだったが、おずおずと身を引いた。なんか一ヶ月前にも、こういうやり取りを誰かとしたような気がするなあ。
「それで……えっと、もう一回訊いていい? お姉さん、処理しきれなかったよ。まず、その九さんが出したクイズに一発正解できたら、前回の負けは帳消しになって、悟君は晴れて自由の身になるんだよね?」
「はい、そういうことです」
「それで、もし間違えちゃったら?」
「先輩の今後の活動資金として、これから毎年百万円を、僕が死ぬまで寄付し続けること。それと僕は速やかに同好会を去り、かつ、僕の後任を見つけてくること、だそうです」
つまり僕が勝てば免罪だけど負けたら追放──先輩のナゾ解き活動を陰から支えるも、彼女に会うことは許されない。ハイリスクでありながらノーヒントで、一発回答というのが今回の勝負の条件だ。
「いくらなんでも、さすがに酷じゃない? そんなの、もし負けたら都合の良いパトロンじゃん。パパ活かよ。悟君にそういう扱いをするのは許さん」
お姉さんは腕を組み、口をへの字にする。完全に僕の肩を持つようになったなあ。
「で、回答の期限はいつまでなの?」
「それなんですけど……」
僕が回答期限と、それに付随するルールを伝えると、
「んん……?」
お姉さんは首をひねった。大きな目がくりくりと動く。必死に情報を咀嚼しているようだ。
「それって、なんかおかしくない?」
「わかります?」
するとその時、玄関のガラス戸の向こうに人影が見えた。どうやら時間切れみたいだ。
「じゃあ、話の続きは次回で」
僕は話を切り上げて外へ出ると、その人の目の前まで駆けた。澄んだ空気が、知らず熱くなっている頬を冷やす。
彼女は僕に気づくと立ち止まり、凛としてその場に佇んだ。
「今日も早いわね。活動意欲があって何よりだわ、出口君」
九先輩は腰に手を当てて言った。私服姿だった。黒のワンピースに有名ブランドの黒いダウンジャケットを羽織っていて、首にはいつものマフラー、足元は茶色い革のブーツを履いていた。
「それで、昨夜私が出した問題の答えはわかったかしら?」
彼女は小首を傾げ、こちらの様子を探るように尋ねた。
「はい、先輩。その回答なんですけど──」
「おーい、お二人さーん」
その時、公民館からお姉さんが出てきて、僕たちに声をかけた。寒そうに身を縮めながら、白い息を吐く。
「悪いけど、今日は和室が予約でいっぱいになってるから、別の場所で活動してね」
「えっ」
驚いた。さっきは空いてるって言ってたのに……。まさかこのタイミングで、急に電話かインターネットでの予約が入ったのだろうか。
あ……違うな。これはきっと、そういうことじゃない。
「それなら仕方がないわね。街に出て、どこか良い場所を探しましょう」
「ですね」
先輩がそう言い、僕たちは公民館を後にした。去りぎわに振り返ると、お姉さんがにこやかにピースサインをしていた。
「やっぱり、そういうことか」
合点がいき、僕は独りで呟いた。
「どうかしたの?」
聞こえてしまったらしく、先輩がいぶかしげに尋ねた。
「あ、いや、何でもないです」
「そう」
特に追及はなく、僕はほっとした。
お姉さんには狙いがあったのだろう。『予約でいっぱい』というのはたぶん嘘で、彼女はきっと、僕たちを公民館以外の場所へ送り出したかったのだ。
おかげで僕と先輩は、街を歩いている。昼間だけど、電飾のついた看板や、木々のイルミネーションが目につく。ナゾ解き勝負に集中しすぎて意識しなかったけれど、昨日もきっとそうだったはずだ。
先輩が、通りに面した穏やかな雰囲気のある喫茶店を指差した。幸い、ガラス越しに見ると、席がいくつか空いているみたいだったので、僕は頷いた。
店の手前に、大きなクリスマスツリーが屹立していた。てっぺんには大きな星が飾られ、青いLEDがいばらのように巻き付いている。クリスマスツリーの星は『ベツレヘムの星』を模しているという話を、先輩がすらすらと教えてくれた。
俗に、イエスキリストが誕生した際、その居場所であるベツレヘムを三人の賢者に示した特別な星があったといわれており、それが『ベツレヘムの星』であるらしい。実際にはキリスト生誕の地はイスラエルのナザレだとされているので、何がなんだかわからないことになってしまうが、要するに『希望を指し示す星』のように捉えればいいのではないか、と彼女は結論づけた。
先輩の話を聞きながら、僕はまだ、その星が示す場所には辿り着けそうにないと思った。
僕の目の前に広がっているのは、茫漠として靄がかかっているような不確かな世界だ。ここまでなんとなく歩いてはきたけれど、その道が地上から何メートルくらいの高さにあるのか、落っこちたらどうなるのか、その先はどこに繋がっているのか、まったくわからない。靄の中に他の道が隠れているかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
僕は確かめたかった。だから勇気を出して一歩踏み出し、かろうじて、小さな足場を発見した。
星の輝きが示すのは、もっと先だ。
でもどうせ生きるのなら、僕はその星の下に辿り着きたい。何が待っているのか、確かめたい。たとえ変態だと揶揄されても……あまり良い気はしないけれど、別に構わない。
「そういえばさっきの話だけど、どう? 私が出した問題の答えは、わかったかしら?」
喫茶店に入ると、ちょうどツリーが見える窓際の席に通され、先輩は角ばった焦げ茶色い木の椅子に腰かけながら、思い出したように尋ねた。
「いえ」
僕は首を横に振り、あらかじめ用意していた答えを述べた。
「回答はまだ……ちょっと見当がつかないです。当分はわからないかもしれないですね」
予定どおり、最後まで真面目な顔で言い切ることができた。
先輩はふっと挑戦的に微笑んだ。
「そう。じゃあ、覚悟はできてるわね?」
「はい、もちろんです。大変でしょうけど、頑張ります」
僕たちは互いに笑みを浮かべ、にらみ合った。
外では希望の星がちかちかと煌めいていた。
【問題EX(九先輩が出題したクイズ)】
『日本に芸術家のA氏と、画商のB氏がいました。ある日の展示会で、B氏はA氏の作品をとても気に入り、個人的に買い取りました。A氏の才能を見出したB氏は、次の作品を要求し、A氏はそれにも応え、またB氏を喜ばせました。
そうしているうちに、B氏は自分の画廊に、A氏専用のアトリエを作るようになり、A氏はそこに住んで絵を描くようになりました。B氏はA氏の絵の造形を深めるため、様々な手助けをしました。寝食を共にしたり、動物を飼ったり、異国の文化に触れさせたり、お金を貯めるために別の仕事をしたり、子供を作ったりもしました。おかげでA氏の作品はさらに素晴らしいものとなり、B氏の喜びもひとしおでした。
では仮に、この二人が男女だった場合、その関係は何と呼べるでしょうか? 明確に五文字以内で答えること』
【第二次ナゾ解き勝負のルール】
・九一美が出題した一問に対し、出口悟が正解したら勝ち、できなければ九一美の勝ち。
・ノーヒントかつ回答は一度のみとするが、回答期限は設けず無期限とする。
【特別ルール】
・回答期限を設定しない代わりに、回答するまでの間、出口悟はナゾ解き同好会に所属し続けなければならない。同好会における九一美の活動に協力するとともに、2019年12月24日に制作したような良質な問題を作るよう努力し、九一美を満足させ続けなければならない。
(了)
ナゾ解き先輩 尾崎ゆうじ @sakurakanagu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます