ナゾ解き先輩

尾崎ゆうじ

01 道なき道のはじまりは鉄の味

 血の味がした。どうやら口の中が切れたらしい。頬がひりひりする。


『あれは痛えぞ』


 以前、桂木がそう話していたことを思い出す。その時は聞き流したけれど、今なら心の底からうなずける。加減されているとは言い難い、迷いのない平手打ちだった。


「腹が立つわね。あなたまで私をそんなふうに思っていたなんて……」


 きゅう先輩は静かに言った。その切れ長の目で、僕を正面から睨んでいる。


 こんなにも落ち着いた怒りの表明はなかなかお目にかかれない。腹を立てて後輩を引っ叩くという暴力行為に及んでもなお、その凛とした佇まいから滲み出る知性に陰りは見えなかった。


「ち、違うんです、僕は……」


 僕は大慌てで弁解を試みるも、先輩はそれを遮った。


「違う? 一体何が違うのかしら? 結局のところ、あなたも去って行った連中と同じだったわけよね?」


「そ、それは……」


 否定したかったけれど、言葉が続かなかった。僕は彼らとは違う。その主張を裏付ける明確な根拠を見つけ出せず、何も言い返せなくなった。


 僕は九先輩のことが好きだ。憧れているし、人として尊敬もしている。だから『ナゾ解き同好会』に入って約半年間、活動に毎日参加し続けた。


 結果だけ見れば先輩の言うとおり、僕もかつて在籍していた数少ない仲間たちと同類だろう。一時の衝動に駆られて彼女を怒らせたあげく、引っ叩かれた。


 失礼なことは言っていない。


「ずっと好きでした付き合ってください」


 と誠意を込めて告白しただけだ。でも先輩は、それを自分に対する裏切り行為のように受け取ったみたいだった。


 もちろん僕にそんなつもりはない。本気で好きなだけだ。他の連中とはわけが違う。断言してもいい。


 しかし証明するための言葉が出てこない。状況を打開するアイディアも浮かばない。このままでは僕も同好会を去らなければならなくなる。先輩のそばに居られなくなる。


 嫌だ。僕はまだを掴めていないのに。


「あなた、何をしているの?」


 その時、先輩が刺すように声を上げた。


 反射的に身をすくめた。──が、その対象は僕じゃないようだった。彼女は長い黒髪をなびかせて横を向き、そちらに鋭い視線を投げていた。


 遠目からスマホのカメラを向けている男がいた。ブレザーの学生服を着ている。高校生のようだが、僕たちとは違う学校の生徒のようだ。動画を撮っているのだと思う。僕が先輩に叩かれた場面、もしくは告白した場面から撮影していたのかもしれない。


 全然気づかなかった。現在僕たちがいる場所は、地元にある大型デパートの中で、本屋のテナント近くにあるベンチの前だった。他人の目がないことをそれとなく確認して告白に及んだつもりだったけど、どうやら見られていたらしい。


 しかも平気で無断撮影をはじめるような野次馬根性の奴。たちが悪い。短髪で身長が高く、体格も良かった。


 すかさず九先輩が男に向かって歩いて行く。躊躇はいっさい感じなかった。彼女の度胸と行動の早さにはいつも驚かされる。


 相手の男も驚いたみたいだ。呆気に取られた表情でその場にとどまっていた。先輩の身長は女子としては低くないけれど、その男との体格差は歴然だった。


「いま撮ったデータだけ消去するのと、そのスマホごと消去するのと、どちらがいいか選びなさい」


 先輩は臆することなく、なんと男の手にあった端末を素早く奪い取り、言い放った。


「おい、ちょっと!」


 男が反射的に取り返そうと手を伸ばすも、


「早く選びなさい」


 先輩は素早く距離をとってかわした。僕はハラハラしながら状況をうかがっていた。止めるべきか。いや、彼女は、僕が止まれと言ったところで止まる人じゃない。それならどうする? いざとなったら、無理やり割って入るか。僕だって護身術は少しかじっている。中学の時に友達からクラヴ・マガの技を教えてもらった。最悪の場合はやるしかない。うまくできるかわからないし、相手を傷つけるかもしれないが、しかたがないだろう。


 わずかに膝がふるている。できれば喧嘩にならないでほしい。僕はそう願いながら、ことのなりゆきを見守った。


 ──九一美きゅうひとみ先輩。


 本当はいちじくと読むのだけど、昔から学校ではきゅうと呼ばれているそうなので、僕もそれに倣っている。『ナゾ解き同好会』の会長に相応しい、ミステリアスな苗字だ。一文字で、つまり一字で九と書くから『一字九』だという。


 理由を聞けば納得するけれど、誰も最初から『いちじく』と読める人がおらず、先輩はその都度訂正するのに疲れてしまったらしい。珍しい苗字を持つ人に共通する苦悩だ。


 僕も苗字が出口いでぐちで、友達からは『デグチ』と呼ばれている。さほど珍しい苗字とは言えないけれど、気持ちは少しわかる。


 そんな僕──出口悟さとるがその怪しげな同好会に入ったのは、今年の春のことだった。


 特に打ち込めるものもなく、なんとなく普通の日々を過ごしていた僕は、気づけばあっという間に、高校二年生に進級していた。


 勉強だけはそれなりに頑張っていた。ことあるごとに父が「良い大学に入らなければ、将来の就職先はブラックしかないと思え」と脅すので、最低でも地元の国立大学に進学することを目指しているものの、本当にそれでいいのかな、という漠然とした不安を抱いていた。自分の意思に係わらず『なんとなく』大人に引っ張られていく恐怖というか、焦燥というか、そういう気持ちがあった。


 かといって他に何かしたいことがあるのかと問われれば、特に思い浮かぶものがなくて……じりじりと胸の奥をあぶられていくような、何とも言えない感覚に悩まされていた。


 そんな時、九先輩に出会った。


 学校の昇降口の近くにある生徒用掲示板の前をたまたま通りかかった際に、その姿が目についた。彼女は『ナゾ解き同好会 会員募集中』と、白地に黒の毛書体で記されたシンプルな自作ポスターを、画鋲で丁寧に貼っていた。


 凛とした佇まい。やや吊り目で、くせのないまっすぐな黒髪。時代が時代なら風紀委員にでも所属していそうな、厳粛な雰囲気。そんな彼女と『ナゾ解き同好会』という組み合わせが妙で、僕は思わず足を止めた。


 彼女は僕の存在に気づき、振り返った。ほんの数秒、見つめ合う形になった。


「ぼんやりしているくらいなら、入会しなさい」


 彼女は見透かしたように、涼やかな命令口調で告げた。僕は何も考えぬまま、


「はい」


 と答えていた。我ながらあっさりした決断だったけれど、早まったとは思っていない。


 出会った瞬間から、僕は九先輩が持つ何かに惹かれていた。それが何なのかは、同好会に通っているうちにわかってきた。


 彼女は僕が持てずにいるものを両手いっぱいに携え、それでいて堂々と生きているように思えた。


 約半年間そばに居続けることで、彼女の魅力に引き込まれた。冷静で厳しく、でもちょっと変なところもあって……気づけば僕は、先輩に対して恋愛感情を抱くようになっていた。


 その末路が平手打ちだ。


 ……いや、『末路』は適切じゃない。結果的に、そこからまだ道は続くのだから。

 ただ、それが道なき道だった、というだけの話だ。


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