02 まだ回答してない問題があるでしょう?

「何の役にも立たない動画を撮るひまがあったら、もっと社会のためになることをしなさい」


「は、はい……」


 あわれ僕の告白現場を盗撮していた男は、九先輩にそのスマホの動画データを完全消去されたあげく、公衆の面前で説教を受けていた。


「例えば、なぜ人は戦争を繰り返すのか、なぜがんは発生するのか、なぜ人は社会の役に立たねばならないのか──そういう問題に自分なりに切り込んで、つぶやき散らしてみるといいわ。そこら辺の高校生を盗撮するよりよっぽど意義があり、あなたにとって間違いなく実りのある行為になるはずよ」


「はい……」


「わかったら、早く消えなさい」


 身を縮めて恥ずかしそうにしつつ、男は足早にその場を去った。喧嘩にならなかったことに、僕は胸を撫でおろした。


 彼は意外にも反抗することなく、先輩に始終言われっぱなしだった。動画データは友達に話のネタとして見せるか、あるいはインターネット上にさらそうと考えていたのだろうが……もしかしたらそういう人間にかぎって、根は小心者なのかもしれないと思った。


 それにしても、先輩のいう『つぶやき散らす』とは、トゥイッターなどで投稿することを指しているのだろうか。彼女のことだから意地悪や皮肉でなく、ちゃんと意味があっての発言だと思うけれど……僕には、あの男が社会問題について何か投稿したところで、そこまでみのりがあるようには思えなかった。僕の告白動画をさらすよりはマシだけど、いまいちその意図が読めない。


 いや、悠長に他人のことを考えている場合ではないな。


 先輩がこちらに振り返った。そのまなざしは相変わらず尖っている。


 僕は悟った。


 次に「早く消えなさい」と言われるのは、間違いなく自分だと。


 同好会を去ったかつての会員たちの顔が浮かぶ。中には僕と同じように、その胸に秘めていた想いを吐露し拒絶された者もいる。


 それなのに、なぜ僕も告白してしまったのか。悔やんでも悔やみきれない。


 だけど僕は自分が抑えられなかった。どうしようもなかった。『勝算あり』と勘違いしたのだ。そしてあとさきを考えず飛び出した。少しでも怖いと思ったら、僕は立ち止まる選択をしがちだから……立ち止まってしまわないよう、一時的に理性の檻をこわしたのだ。


 舌にまだ血の味が残っている。鉄っぽい、後悔の味。


 先輩は躊躇なく告げる。


「出口君、あなたも明日から同好会に来なくていいわ。問題の答えもわかったことだし、ちょうどいいわよね」


「も……問題?」


 その言葉に胸を痛めながらも、僕は聞き返した。予想以上にショックが大きくて、そう言われても何のことか思い出せなかったのだ。


 先輩は溜息をついた。


「さっきあなたが出してくれた問題よ。バングラデシュのあれ。いまの盗撮男が着ていた服のおかげで、答えがひらめいたのよね」


「あ、ああ、そうですか……」


 言われてようやく思い出す。僕はつい先ほどこのデパートを訪れる前に、同好会の活動としていくつか先輩にクイズを出していた。マインの送信履歴を確認すると、そのうちの一つだけ、まだ彼女が回答していない問題があった。



【問題】

『人口5万人にも満たない日本の田舎町に住んでいる十八歳の青年Aは、バングラデシュという国がどこにあるか、どんな国か知りません。Aは海外に行ったことがないし、彼の親兄弟や親戚、友達も、みんな地元民です。異国とのつながりはまったくありません。しかもインターネットも無く、スマホも持っていません。


 でも現在、彼はバングラデシュで生まれ育った女性が作ってくれた服を、身に着けています。それはなぜでしょうか?


※補足:ちなみに、青年Aは他人から服をもらったことは、一度もありません。また、外国人がその町に訪れたことも、一度もありません』



「私好みの良い問題だと思ったから褒めてみたら、これだものね。残念だわ」


「……」


 先輩は腰に手を当てて、また溜息をついた。


「それで答えだけど、××××ということでしょう? なぜなら──」


 何も言わない僕に構わず回答を述べ、彼女はいつもどおり、そう考えた理由まで丁寧にすらすらと説明した。


「正解よね? 黙ってないで、反応がほしいのだけど」


 僕は絞り出すように答えた。


「……正解、です」


 文句なしの正解。


 半年間くり返してきたこのやり取りだけど、これで最後なのか、と思った。


 それでいいのか? なんとかした方がいいんじゃないか? と心の声が聞こえる。


 じゃあどうしろって言うんだよ、と反論する。


「素敵な問題だったわ。ありがとう。でも、これで終わりね。私は、純粋かつ真剣にナゾ解きと向き合う人と、同好会活動をしたいの」 


 さようなら。


 先輩はそう言い残し、つかつかと歩いて行く。


 僕は呆然と立ち尽くし、その背中を見つめていた。


 ……こんなの嫌だ、と心が叫んでいた。


 同好会に入ってからの半年間は楽しかった。九先輩と一緒に過ごすことで、自分の中に潜んでいる情熱を、何か未来に繋がる道を、あと少しで見出せるような気がしていた。


 こんな形で、終わりになんてしたくない。


「ああっ、ずるい!」


 するといきなり、甲高い子供の声が耳を突いた。驚いてそちらを見ると、通路を挟んだ向かい側に、おもちゃ売り場があった。小学校の低学年くらいの男の子たちが、テレビゲームに興じていた。遊んでいるのは、往年の人気ゲーム機を小型化し、復刻販売したモデルだ。


 彼らは喋りながらプレーをしており、だいぶ白熱していた。会話から察するに、彼らはゲームの勝敗に、自分たちの大切な何かを賭けている様子だった。


 将来が心配になる遊び方だなあ、という感想を抱いた次の瞬間だった。


 僕の脳裏に、激しい稲妻が走った。


 ひらめいてしまった。


 僕は力強く踏み出した。先輩の姿はもう見えなくなっていたので、駆けまわって探した。


 そして見つけた。彼女は下りのエスカレーターへと向かって歩いていた。


「待ってください!」


 僕はその前に回り込み、立ちふさがった。


「嫌よ」


 彼女は取り合わず、さっと僕の横をすり抜け、エスカレーターに乗ってしまった。


「提案があるんですよ!」


「聞く気はないわ」


 負けじと横に並ぶも、先輩は歩いてすたすたとそれを降りる。僕はまた追う。


「僕が先輩に対して本気で、ナゾ解きにも本気だってこと、証明できます!」


「しつこいわね」


 一階のフロアに踏み入れた先輩は、苛立たしげに振り返る。


 その時、デパートの職員なのだろう、ダークグレーのスーツを着た男性が、


「大丈夫ですか?」


 と僕たち二人を交互に見つつ、尋ねてきた。


「この人、私のストーカーで、しつこく付け回すので困っていたんです」


 先輩は丁寧な口調でとんでもないことを告げた。スーツの男性の目つきが険しくなり、僕に向けられる。


「ちょっと君、お話聞かせてもらってもいいかな?」


 口調まで変わり、もはや客として見られていない感じがした。


「いや、違うんです。僕はただ、先輩にもうちょっと話を聞いてほしいだけで……」


 確かに少しだけ付け回したけど、それはこの一、二分だけの話だ。


「世のストーカーは、大体みんなそう言うらしいね」


「ストーカーじゃないんですって!」


 男性はすでに疑っている様子で僕の腕を掴んだ。そうしている間に、先輩はちゃっかりとその場を去ろうとしていた。追おうとするも、その瞬間に男性が僕の手をあらぬ角度でひねり上げた。関節が壊れるかと思うほど痛くて、つい足が止まる。


 でも、行かせるものか。


「待って先輩! 聞いてください!」


 力のかぎり呼びかける。


「僕とナゾ解きで勝負しましょうよ! 僕が問題を出して、先輩が解ければ勝ち、解けなければ僕の勝ち!」


「おい、静かにしろよ」


 男性に注意されるも聞かず、僕は続けた。


「もし僕が負けたら、何でも一つ、先輩の願いを聞いて叶えてみせます! 逆に僕が勝ったら、僕と恋人になってください! それが提案です!」


 心なしか、先輩の歩みが遅くなったように見えた。


「本気なんです! もし『一千万円欲しい』って言われたら、一生かけてでも支払います! 尽くします! 悩みだって、解決してみせます!」


 その足がぴたりと止まった。もうひと押しだと感じた。


 かねてより彼女には負けず嫌いなところがあるということを、僕は知っていた。やすい売り言葉しか思いつかなかったが、これでもかと挑発してみせた。


「それとも先輩、負けるのが怖いですか? 僕が本気になったら勝てないかもしれないからって、弱気になってるんですか? そんな逃げ腰でいいんですか、同好会の会長なのに!」


「おい、いい加減にしろよ」


「うぐっ」


 男性が僕の手を放したかと思うと、今度は胸ぐらを掴んだ。無視を続けたせいで怒っているらしい。眉じりが上がり、目元をひくつかせていた。


 その時だった。


「どきなさい」


 見ると先輩がこちらに戻ってきており、男性に告げた。


「え、でも……」


 彼は困惑した様子だった。


「さっきのは私の勘違いだったかもしれないので、そこをどいてください」


 彼女は丁寧に言い直しつつ、男性を手で押しのけた。彼が不服を顔に浮かべても、まったく意に介さない。


「出口君」


「はい」


 先輩は僕をまっすぐ見つめた。


「今の話……もう少し、詳しく聞かせなさい」





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