04 最初の問題は。
「……無理かどうか、確かめてやるからな」
朝のショートホームルーム中、先生が黒板の前で喋っているのを聞きながら、僕は思わずつぶやいた。
胸の中で、何かが燃えていた。
子供の頃から、僕は他人が『無理だ』と匙を投げたものに疑問を覚える
でも僕はそれを覆すことに成功したのだった。
友達からは称賛よりもむしろ呆れられたけれど、別に構わなかった。誰かが構築した固定の価値観を引っくり返した時、世界が少しだけ形を変えた感じがした。気のせいかもしれないけど、僕はそう感じたのだ。
もちろん検証の途中で気が滅入りそうになることもあったけど、それでもなんだかんだで楽しんでいたと思う。クリアまでに試行錯誤する過程は、どこか宝探しのように感じられた。宝が見つかれば英雄で、見つからないうちは奇人変人。でももし英雄になれたなら、世の中はどう違って視えるのだろう──そういう期待感が、僕の胸の火を絶えず燃やし続けたのだった。
桂木に何と言われようと、関係ない。僕はこのナゾ解き勝負にも勝つ。引っくり返してみせる。あと一ヶ月以内に、九先輩が解けないような、超難問を作ってやるんだ。
……と、意気込んではみたものの、簡単に出来るものではない。
どうやって作ろうか。どんな内容だったら、あの九先輩が解けないクイズになるだろうか。
真剣に考えるも、わからない。桂木に話したとおり、この半年間で先輩が解けなかったクイズは一問もないのだ。
勝負にこぎつけたのは良いけれど、越えなきゃいけない壁は高い。
「ここ、期末に出すからなー。ちゃんと覚えとけよー」
授業中の先生の言葉も聞き流してしまうほど、僕はクイズ作りに頭を悩ませていた。
おかげで期末テストには期待できなくなったけれど、代わりに新しいクイズを二問、完成させることに成功した。いつも作っているやつより、ちょっと難しい程度のレベルだろうか。
「やっべえ、そういえば来週からテストじゃん。デグチよお、マジで勝負なんか始めて大丈夫だったのか?」
「それより桂木。ちょっとこれ、解いてみてよ」
休み時間にちょうど桂木が話しかけてきたので、出来上がったクイズを見せてみた。
「……大丈夫じゃねえな、お前」
桂木は本気で心配するような顔をしたけれど、僕は気にしないことにした。今朝の言い争いをぶり返してもどうせ平行線をたどるだけだし。時間の無駄だ。
「期末テストなんて、それなりでいいんだって。大事なのは入試本番なんだからさ」
「お、おお? まあ、そう言われてみれば、そうだな。核心ついてるじゃねえか」
「そうそう。だからちょっと解いてみて、これ」
良い具合に彼の価値観をずらしたところで、改めてクイズを見せた。
結果は圧勝。二問とも桂木に正解されることはなかった。とはいえ奴には悪いけれど、最低ラインを突破しただけに過ぎない。
大事なのは本番だ。
【問題1】
『日本のとある県に、『あっち向いてホイ』をやらせたら百パーセント勝つことのできる、A氏という人物がいると仮定します。彼は相手が誰であろうと、上下左右どこを向くか予知することができるため、間違いなく勝てるのです。
ところがA氏は先日出場した『全日本あっち向いてホイ選手権』で、ごく普通の一般人を相手に敗退してしまいました。なぜでしょうか?
※補足:A氏はわざと負けたのではありません。体調も万全の状態で臨み、本気で戦って負けました』
【問題2】
『小学生の太郎君は、学校の算数の授業で『三角形の内角の和は百八十度になる』ということを学びました。関心を持った太郎君は、さっそく三角形をいくつも紙に描いて、分度器で測り、それが本当であることを、実際に確かめました。
彼は感動しましたが、そこでふと、あることに気づいてしまいました。彼がそれらの三角形を描くために使用した、『三角定規の内角の和』だけは、何度測っても、百八十度にならないのです。それはなぜでしょうか?
※補足:その三角定規の角の部分は、それぞれきちんと鋭利になっており、またそれぞれの辺も湾曲のない直線で、分度器を用いて角度を計測することができる状態を保っています。なお、太郎君が計った三角定規は一つだけです』
放課後、僕は自転車に乗って公民館へ向かった。
同好会で利用している公民館は、学校から徒歩五分の距離にあり、自転車だとすぐに到着する。あまり大きな建物ではなく、いかにも昭和の建造物といった出で立ちで、やや街なかから孤立した雰囲気をかもしている。一階の奥には柔道場があり、夕方はよく道着すがたの子供たちとすれ違うこともある。
建物の脇にある駐輪区画に自転車を置き、昇降口にある観音開きのガラス戸を開ける。中に入るとロビーが広がっており、靴を履き替えるためのすのこが置かれている。
向かって右側に事務室があり、平日はいつも、三十代くらいの金髪のお姉さんが、一人で常駐している。
小窓を開けて中を覗くと、そのお姉さんがポッキーを食べながら、スマホで誰かと通話し、談笑していた。おそらく仕事の電話ではないだろう。
毎度そんな感じで、真面目に働いている姿はほとんど見ない。
彼女は横目に僕の存在を捉えると、椅子から腰を上げ、電話しながら歩いてきた。そして『施設利用者記録簿』を挟んだバインダーと、消しゴム付きの鉛筆を小窓から出し、僕に手渡した。その作業中にスマホを置くことは一度もなく、顔の見えぬ相手にああだこうだと喋っていた。
僕は気にせず、記録簿の『十一月二十六日』の欄に、団体名と自分の氏名を記入して、二階へと向かった。階段を上がれば、すぐ左側に第四和室がある。
一応、ドアの前でノックしてから入る。九先輩はまだ来てない。
僕は一人で準備を始めた。
まず部屋の脇に寄せられた座卓を、中央に移動する。大きめの座卓で、設置することにより、かなり手狭になる。収容人数で言えば、十五、六人から七、八人くらいまで減る。まあ、現在のナゾ解き同好会は、どうせ僕と先輩の二人しかいないので、それくらいがむしろちょうどいいけれど。
その座卓を挟んで向き合う形で、座布団を一つと、座椅子を一つ用意する。
座布団は先輩用だ。彼女は座椅子を嫌がる人なのだ。
セッティングが終わり、僕が座椅子に腰を降ろしたところで、コツコツ、というはっきりしたノック音が響いた。心臓がどくんと跳ねた。
来た。
「お疲れ様です」
僕は緊張しつつ、いつものとおり挨拶をした。
「お疲れ様、出口君。早いわね」
九先輩は赤いタータンチェック柄のマフラーを外しながら挨拶を返した。白くて細い首筋が、その深みのある赤と対照的だった。
昨日の告白から一日。そしてナゾ解き勝負の開始初日。彼女がどんな態度を見せるのか気になっていたけれど、普段通りの落ち着いた様子だったので、さすがだと思った。
いや、それとも僕ごときに対していちいち感情的になっていられないということだろうか。だとしたらちょっと悔しい。
「早いわね」
「帰りのホームルームが早く終わったし、今週は掃除当番にも当たってないので」
「そう」
彼女は座布団の上に正座する。いつも使っている黒革のリュックからノートPCを取り出して座卓の上に置き、ゆっくりと開く。
所作が美しい。
彼女はポケットWiFi端末を持ち歩いているらしく、そのノートPCはインターネットに繋がっている。いつもそれで何をしているかと言えば、ナゾ解きサイトの更新を確認したり、ミステリアスな話題を探したり、知識を増やすために調べものをしているのだという。
ナゾ解き同好会は、そうやって各々が情報を集めてクイズにし、提供し合うのが主な活動だ。とはいえもっぱら九先輩はナゾを解くのが専門。現在二人しかいないこの同好会では、必然的に僕がクイズを作る係になっている。
「九先輩。作ってきましたよ。新しいクイズ」
「そう」
僕が告げると、彼女は開いたばかりのPCを、ぱたんと閉じた。
「今回のナゾ解き勝負の、一問目ですね」
「ええ、そうね。拝見させていただくわ」
僕は彼女のスマホに、例のクイズを一つずつ送信した。彼女はその画面を静かに眺めた後、座卓にそれをそっと置いた。
あごに手を当ててしばしの黙考の後、彼女はおもむろに座布団を脇へ寄せた。そして座卓に対して横向きになり、何も言わず四つん這いの姿勢になって背中を丸めたり伸ばしたりし始める。それはヨガのようなストレッチで……ってこの人、スカートを穿いてるのを忘れてるのだろうか。目のやり場に困る。どう考えてもセーラー服姿でやることじゃない。
僕は葛藤のすえ、スマホのメニュー画面に視線を落とした。彼女は僕の視線なんて気にしていないのかもしれないけど、幻滅されたら嫌だし、念のためだ。
先輩が「ふう」と長く息を吐くささやかな音が、第四和室を満たす。とても妙な空間だ。彼女はまれに、こうして本格的なストレッチを始めることがある。なぜなのかは不明だ。
そう。先輩の言動には、理由がわからないものがけっこう多い。いちいち尋ねると鬱陶しいと思われる気がして、それができずにいることもしばしばだ。
だけどそれも昨日までのこと。今日からの僕はちょっと違う。なんといっても、僕は先輩に告白できたのだ。断られはしたけれど、少し恐れが消えたのは確かだ。
「そういえば先輩。昨日、デパートで盗撮してた奴がいましたよね?」
僕は自信を持って──というか、なかば開き直ったような心持ちで尋ねた。
「……ええ、いたわね」
彼女は背中を伸ばしており、畳に顔を向けた状態で答えた。
「先輩、あいつに言ってましたよね。いろんな社会問題についてつぶやき散らせって。あれって、どういう意図で言ったんですか?」
「意図?」
先輩は背中をのばしたまま、首をひねるような仕草をした。
「例えばあいつが、なんか適当に『なぜ戦争は無くならないのか』みたいなことを、いくつかトゥイッターでつぶやくとしますよね? 先輩はそれに意義があるって言ってましたけど、僕にはよくわからなくて。そんなつぶやきに価値があるようには思えないんですけど」
ふう、と長く息を吐く音がして、それから返答があった。
「そうね。あの男のつぶやきなんて、おそらく何の価値も生じないわ」
「え? 昨日と言ってることが……」
「いいえ。違うのは、受け取り方よ。確かにあの男の発言に価値はない。でもそれは、まだ価値がないだけだと考えられるわ」
「『まだ』ですか……?」
「そう。仮にあの男が本当に私の言うとおりに行動したら、きっと何らかのかたちで、自分の発言に価値がないことを実感するでしょうね。そしてそれがきっかけで、何かを学び始めるかもしれない。だから私は、意義があると言ったのよ。価値と混同してはいけないわ」
「なるほど……」
僕はついついうなった。九先輩が発する一言は、何か強い力を持っていて、僕はしばしばそれに引き付けられる。
「それはいいとして、出口君」
「はい」
先輩がこちらに顔を向けた。
「ストレッチ中に話しかけることで私の注意をそらそうという魂胆なら、それはフェアプレーの原則に反するわ。続けるようなら出て行ってもらうわよ?」
「す、すみません」
威嚇する猫のようなポーズで注意され、僕は黙った。やることが無くなったのでスマホで検索すると、先輩のそのポーズはヨガエクササイズでいうところの『猫のポーズ』と呼ばれるものらしい。
そのまんまだ、と思った次の瞬間、
「答えがわかったわ」
先輩が姿勢を正し、こちらに向き直った。審判の時だ。僕も正座になり、気を引き締めた。
だが彼女の顔を見たら、結果は不思議と予想できた。
「まず一つめの問題。これ、A氏は単に、じゃんけんで勝つことができなかったのね」
先輩は迷いのない口調で答えた。
「そう考えた理由をお願いします」
僕は念のため正否を明かさず、ポーカーフェイスを貫いた。
ナゾ解き同好会の原則では、回答者は回答をする際に、『そう答えるに至った理由』を説明しなければならない。つまりヤマ勘での回答を、認めない決まりになっているわけだ。
だから僕が言い終えるのと同時に、彼女は説明を始めた。
「あっち向いてホイというゲームは、最初にじゃんけんをして勝たないといけないルールだもの。A氏には『相手の向く方向を百パーセント予知する能力』があるかもしれないけれど、『じゃんけんで百パーセント勝つ能力』があるという記述が無い以上は、それで負けてもおかしくないわよね」
「……正解です」
さすが先輩、一問目は簡単すぎたか。
「では二つめの問題の答えだけど──」
彼女は僕の返答を聞くなり、続けてすらすらと二問目の回答を述べた。
残念ながら、そちらもあえなく一発正解されてしまった。
「今日の持ち球は、これだけかしら? この程度の問題しか生み出せないなら、私には絶対に勝てないわよ?」
彼女は座卓に肘を突いて小首を傾げ、誇らしげに微笑んだ。
くそ、悔しい。
「ま、また……出直してきます」
悔しいけど、その表情は魅惑的で、僕はつい言葉に詰まった。
やはりもっと難しい問題を作らなければ、先輩には勝てないらしい。
「一ヶ月後、あなたに何をお願いをするか、今のうちに考えておいた方がいいかしら」
彼女は挑発するように言う。余裕があるのだろう、なんだか楽しそうに見える。
「そういえば先輩、もう一つ訊きたいんですけど、いいですか?」
「何かしら」
ストレッチ中でなければ聞いてくれるということだろうか。彼女は肘をついた姿勢のまま僕の質問を受けた。
「先輩は、どうして同好会の後に僕と一緒に出かけたりするんですか?」
それは昨日、僕が告白しようと踏み出した要因の一つでもある。結果こちらの勘違いだとしたなら、どうして彼女がそんな行動に及んだのか、その理由は気になった。
「普通は……好きでもない男と外出したりしないじゃないですか。デパートもそうだし、川原とか、公園とか、映画館とか……二人きりで連れて行ってくれましたよね? あれは、どうしてなんですか?」
話しながら、顔に熱が帯びるのを感じた。他の会員がみんな去り、もっぱら僕が本格的にクイズを作るようになってから、先輩は僕を外に連れ出すようになったのだ。二人一緒に出かけている時の雰囲気は決して悪くないと感じていたし、それこそ見ようによってはデートのようだったと思う。
「その質問に答える前に、ひとつ、言っておきたいことがあるわ」
「な、何ですか?」
先輩は姿勢を正すと、涼やかな視線で僕を見つめた。
「あなたがいま使った『普通は』という言葉は、大嫌いなの。そんな言葉を使っていると、いずれ創造性の欠片もない、AI以下の人間に成り下がってしまうわ。注意しなさい」
「す、すみません」
僕はつい頭を下げた。
「謝れと言っているわけではないわ。私生活の中でどんな言葉を使うかは、その人の自由だから。ただ、私は嫌いというだけ。だってそうでしょう? 『普通』を定義できる事柄なんて、本来この世界にはほとんど無いのに。それを『普通は』とか『常識では』なんて一言で片づけるのは、思考停止の極みだもの」
先輩は淡々と語った。
「かつてアインシュタインは『常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクションのこと』だと言い表したそうよ。女性である私があなたと二人きりで外を歩いたからといって、それはあなたにとって普通ではないだけのことよ」
「……なる、ほど」
僕の中の常識が、また一つ覆った。
「では話を本題に戻しましょうか。私があなたを誘ったのは──」
その時だった。ポロロロ、という音が室内に響いた。座卓に置かれた先輩のスマホのアラーム音だった。
「あら、時間ね」
彼女はそのアラームを停止しながら言った。
「え、でも、まだ一時間しか経ってないですよ?」
僕は壁に掛けてある時計を見た。ナゾ解き同好会がこの部屋を使わせてもらえるのは、いつもなら二時間。まだ半分残っている。
「実は今日だけは、一時間しか使用の申請をしていないのよ」
先輩はてきぱきと流れるように荷物をまとめながら答えた。
「え、どうしてですか?」
「私事だけど、予定があるのよ。実行するかどうかは未定なのだけど」
「へえ……」
どんな予定なんですか?
そう質問したかったけれど、そこまでは踏み込めなかった。プライベートなことを詮索しすぎると不愉快な気持ちにさせるのではと思い、躊躇してしまった。
そうこうしているうちに先輩は準備を整え、部屋を出ようとしていた。僕も慌てて身支度をして、その後を追った。
「それじゃあ、お疲れ様」
「はい、お疲れ様でした」
結局質問できぬまま、自転車に乗って去っていく先輩を見送った。
興味はすごくあった。これまで同好会の活動時間を削ることなんて一度もないことだったし、実行するかどうか未定にも係わらずわざわざ時間を作るなんて、なんだか先輩らしくない。しかも公民館の使用申請は二ヶ月も前に行っているらしいので、その時からすでに予定として組んでいたことになる。
「気になるけど、へたに質問しすぎてもなあ……」
自転車にまたがり、ひとり呟いた。そう、危機管理という面で考えるのなら、僕は正しい選択をしたと言える。このナゾ解き勝負で先輩に負けてしまった時のことを想定するならば、なるべく彼女に不愉快な思いをさせないようにするのが得策だ。
……いや、わかっている。単なる言いわけだ。本当は訊きたいことがあるのに、言いたいことがあるのに、僕は相手の顔色を気にして躊躇してしまうところがある。桂木や妹が相手なら、気を遣わなくていいから楽なんだけどなあ。好かれたいと思える相手ほど、うまく人間関係を作れなかったりするなんて、なんというジレンマだろう。
告白した時のように、常に理性の檻をなくしておけばいいのだろうか。でもその結果が良かったとは、今のところ言いがたいし……。
僕は大きく溜息をつき、力なく右ペダルに足を掛けようとした。
スマホにメッセージが届いたのは、その時だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます