17 学校は休み
翌日、僕は自室のベッドで目が覚めた。土曜日で学校は休み。
少し安堵していた。ナゾ解き同好会も、基本的に土日は活動が無い。九先輩と顔を合わせる必要もないので、ひとまず今日と明日は、そのことで悩まずに済む。
とは言いつつ、やはり胸にしこりがある。眠いわけでもないのに、ベッドから出られない。身体はだるくて、頭はずっともやもやしている。
一階から母の声がする。早く朝食をたべろという催促だ。空腹ではないし、そういう気分でもないけれど、僕はしぶしぶ身体を起こす。
緩慢に、無言で朝食をとる。
「そう言えば叔父さんの話だけど、やっぱりお店、売らないみたいよ」
「ふうん」
母がそんな話をしたけれど、あまり耳に入っていなかった。
同好会と先輩のことばかりが頭に浮かんでいる。その都度、罪悪感と無力感が、同時に襲ってくる。
胸が潰れそうだった。昨夜から何度も、この痛みにさいなまれている。こうなると、何もかも投げ出して、楽になりたいと思ってくる。
──気をそらせ。目をそらせ。自分を守るんだ。何も考えず、感じないよう檻に堅くふたをするんだ。
そんな声が聞こえたような気がした。
確かにそれが、最も手っ取りばやい方法かもしれないな。
僕はその声に納得し、一人でうなずいた。悪いことに、そういうタイミングでスマホに着信があった。電話の相手は桂木だった。
僕は何も考えていなかった。話の内容も吟味せず、奴の『この前、約束しただろ?』という言葉に流され、その誘いに乗ってしまった。あいつと一緒にいれば単純な馬鹿になれそうだと直感し、僕はいっさいがっさい思考を放棄した。目をそらした。
気づけば僕は、桂木をふくむクラスの友達と一緒に、カラオケボックスにいた。
前に彼が話していた合コンだった。あの時は断ったつもりでいたけれど、彼はそう捉えていなかったらしく、勝手に僕も人数に入れられていた。
しまったなあと思った。
僕はこういう場が苦手だし──と、桂木にしたのと同じ理由を告げて帰ろうとしたけれど、他の三人の友達に頭を下げられ、困ってしまった。相手の女性陣はちゃんど五人そろっているらしく、こちらも五人いないと、セッティングした宮本の顔に泥を塗ることになってしまうという。宮本は桂木と違ってすごく良い奴なので、あまりないがしろにはしたくなかった。
ほんの二時間いるだけでいいのなら、人助けだと思って我慢しよう。
そう諦めて参加したのだけど……やっぱり強引にでも断るべきだったと、早々に後悔した。
手狭な個室に十人の男女が向かい合って座り、時に歌い、時に談笑する。
苦手だ……。
相手の女性たちはみんな『
もちろん全員年上。なかなかの美人や可愛い人がそろっていたためか、桂木は初っ端からテンションが高いし、宮本たちはあらかじめ決めていたサインを使って、仲間同士でお互いの気になる相手を教え合っていた。
これが合コンか……という感慨はあったけれど、どうしても僕はその空気に馴染めなかった。歌いたい曲も特にないし、なんとなく無難に、近くに座った女性との会話や、桂木の鬱陶しい絡みに付き合った。自分の気持ちは置いといて、その場の和を乱さぬよう取り繕う。
大人になるって、こういうことなのかなあ……?
気づけば驚くことに、テーブルの上にある飲み物の九割が、アルコールになっていた。ビールにレモンサワー、梅酒にジュースみたいなカクテル。高校生なのに大丈夫かと心配しつつ、流されるまま僕も口にした。酒の力を借りれば余計なことを考えずに済むかも、という短絡的な期待が少なからずあった。
ソルティドッグを飲んだ。しょせんカラオケのカクテルだからか、おいしいとは感じなかった。こちらは九先輩が説明してくれた『スノースタイル』というやつで、グラスの口まわりに塩がまぶされていた。
しまった……また先輩のことを考えてしまった。
僕は気を紛らわせるため、グラスに手を伸ばした。おいしくはない。でも気分がふんわり軽くなる。二、三杯あけた。やや頭がぼうっとする。
……もうやめといた方がいいかな。
グラスを置き、ぐるりとみんなの様子をうかがった。桂木が「王様ゲームしようぜ」とさわいでバッシングを受け、宮本が当たり前のように煙草を吸い始める。元気に歌っているお姉さんのスカートが、ふわりとめくれる。
なんだか異空間をさまよっているみたいだ……。
僕はふらりと部屋を出た。特に目的があったわけじゃない。スマホで時刻を確認すると、まだ一時間弱しか経っていなかった。長いなあ……。
一度トイレに入り、洗面所の鏡でぼんやりと自分の顔を眺めた。たった一時間で少し老け込んだような気がする。いや、さすがに気のせいか。
あくびをしながら廊下に出る。通路にまっすぐ向き直ると、左右にドアがいくつも並んでいる。
僕たちの部屋って何号室だったっけ。
「どこの部屋か忘れちゃった?」
思い出そうとした瞬間、腕をそっと掴まれた。驚いて振り返ると、さっきまでカラオケを歌っていたお姉さんがそこにいた。僕よりちょっと背が低くて、茶色の髪をころんとした団子状でアップにしている。
ミニスカートなのに動きが大きい人。桂木がこっそり僕たちのグループマインで、
『絶対領域がいちいちエロい! 第二候補!』
と主張していた人。ちなみに『絶対領域』とは、『短いスカートやボトムスに、膝丈以上の長いソックスを穿いた女性が晒している、太ももの部分』のことらしい。
いや、そんなスラングの解説はどうでもいい。それより、このお姉さんの名前、何だっけ。確か……マリカ? マミヤ?
困ったな。『マ』以外はちょっと怪しいぞ。
「デグチくん大丈夫? 酔った?」
お姉さんは首を傾げ、見上げるように尋ねた。
「平気ですよ」
答えると、彼女は頬をふくらませた。
「もう、敬語とか要らないから」
「あ、うん……」
さっき部屋でも指摘された気がする。目上だと思うと、ついつい敬語が出てしまうのだった。
「ねえねえ、デグチくん。せっかくだしマイン教えてよ」
お姉さんは片手に持ったスマホを見せる。
「いいですけど……」
「敬語っ」
「あ、うん。いいよ。教える」
断る理由が浮かばず、僕はそう応えた。こういうのはどうも断れない。
マインIDのやり取りで、ようやく名前を思い出した。そうだった、マユリさんだ。全然記憶とちがった。
するとマユリさんがつま先立ちで背伸びをし、内緒話を話すように耳元でささやいた。
「ね、ちょっとデグチくんにお願いがあるんだけど、手伝ってくれる? わたし一人じゃできないんだよね」
「いいけど、何?」
宮本と隣の席になりたいとか、そういう相談かな。あるいは桂木と席を離してほしいとか。
「じゃあお願いするけど、その前にコート取ってくるね。デグチくんのジャケットって、青いやつだったっけ?」
「うん、紺色のダウン。入ってすぐ右側にかけてあるやつ」
なんでコートを取ってくる必要があるんだ?
「ちょっとここで待っててね。すぐ戻るから!」
僕がそれを尋ねる前に、マユリさんはさっさと通路の向こうへ歩いていった。
首をひねりつつ、言われたとおりに待っていると、彼女がコートを着ながら急ぎ足で戻ってきた。手には彼女のバッグと、僕のジャケット。
「ほら、着て着て」
彼女は僕のジャケットを広げ、袖を通させる。
「なんで? みんなは?」
「わたしのこと、手伝ってくれるって言ったじゃん」
「まあ、言ったけど」
「だよね。それじゃあ行こ!」
「はあ」
質問の答えがまともに返ってこない。マユリさん酔ってるのかな。
ジャケットを羽織るなり僕は手を掴まれ、半ば強引に外へと連れ出された。彼女は何が面白いのか、楽しそうにけらけらと笑っている。楽しんでいる人を見るのは、そんなに悪い気はしないかも。
「そういえば僕、まだ合コンの会費払ってない」
「いいからいいから。わたしがちゃんと話しておいたから」
「そうなの?」
「そうそう」
彼女は弾むように答えた。ちょっと不安。まあ、後で桂木か宮本に確認しておこう。
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