25 桂木、お願いがあるんだけど

 翌日は二学期の最終日──すなわち終業式で、学校は午前中に終わった。運悪く今週は掃除当番が割り当てられており、クラスメイトたちが清々しい顔で教室を出ていくなか、僕はしばらくその場に拘束された。


 掃除が終わり、ほうきやちりとりを掃除用具入れに戻していると、桂木がごみ捨て場から教室に戻ってきた。僕たちは掃除の班が一緒なのだ。


 奴は音程のはずれた口笛を吹きながら、地域指定のごみ袋を、がさがさとごみ箱に被せていた。


「桂木、お願いがあるんだけど」


 作業が完了する頃合いを見計らい、僕は声をかけた。


「ん、どうした?」


「これから僕と一緒に、公民館に行ってくれ」


 彼は冬休みを目前に控えて緩みきっていたけれど、


「……何するつもりだ?」


 僕の一言で、すぐ真顔になった。


「桂木は何もしなくていいんだ。ただ送り届けてくれればそれで。僕が逃げないように」


「なるほど。見張りが必要ってわけか」


「うん、頼むよ」


 すると彼は、ふっと鼻を鳴らした。


「オーケー。お前が泣きべそかこうが、小便たらそうが、確実につれてってやるよ」


 どうして少しだけ偉そうなのだろう……と思いつつ、僕は彼に感謝した。


「そんじゃあ、ぼさっとしてねえで行くぞ、デグチ!」


 彼はカバンを肩に掛け、僕を急かした。最低の友達ではあるけれど、今日に限っては頼もしい。


「もし途中で九先輩と鉢合わせしちゃったら、桂木はどうする?」


「まあ、その時は逃げる」


「逃げるのかよ」


 軽口を叩き合いながら教室を出るも、僕は手のひらに、じっとりと汗をかいていた。


 さあ、これで退路は絶ったぞ。


 いざ向かおうじゃないか。


 僕の戦場へ。


 

「それじゃあ、俺の役目はここで終わりだな」


「うん、ありがとう」


 無事、公民館に到着し、桂木は去って行った。


 僕はその建物と正面から向き合った。


 一度ながく息を吸って、同じくらい時間をかけて吐いた。震えそうになる足をなんとか前に踏み出し、その戸を開いた。建物の中に入ってしまえば、あとは行くしかない。


 受付の窓口を覗くと、お姉さんがこちらを向いた。今日は珍しくイヤホンをしておらず、電話もしていない。彼女はすぐに立ち上がり、歩いてきた。


「こんにちは」


 小窓を開けて僕が挨拶すると、彼女はなぜか無言で頷き、施設利用者記録簿を、そっと見せてきた。そしてそこに書いてある名前を指差してから、その指の先を、第四和室がある方に向けた。


 九先輩がすでに来ているようだ。


 お姉さんは小窓から手を伸ばし、僕の肩をぽんぽんと叩くと、最後にファイティングポーズをとり「がんばれ」とちいさくささやいた。


 僕も「はい」と応えてお辞儀をし、その場を離れた。別に声をひそめる必要はないと思ったけれど……お姉さんなりに、僕の緊張感を共有してくれているのだろうなと思った。


 廊下を歩く。鼓動がどくどくと音を立てて脈打つ。


 第四和室。


 僕はその引き戸の前に立ち、深呼吸してからノックをした。


 返事はない。物音もしない。


 不在? もしかしてトイレに行っているのだろうか? 


 少し待ってからもう一度ノックしてもやはり返事はなかったので、恐るおそる中に入ってみる。


 心臓が大きく跳ねた。


 九先輩は居た。


 正座して座卓に向かい、ノートPCの画面を眺めつつ、もそもそとサンドイッチを食べていた。どこかぼんやりしているように見える。


「あの、先輩。お疲れ様です」


 様子がおかしいと思い声をかけると、彼女はハッとしてこちらを向いた。


「出口君。部屋に入る時は、ノックくらいしなさい」


「す、すみません……?」


 なぜか注意された。先輩が気づかなかっただけじゃないかと思ったけれど、まあ、そんな些細なことは置いておく。


「しばらく顔を出せなくて、すみませんでした」


 僕は頭を下げた。


「もう諦めて、高飛びでもしたのかと思ったわ」


 冷ややかな声が鼓膜に刺さる。


「いえ、諦めてないです。その間にたくさん新作をつくったので、ぜひ挑戦させてください」


 僕は顔を少しだけ上げ、そっと先輩の様子をうかがってみる。


「……ええ、どうぞ。いくらでもかかってきなさい」


 幸い、彼女は拒絶しなかった。


「ありがとうございます」


 僕は心の底から安堵した。今日はこれで帰ってもいい、と思えるほどの大仕事を終えた気持ちになったが、本番はこれからだ。


「構わないわ。では、さっそく拝見させていただきたいところだけれど──その前に、ランチを終わらせたいわ。出口君は?」


「じゃあ、ご一緒します」


 座卓を挟み、僕は先輩と共に昼食をとった。


「それでは、改めて拝見させていただくわ」


 サンドイッチを早々に食べ終えた彼女は涼やかにそう言い放ちつつ、いそいそとノートPCを閉じた。ライトブラウンの瞳が輝いているように見える。態度に期待感が滲んでいる。それが感じられる分、僕の胸は痛んだ。


 ……すみません先輩。おそらくその期待には、応えられそうにないです。


 そう思いながらも、僕は持参したクイズの一つを送信した。預かっていた例の問題集に掲載されているものを応用したクイズだ。彼女に答えられないはずがない、簡単な一問だ。


 案の定、彼女はすぐさま正解を導き出してしまった。


「……まだまだあるのよね?」


「はい、あと十四問あります」


「そう。そうこなくてはね」


 彼女は涼やかに返すも、どこか嬉しそうだった。


 また胸が痛んだ。


 ……でも、やっぱり来て良かった。


 残りの十四問も、決して良い出来ではないし、彼女なら次々と解いてしまうことだろう。だけどそれでもいいのだと、その表情を見て思った。


 九先輩という人は、きっと出題されたクイズが簡単な時よりも、解くナゾが一つもない時の方がつまらないと感じる人なのだ。そう僕は悟った。


 以前先輩が語ってくれたエピソードを思い出す。彼女は同好会を作った理由として『独創的な問題を作る人が現れること』を挙げていた。


 だけど実のところ、彼女は独創的なクイズが好きというよりは、そのクイズを解く瞬間が好きなのだ。既存のナゾ解き本やインターネットの内容はすでに網羅しているため、そういったクイズを解くことは、彼女にとって『解く』というよりも、『記憶している答えを掘り起こしているだけ』に近い。


 それだと、延々と九九をやっているようなものだ。つまらないに決まってる。だから彼女は『解く』ことを楽しみたくて、特注品を求めたのだ。


 本当にナゾを解くのが好きでどうしようもない……そういう人なのだ。


 受付のお姉さんの言う通りだ。先輩は与えられたクイズのすべてが、満足いくものじゃなくてもいいのだ。「これならどうだ」「次はこれだ」と現れるクイズの数々を、そのひらめきでもって、つぎつぎ返り討ちにすることも、楽しみのひとつなのだろう。


『もっと勇猛果敢に向かってきなさい』


 とは、そういう気持ちから出た彼女の素直な発言なのだろう。


 そこまで好きだと思えるものがある彼女のことを羨ましいと思うし、不思議と愛おしく感じる。妹が揶揄するとおり、僕は変態なのかもしれない。


「手持ちの武器がどんどん少なくなっていくというのにまだ笑顔を見せられるなんて、ずいぶん余裕なのね」


 先輩が挑発するように言った。


「いや、そんなことは」


 僕は首を横に振った。でも笑みを浮かべていたことは事実だった。


「いろいろ振り返ってみて……この一ヶ月間、なんだかんだで楽しかったなと思って」


 彼女は一瞬、驚いたような顔をしたけれど、


「ええ、そうね」


 すぐにふっと微笑み、頷いた。


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