第四章-5 策略

「まだやって来るのか?」

「本当に懲りない連中だな」


 上杉・伊達連合軍が陸奥攻略をあきらめ越後に向かおうとしていた頃、大垣城では城兵が大あくびをしていた。

 夜襲の連続でまともに眠れないわけではない。




 十日前から舞兵庫、藤堂高虎、大谷吉継の三将は大垣城への攻撃を掛けていたが、全くと言っていいほど戦果は上がらず、むしろ自分たちの損害を雪だるま式に増やしていくだけだった。当初は三千近くいた兵も、今は二千ほどに減っている。


「あいつらもほんと暇で、かつ馬鹿だよな」

「ああ。他に何もやること思い付かないのか」


 要するに、兵たちは余りにも弱い敵軍に退屈しきっていたのである。それは将たちも同じであった。


「まったく、さすが治部少輔の仲間よ。本当に情けない」

「市松、俺はどうも引っ掛かるのだ」


 だがただ一人、加藤清正だけはその圏外にいた。



「虎之助、物資の補給は完璧だ。何を気にすることがある」


 おととい、清正は三将の連日の攻撃はこちらの物資を消耗させるためにやっているのではないかという疑問を正則にぶつけたが、正則は物資の補給に関しては全く問題ないと聞き流したのである。

 何せ駿河から大垣までの街道筋の大名は遠江掛川の山内一豊を除いて全て福島連合軍に属しており、残る掛川城もすでに自分たちの手で占領している。物資を運ぶのに必要な東海道はほぼ確保していると言っても過言ではなかった。


「三日前にも何か揉め事があったらしいぞ」

「援軍を拒否したとか言う話か?」

「ああそれだ。山内対馬守が攻撃に加わりたいと備前中納言に申し出たそうだが、藤堂佐州がどうしても自分たちの手で成果を挙げねば示しが付かないと駄々をこねたそうだ」

「要するに内部分裂と言う訳か」

「そうだ、奴らは間もなく瓦解する。しょせん逆恨みから集まったような連中、その内こうなるのはわかっていたが、予想外に早かったな。では、今日当たり完膚なきまでに叩きのめしてやるか。甲斐守や吉田侍従(池田輝政)にも出撃の準備を整えさせよう。やれやれ、如水殿も呆けてしまったようだな」


 清正は調子に乗りすぎではないかという言葉を言いかけて飲み込んだ。

 正則には何の迷いもない。自分たちこそが豊臣家の正規軍であり、自分たち以外に豊臣家を守れる者などいない、いや誰にも守らせない。如水殿は確かに豊臣家を天下に導いたお方だが、もう潮時だ。この辺りで退場していただき、後は我々に任せていただきたい。

 それこそが偽らざる正則の本音であり、先の言葉は雄弁にそれを物語っていた。


「虎之助、留守を頼むぞ。ま、酒でも飲んでゆっくり過ごしてくれ」


 清正は口を閉じ、何も言わずうなずいた。




 やがて、例によって例の如くというべき舞兵庫、高虎、吉継の三将による攻撃が開始され、これまた例によって例の如くと言わんばかりに、福島軍の攻撃によって三将の軍はあっけなく崩れ去って行った。


「よし!今日という今日は逃がさん!突撃だ!」


 正則は勢いに乗って追撃をかけた。逃げる三将の軍勢は二千足らず、追う自分たちは一万四千。しかも兵の士気にも錬度にも大差がある。


「連中め、何と無様な逃げ振りよ!」


 そして、三軍の逃げぶりもひどい物だった。ここ数日の戦いではまだしっかり隊伍を組んで「退却」していたが、今日は刀や槍さえ捨てての惨めな「敗走」であった。


「ええい、逃げ足ばかり速い連中だ!」


 しかし敵兵があまりにもバラバラに逃げ惑っているせいか、的を絞りきれず意外と戦果は上がらない。福島軍と共に出撃した池田・黒田軍も、辺りに散らばる雑兵たちに気を取られ本隊を攻めあぐねていた。


「雑兵なぞ放っておけ!刑部と佐渡と舞兵庫だけを狙うのだ!」


 こちらが雑兵に手間取っている間に、三将はこちらとの間を引き離していた。今日こそは完膚なきまでに叩きのめしてやる、そうでなければ輝政や長政を駆り出した意味がないとばかりに、正則は必死に追いかけた。


「てこずらせてくれる……だがここまでだ!」



 だがようやく正則が藤堂軍本隊の背に喰らい付いた直後、耳がおかしくなりそうなほどの銃声が辺りにこだまし、それと同時に二百近い福島軍の兵士が物言わぬ屍になった。


「よし来た!一気に攻撃をかけよ!」

「藤堂佐渡殿をお守りするのだ!」


 伏兵であった。それも、千や二千ではない。銃声だけでも五百近くあったが、全体では優に五千に達する数が潜んでいたのだ。その五千が、一気呵成に福島軍に攻撃を開始したのである。


「し、しまった!退け!」


 正則はあわてて退却の命令を下すが、全力で前進していた所から急に後退するのは難しい。後方の兵士には即座に退却の命令が伝わらないだけに、命令に従い退却する前方の兵士と、命令を知らず前進を続ける後方の兵士が衝突し、結果軍勢全体が混乱してしまうのである。そこをほぼ同数の軍勢に襲われたのではたまったものではない。福島軍はあっという間に崩壊を始めた。さらに、福島軍の真後ろで追撃をかけていた池田軍にもこの混乱は波及し、福島軍と同じように崩れ始めた。

 退却に懸命だった両名は知る由もないが、この時伏兵の指揮を取っていたのは石田連合軍の総大将宇喜多秀家の従兄弟、宇喜多詮家であり、副将も同じく宇喜多軍の花房正成であった。

 いや、五千の伏兵全てが宇喜多軍の兵士であった。詮家らにとって高虎は家中から奸臣を追い出してくれた恩人であり、死なせるわけには行かなかったのだ。そして将も兵も戦の経験の少ない秀家とは違い老巧であったため、意気込みもさる事ながら追撃そのものも極めて正確だった。


「左衛門大夫!吉田侍従!後は任せよ、我々が食い止める!皆、両名を無事逃がすのだ!」


 だが黒田長政もさる者、福島・池田両軍を蹴散らし突撃して来た宇喜多詮家率いる伏兵から両軍を逃がすべく必死の防戦を行い、両軍が視界から消えた事を確認するや自分も後退を開始した。


「後は主計頭殿にお任せしよう!我々も引くぞ!」


 詮家率いる伏兵は追撃をかけようとしたが、長政の要請を受け出陣した加藤清正の旗が見えたのを確認すると追撃をやめ引き返した。




「くそっ……延々十日も負け続けるとは……全く武士の心意気のない連中だ」


 延々十日も負け続けたのは、こちらを徹底的に油断させる策略だったということか。正則は策にはまった自分とはめた相手の事を呪うようにつぶやいた。


「とりあえず小手先ではなかったということか」


 結果、この戦で福島軍五千の兵の内およそ八百が討ち死に、千二百が負傷し、同じく五千の池田軍も千二百の死傷者を出した。ただしこれまで十日間の戦で石田連合軍の三将も三百近い死者と千近い負傷者を出しており、負けではあるが決定的とは言えなかったのが救いだった。


「しかし、本当に宇喜多軍だったのか?」

「旗にはちゃんと児の字が書いてあった。間違いない」

「山内や筒井かと思ったが……」

「手柄を立てさせる好機を回されれば信頼も厚くなるはずなのに」


 確かにこの戦において戦果を拡大させたのは宇喜多軍の伏兵である。その名誉な役目を筒井軍や山内軍にさせれば信頼は一挙に拡大するはずなのに、そう将達はいぶかしがった。




 そしてこの戦から十日の間、小競り合いはおろか戦と言える規模の物など全く発生しなくなった。その間に起きた一番大きな出来事は、丹後田辺の細川忠興と加賀小松の丹羽長重が石田連合軍に加わったことである。これにより石田連合軍の兵力は四万近くになったが、反石田連合軍も兵士の徴集をかけ、更に伊勢の小大名を数名味方に引き込み、三万を超える兵数を擁する様になった。


「おのれ細川三斎め!あの義挙をすっぽかしたと思ったら!数日前に田辺を出たと聞いて少しでも期待したわしが馬鹿だったわ!」

「結局はあれも保身家だったと言う事か……」

「保身ならなおさら我々に付くべきだろうに!」

「落ち着け、まだ決まった訳ではない」


 あの挙兵の際、常日頃より武断派の中核人物を気取りながら忠興は病を得たとか言う理由で日和見を決め込んでいた。その後も丹後に籠ってずっと自分たちの出兵要請を無視し続け、ようやく動いたと思ったらこれだと言うのか。

 正則はこの忠興の不実に、一段と不機嫌そうに怒鳴り散らしていた。

 そしてその激怒する正則を一対一で清正がたしなめる、それが大垣城の恒例の光景になっていた。


「何を言っているのだ、今更」

「悔しい事だが、熊本城はすでに如水殿の支配下に入ってしまったらしい」

「何だと!」

「いずれ如水殿は我々を討つと言う名目でここまでやって来る。その時、如水殿が三斎を利用しないと言う話はない。と言うかな、まだ戦は本番ではないのだぞ。

 あるいはいざという時の決戦の際に後方から……と考えているかもしれないのではないか」

「それが何だと言うのだ!連中は十日もの間陣に籠もりっきりだ!そんな弱腰な軍勢も叩けないとあっては世に示しが付かぬぞ!」

「市松、だが出て行くにしてもよほど用心せねば十日前の戦の二の舞になるぞ」


 黒田如水が熊本城を落としたと言う報を清正がひそかに受けたのは三日前だが、それでも清正はつとめて冷静に構えていた。

 如水勢が膨らめば膨らむだけ、石田勢は如水勢を無視できなくなる。そして如水は口では自分たちの打倒を訴えるだろうが、それと共に石田勢を討たないと言う保証はどこにもない。そのどさくさ紛れを突けばまだやれると清正は踏んでいた。


「内府殿の返事はまだ来ないのか?」

「伊達と上杉の攻撃を受けていて兵を動かせない、という返事が昨日来た」


 清正の言葉に正則はひどく落胆した。

 十日前の戦が終わった翌日、正則は即座に徳川家康に援軍を求める書状を送り、その返事をまるで恋文を待つ青年のように待ち焦がれていたのだが、結果はまさしく失恋と言うべきそれに終わったのだ。


「これでは、治部少輔の仲間共に豊臣家を乗っ取られてしまうではないか……あっ!」


 気の毒なほどにうなだれて嘆こうとした正則が、突如何かを閃いた表情に変わり叫びながら清正に抱きついた。


「どうした市松!?」

「奴らは伊達と上杉を待っているのだ!関東に攻撃をかけて徳川軍を釘付けにし、その隙に信州を通らせ我らを挟み撃ちにする算段だ!」

「あっ!?」

「越後の堀殿は我らの味方だが、上杉・伊達・最上に組まれては流石に分が悪い。その越後を通過し、真田安房守の協力を仰いで信濃から我らを叩く。どうだ、ありえない戦略ではなかろう!」

「だがそんなに兵力を使って徳川殿に攻められぬか?」

「いや、上杉・伊達・最上の兵力は計算上では五万。実際には水増しの農兵も入るだろうから六万近く動員できる。半分から三分の二も残せば地の利で何とかなるのではないか?」

「すると少なく見ても二万か……」


 正則の言葉に、清正も追従するかのように叫んだ。

 黒田如水と違い、直江兼続率いる上杉軍は絶対に石田勢に味方するだろう。少なくとも二万の軍勢が味方となれば、石田勢の数は自分たちのちょうど倍になる。


「そして真田安房守(昌幸)などの軍勢も加わるとすれば」

「最低でも二万五千、下手をすれば四万近くか……だが待てよ。そんなに兵を信州に注ぎ込むと言うことは、関東を攻撃する事はあきらめたと言う事か」

「そうだな。よし、内府殿にもう一回この事を認めた書状を送ろう!さすれば、必ず援軍を出してくれるはずだ!」

「でもよく考えれば、既に内府殿はご存知ではないのか?」

「それならそれでいい!とにかく送ろう!」


 正則と清正は、関東は攻撃を受ける心配がないゆえ援軍を送っていただきたい旨を記した書状に黒田長政らの諸将を集めて連名させ家康の下に送った。




 慶長四年六月一日、一枚の書状を持った早馬の使者が、福島正則らの命運を背負いながら東海道を下り始めたのである。

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