第四章-2 開戦

「皆様方、彼が本多上野介正純です」


 五月五日、伊達政宗は本多正純を傍らに、会津で上杉景勝と直江兼続に対面していた。


「少将殿、我らの義挙に参加していただき感謝の念に堪えませぬ」

「何、山城守と上野介の無念を思うと居ても立ってもいられず」

「そして貴公が本多上野介殿か……此度は災難であったな」

「ははっ」


 冷静な表情を保っていた正純であったが、その目には無念の二文字がにじみ出ていた。


「徳川内府の片びいきな裁きを聞いた時は我らも呆然としたものだ。そして、こんな人間をこの国の政治の中枢に関らせていてはいけないとも思った」

「な、内府様は」

「山城守、上野介は内府の事は信じている。だが父を殺した榊原康政とその康政を弁護した本多忠勝らの事は許せんのだ。そして今や内府は彼らの意向に逆らう行動が取りづらくなっている」

「これは失敬。だが徳川の内部がそこまで崩壊しているとは私も思わなくてな」


 兼続らしくもない嫌らしい言葉に正純は兼続の家康に対する憎悪をひしひしと感じ取り、救いを求めるように政宗の方に視線をやった。


「まあまあ山城守、それぐらいにせぬか。貴公と治部殿の親交の深さはよく存じている。だからと言って内府を責めても何にもなるまい」

「そ、そうです!治部少輔殿を大夫らが殺した結果どうなりましたか?徳川にとって何かいい事があったと?内府様はそのような失態を犯す方ではございません!」


 正純の内に溜まっている感情を爆発させた如き激しい言葉に、兼続以上に政宗が驚いてしまった。正純はあわてて口を押えたが、空気が停止した。




「……さぞかし辛かったろうな」


 その重苦しい沈黙を断ち切ったのは上杉景勝であった。


「内府はいい家臣を持った……いや正確に言えば持っていたか。ひたすらに自分の事だけを考えてくれ、かつ時勢に対する正確な目を持っている……寵愛されるはずだ」


 景勝にしては恐ろしく多弁であった。無口である事に定評のある人物だけに、その発言の重みは計り知れなかった。


「これはあくまで私見ですが、上野介と父の佐渡守殿、そして治部少輔殿は余りにも似過ぎているように感じるのです。卓越した才を持ち、主からの信頼も厚く、無私の忠義を尽くし、にも関らず槍働きをして来た者たちに冷視され……」

「少将殿……」

「せっかく太閤殿下が統一した天下です。それを固める事ができるのは治部少輔殿や小西摂津守殿であって佐渡守殿や上野介であり、福島正則や本多忠勝ではありません。本人たちにしてみれば煮られる狗になるのが嫌なのでしょうが、それでは戦乱は終わりません」


 中国のことわざに、狡兎死して良狗煮られ高鳥尽きて良弓蔵されるというのがある。

 野をすばしっこく駆けるウサギがいなくなってしまえば名を馳せた猟犬も煮られて食べられてしまい、空を高く舞う鳥がいなくなれば良き弓も仕舞われてしまう。どんなに有能な人物であろうと、用がなくなれば捨てられてしまうのである。


 戦が終わり治世が来れば、正則や忠勝のような槍働きをする人間の出番などない。秀吉は武功派に活躍の舞台を作らせるために朝鮮出兵を行ったのだが、そんな事を繰り返していては永遠に戦争を終わらせられない。秀吉もそれが理屈ではわかっていたから三成を重用し、家康もまた戦争を断ち切るために動こうとした。

 だが秀吉は世論に負けて無駄な戦争を起こし、家康の計画も最大の理解者であり最大の協力者であった本多正信を失った事により破綻は決定的になっていた。


「少将殿の言葉は誠に鋭い。我らは天下の豊臣家と五大老筆頭の徳川家の姿をあるべき物に戻さねばならぬのだ」

「お館様のおっしゃる通りだ!」

「そうだ!我らの手によって、忠義面をした不貞の輩を豊臣家と徳川家から除こうぞ!」


 政宗の言葉に力強く答えた景勝に釣られるように、上杉の将達は一斉に気炎を上げた。


「勇ましい事ですな。それから、南部や津軽、秋田や相馬と言った大名衆は全員我らに協力を申し出ております。よって後顧の憂いはないゆえ、我が伊達も全力で出兵させていただきたいのですが」

「独眼竜が全力を注いでくれるのならばこの上なくありがたい!」

「ありがたき言葉です。これで後は堀家が応じてくれれば万々歳なのですが」

「仕方あるまい。最上殿にお頼みいたしましょう」


 越後の堀義治は上杉・伊達・最上が連名した檄文に対して未だ何の反応も示しておらず、去就が定まるまでは警戒を解くわけにいかなかった。


「伯父上も喜んでその役目引き受けると言ってくれておりますゆえ」


 伊達家の兵力は五十八万石で、一万四千五百。上杉家は百二十万石で三万。最上家は二十二万石で五千五百。合わせて五万だが、この内最上家の兵力と上杉家の五千ほどの兵を堀家の警戒に残して行く事になるため、関東に持っていける兵力はおよそ四万である。

 徳川家の二百四十万石、すなわち六万人と比べると随分少ない。だが徳川家の内情が混乱している今、精鋭と言われた徳川軍もぐらついているはずだと言う期待もあった。


「何としても初戦を勝たねばなりませんな」

「そうです。ここで勝てば形勢は一気に傾きます」


 ここで勝てば親三成と言われながらも動きの鈍い常陸の佐竹義宣や、策士である事と家康嫌いで知られる信州上田の真田昌幸はおろか、あわよくば蒲生秀行以下の下野大名衆も自分たちについてくるかもしれない。

 そのためにも、初戦は何があっても勝たねばならなかった。


「では出陣は十二日といたしたいのですが」

「お館様、どうでしょうか」

「承った」

「決したようですな。ではそれまで、この城でお寛ぎください」


 政宗は深々と頭を下げながら、本多正純共々下がって行った。







 五月十日、折しも美濃大垣城にて宇喜多秀家率いる石田連合軍と福島正則率いる反石田連合軍が初めて本格的に激突したその日、伊達軍の兵が続々と会津若松城に到着し、会津若松の周辺一帯は兵で埋め尽くされた。直江兼続は天守閣であふれんばかりの兵を見ながら、極めて満足そうに景勝に話しかけた。


「いよいよ出陣は明後日ですな」

「うむ……」

「我らの手により、豊臣家と徳川家をあるべき姿に戻す時が近付いて来たのです!」


 多弁な兼続に対し、景勝はただうなずくだけである。それは、上杉家の中では日常の風景だった。この様な戦の前の時でも、平和な時でも。






 だがその日常は突如破られた。


「一大事でございます!徳川軍が攻撃をかけてきました!」

「何だと!」

「会津若松に向け兵を進めております!」

「まさか先制で攻撃をかけてくるとは!」


 政宗・正純と面会してからのこの五日間の間に、上野に入った徳川軍が軍備を着々と整え、また蒲生秀行が上杉・伊達・最上の三家で連名した書状を送り返し徳川に与する姿勢を見せている事もわかっていた。

 しかし、家中が混乱している上に自分たちのような挙兵の名目もないと思っており、自ら兵を動かすことはないと思っていた。


「とにかく仕掛けられたからには迎撃するしかあるまい!兵の数は!」

「大将は松平忠吉、副将に井伊直政、その他下野の兵を含め一万五千です!」

「わかった!私が指揮を取る!少将殿にも伝えい!」


 兼続は平静を装いながらも、実際は激しく動揺していた。先制の攻撃と言っても、徳川ははっきりと上杉との敵対姿勢を取った、そう見せるための芝居的な出兵でありそう大した規模ではないと読んでいたのである。

 実際蒲生秀行の居城である宇都宮城に一万五千の兵がいたことを兼続は把握していたのだが、その一万五千全部がいきなり攻撃をかけてくるとは読めなかったのである。




※※※※※※※※※




「よくやった!もはや陸奥は目の前だ!」


 井伊直政の激しい声が、焼け焦げた砦の壁の中で飛んでいた。

 どんなに守りが精強で、かつ上杉の兵が強兵でも会津と下野の国境にあった砦には数百名しかいない。

 そこに一万五千の兵が攻めかかってきたのである、二刻(四時間)で砦は陥落してしまった。


「下野守(松平忠吉)様、これで陸奥への足がかりをばつかみました」

「しかし、いささか暴走に過ぎぬか?この程度の砦を落とすにしては犠牲を出しすぎた気がするのだが」

「もたつけば上杉の精鋭が来ます。この方が結果的に損害は少のうございます」

「そうか、私はまだまだ未熟だな」


 それにしても一歩でも後退した者は容赦なく鉄砲で撃たれるなど、徳川軍の攻めは苛烈であり、二百名近い犠牲者を出した。重要な国境とは言え小さな砦を落とすだけにしては随分と大きな損害である。


「疲弊した者は休め!元気な者は武器を取り北側に向かえ!まもなく上杉と伊達がやってくる!休めるのは一刻が限度と思え!」

「そんなに早く来るのか?」

「ええ、なるべく挙兵を悟られぬように行動を起こし一気に攻めかかりましたが、上杉も馬鹿ではありません。道中に感付かれた事は必定。とすると上杉ならばそれぐらいの時間でやって来ます。重要な国境の砦をみすみす我らに渡してくれる軍勢ではありません。会津若松にはかなりの兵が集まっておりますゆえ、おそらく二万近くの兵をこちらにつぎ込んでくるでしょう」

「二万か」

「大丈夫、最初からこの迎撃込みの挙兵です。下野守様は安心して見守っていて下さい。兵たちよ、次こそが本番だ。気合を入れよ!」


 総大将であり娘婿である忠吉の危惧を吹き飛ばすように直政は手を振った。その瞳には、戦から持ち込まれた興奮や緊張とは違う何かが浮かんでいた。

 そして直政の言葉通り、一刻後には砦の北から物凄い砂塵が上がり、「毘」の字の旗を掲げた軍勢が迫って来た。そしてもう一つ、紺地に日の丸の旗も。




「ついに来たぞ!皆の者、迎撃準備を整えよ!」


 五月十日未の刻(午後二時ごろ)、上杉・伊達連合軍二万は徳川軍一万五千に占拠された国境の砦にたどり着いた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る