第四章-3 暴論
「我こそは上杉軍大将、直江山城守兼続である!徳川軍大将に告ぐ!そなたらのやっている事は上杉家に対する侵略行為である!正当な理由がなければ絶対に為してはならぬ事である!その理由とは何だ!答えてみせよ!」
「では答えてみせようぞ山城守!それは上杉家、そして伊達家のためを思えばこそである!」
直江兼続は高らかに声を上げ、砦の正面に立つ井伊直政に問うた。
どうだ正当な理由があるのかと言わんばかりの物言いであったが、井伊直政も全くひるむことなく言い返した。
「ふざけるな!上杉家の将兵を数百人も殺して何が上杉家のためだ!それに伊達家はすでに我が上杉家と同盟関係にある!今ここにどんな旗が翻っているか、見えていない訳でもあるまい!」
伊達家の軍旗である紺地に日の丸の旗の横には上杉家の旗である「毘」の字の旗が翻り、更には直江家の家紋である赤地三ツ山、伊達家の家紋である竹に雀の旗も翻っていた。それはまさに、伊達と上杉が一体となっていることを示す光景であった。
「まだわからぬか!伊達も上杉も、操られているにすぎんのだ!」
「治部少輔に操られていると言うのか?それなら結構だ!」
「治部少輔など関係ないわ!本多正純の操り人形めが!」
「なっ……」
実際兼続は石田三成が自分を駆り立ててくれていると信じていたが、直政から飛び出した余りにも予想外の名前を聞いて、一瞬声を失ってしまった。
「正純めは父の正信の徳川簒奪の野望を阻止された事を逆恨みし、我らを除くためだけに伊達に走ったのだ!奴は我らとそなたらを相討ちにさせ、その後のうのうと徳川に復帰し、やがて父親に代わって徳川家を奪い取る算段なのだ!そなたらは正純によって捨て駒にされるだけの存在よ!謙信公以来の武勇の家や勇猛果敢な独眼竜が、逆恨みの道具にされるのを見過ごすほど、我らは冷たくはないのでな!」
「なるほど、逃げ出したくもなるな」
井伊直政の長広舌に割り込んだのは、伊達政宗である。
「井伊殿は徳川家がお好きではないことがよくわかった!いや何も自分が好きと言っているのではない。家康殿だけがお好きな事がな!結局、佐州殿に大好きな家康殿をやりたくなかったのだろう?大好きな家康殿の傍にずっといたかったのだろう?だから井伊殿は家康殿を佐州殿から自分たちの元に取り戻してくれた榊原康政に深く感謝しているのだ!どうだ井伊殿、わしの言葉に何か間違いがあるか?」
「あえて否定はせぬ!近年、大殿様の下す命はすべて正信と事前に相談して出来上がった物だった!それではまるで我々は正信に命令されているようなものだ!我らや江戸中納言様と一緒に座を囲んでも、大殿様が頼りにするのは正信ばかり。我らは何としても正信から大殿様を取り戻さねばならなかった!式部殿は見事、我らの思いを叶えてくれた!そんな人間を正信如きの道連れで死なせるなど、我々には許せなかったのだ!」
伊達政宗の痛烈な皮肉を、井伊直政は真正面から肯定した。その迷いのない有様に、砦の内部からは拍手と歓声が起こったほどである。
「山城守!この歓声を聞いたであろう!徳川ではあんなたわけた詭弁を吐く者がもてはやされるのだ。貴公も改めてわかったであろう、今の徳川の危険性を!」
「う、うむ……」
「徳川の重臣をかどわかした伊達とそれと組む上杉は許し難い、とか言うと予想していたか?残念ながら、甘かったようだな」
兼続は開いた口が塞がらないと言う表情になっていた。
兼続は秀吉に天下を取れると言われた将器の持ち主だったが、性格が清廉すぎた。戦を起こすにはそれなりの理由がなければならない。親友と言うことを差し引いても、豊臣家の奉行職にあった者を闇夜にまぎれて暗殺するような事は許されないはずだ。
そして徳川家内部では重臣の一人である榊原康政がほとんど三成殺しに近い卑劣なやり方で同じ重臣である本多正信を殺し、しかも井伊直政・本多忠勝以下他のほとんどの人間が康政を臆面もなく庇護し、結果家康はその命を奪うことができなかった。
そんな異常な状態をまかり通らせておくなど言語道断——それこそが、三成との友誼と並ぶ兼続にとってのこの戦の理由だった。当初は豊臣家の天下を奪い、我が一族のみの栄耀栄華を極めんとする家康のやり方が許せないと感じていた兼続であったが、現在はそちらの考えは大きく薄れていた。
兼続にしてみれば今徳川が自分たちに兵を向ける名目など、徳川の重臣たる本多正純を強奪した伊達家と結んでいる事、それ以外思いつかなかった。
それがよりにもよって自分たちを被害者呼ばわりするとは思いも寄らなかったのである。
だがそれ以上に兼続を愕然とさせたのは、徳川家が予想外にまとまっていた事であった。
家康の股肱の臣が殺され、四天王の一人が家中を追われ、あげくその股肱の臣の息子が伊達家にかどわかされたと来れば家中は大混乱に陥っており、徳川家内部の統制は取れていないと考えていたのである。
「井伊兵部、本多佐州殿に礼を申すのだな、自らの口で。あ、お前たちと佐州殿は行き先が違うから無理だな」
「伝言の役目は少将殿と山城守にお願いいたす!」
「山城守はともかく、わしは極楽浄土に行くにはいささか人を殺めすぎたのでな」
政宗は今の徳川の結束は本多正信を憎む事によって成り立っていると言う事を痛烈な皮肉を込めて兼続と徳川軍に言い放ったが、直政も一歩も引かずに言い返してくる。
二人のやり取りを聞いていた兼続の顔色は曇る一方だった。と同時に、何としてもこの戦に勝たなければいけないという焦燥が彼の心を突っつき始めた。
(徳川家康はそれなりに国の事を考えている。豊臣家の天下を卑劣な手段で奪おうとするやり方は気に入らないが、とりあえず国はまともに治まるだろう。
だが今の家康にあのような暴論を抑え込む力はない。おそらくあの暴論に屈し、徳川に逆らうものを全て力で押さえつけるようなやり方を取らざるを得なくなるだろう。そんな世の中だけは断じて認めるわけにはいかない!)
「黙れ、本多正純の木偶人形が!」
「うるさいわ、贔屓の引き倒しを絵に描いたような男が!」
政宗と直政の罵り合いの最中にも兼続の焦燥は高まり続け、ついに頂点に達した。そして焦燥に駆られた兼続は、これまでにない大声を出して直政に呼ばわった。
「井伊直政!貴様のやり方では豊臣家はおろか、徳川家さえ盛り立てられぬ!私はここにいる大崎少将殿と共に天下の大罪人たるそなたの首を頂く!放てっ!」
兼続は荒々しく右手の軍配を振りかざし、井伊直政のほうへと向けた。そしてその大将の挙動に答えるが如く、およそ三百と思しき弓隊が上杉軍の前面に現われ、徳川軍が奪い取った砦に向けて矢を一斉に放った。鉄砲でもぎりぎり届かない位置から放たれた矢なので、もちろん攻撃力などまったくない。攻撃と言うより、攻撃開始の合図、いや儀式とでも言うべきものだった。
(なんとまあ古式ゆかしい事よ)
伊達政宗は内心で苦笑を浮かべた。応仁の乱から百三十年が経ち、室町幕府が滅んでから二十六年も経っているのに、まだ上杉家は関東管領をやっているのだ。源平合戦の昔に消えたはずの合図を、未だにやっている事がそれを如実に示していた。
果たして、矢が着地すると同時に兼続は鉄砲隊を前面に押し出し、徳川軍に向けて斉射を開始し、徳川軍もそれに答えるかのごとく反撃を開始した。
「よし、我らも斉射を開始せよ!」
政宗もまた、自慢の鉄砲隊に斉射を命じた。五千近く多い上杉・伊達連合軍の方が銃声は大きかったが、徳川軍の射撃手もさすがに狙いは正確であり、そして砦の防御力を生かして必死に反撃してくる。
「今だ、突撃開始!」
「来たぞ、迎え撃て!」
そして十分ほど射ち合いが続いた後、上杉軍の精鋭が一斉に突撃を敢行し、徳川軍も刀槍による迎撃の態勢に入った。まさに、力と力のぶつかり合い、何の飾りもない肉弾戦が始まった。
「進め、天下の逆臣達を討ち取れ!」
「本多正純の木偶人形どもを打ち砕け!」
伊達軍、上杉軍、井伊の赤備えを始めとする徳川軍、いずれも精鋭であった。
その精鋭同士が真っ向からぶつかり合った戦いは見る者全ての血を沸き上がらせ、そして一進一退の攻防が一刻以上も続いた。
やがて数で劣る徳川軍が砦への退却を開始したものの、その退き戦もまた見事であり、上杉・伊達連合軍は満足な追撃戦を行えなかった。
「くっ、やってくれる……」
「井伊直政め……乱心しているが軍略だけは正確だな……それだけになお厄介だ」
お互いに相手を褒めながら、一日目の戦は終わった。
それから数日間、徳川軍と上杉・伊達連合軍は同じような戦を繰り返した。毎回毎回数の差で上杉・伊達連合軍が勝利するものの、徳川軍の退き戦が見事なため「敗走する軍の追撃」というもっとも戦果が拡大する状況に持ち込めないのである。
戦というのは、両軍が向かい合って真っ向から正面衝突する時は、どちらが不利でも被害というのは意外に差が付かない。被害に差がつくのは、どちらかの軍が崩れた時、その崩れた方をもう一方が追撃する時である。直政は巧妙な退き戦を展開し、被害を最小限に抑え込んでいた。勝っても勝っても戦果が拡大しない状況に、兼続は苛立ちを募らせていた。
「ええい、何度やっても結果は同じか!」
「あわてるな山城守。我らが勝っている事には変わりはない」
「だかこれではいつ関東へ攻められるのか……」
「当分無理だろうな。例えいくら兵を増やしても直政にはぐらかされ続けるだろう」
政宗はそれよりもと言わんばかりに懐から書状を取り出した。よく見れば、上杉景勝と政宗と最上義光が連名した檄文である。
「越後の堀家からだ。徳川軍の形勢が悪くないと見てつき返して来たようだ」
もともと堀家と上杉家は仲がよくなく、最初からこのように檄文を付き返す、すなわち上杉・伊達連合軍と対立する可能性は高かったのだが、今ここで苛立ちが募っている状況での堀秀治のこの行為は兼続の機嫌を更に悪くさせた。
「ぐうっ、何を考えているのだ、堀家は!」
「大丈夫だ、山城守。真田安房守殿がいるだろう」
「なるほど、安房守殿ならば我らに味方してくれよう。しかし」
「この砦に払った犠牲はどうなるかという話か?ここを抑えられている限り奥州からの南下は無理だ。それよりは越後を通って信濃に入った方がよい。上野から関東になだれ込んでもよし、あるいは美濃に向かうもよしだ」
美濃という言葉を聞いた途端、兼続の表情が変わった。考えてみれば、美濃には石田三成暗殺の実行犯である福島正則らとそれに与する者たちがいる。そして今現在、彼らは宇喜多秀家率いる石田連合軍と対峙している最中である。数はほぼ互角だというが、そこに自分たちが加われば、一気に石田連合軍が有利となり、三成の仇にして五奉行暗殺という大罪を働いた天下の咎人を誅する事ができるのだ。
「この砦は……」
「一万ほど兵がいればこれ以上は攻め込めまい。まあ国境全体で一万五千も貼り付けておけば徳川とて手は出せぬであろう」
「よし、信州へ向かいましょう!」
五月二十日、上杉・伊達連合軍は援軍として送られた五千の兵を含む一万の兵を残して兵を西に向けた。とりあえずの目標は堀秀治の居城である越後の春日山城、そして自分たちの味方となってくれることがすでに保証されている、稀代の策略家真田安房守昌幸が治める信濃の上田城であった。
「そう言えば九州はどうなっているのか」
「如水殿のことゆえ、すでに何らかの動きを始めているのだろう。楽しみだ」
道中での兼続の問いに、政宗はニヤリと意味深な笑みを返した。
「これは急がねばならぬかもな。もたもたしていると如水殿が大坂に来るかもな」
その後に続いた政宗の戯言めかした言葉に兼続はいくら何でもとは思いながらも、同時に如水ならばやりかねないとも思った。
政宗と兼続が越後への道中そんな事を話し合っている間、噂の如水は快進撃を続けていたのである。
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