第四章-4 進撃

「もう少し手腕を見せたかったがのう」

「これで十二分でございましょう。世人はみな、黒田如水の手腕に一かけらのかげりもなしと驚きを隠せぬはずです」

「ハッハッハ、だとよいのだがな」


 上杉・伊達連合軍と徳川軍が国境の砦で激突していた頃、黒田如水は熊本城で高笑いをしていた。




「主不在とは言えわずか五日でこの城を手にするとは……」

「天下の黒田官兵衛は未だ健在、いやむしろ円熟味を増したようだ」


 五月一日に挙兵した如水は、五千の加藤軍が籠もる熊本城をわずか五日で陥落させた。しかも立花宗茂や福原直高などの兵をまともに使わず、千二百に過ぎない黒田軍の兵と二千の傭兵だけで加藤軍を熊本城に追い詰め、立花軍などは攻城戦の最後の締めに使っただけであった。宇土の小西行長が微力ながら熊本城に攻撃をかけていた事や六千を超える軍勢が控えていたことも無視できないとは言え、弱兵とは言えない加藤軍五千を三千二百の兵で、わずか五日で打ち砕いたことは紛れもない事実であり、黒田如水健在を示すには十分すぎるほどであった。


「まもなく小西摂津も如水様の指揮下に入るべく登城すると思われます」

「その次は小早川金吾(秀秋)あたりか」


 如水と黒田家筆頭家老、後藤又兵衛基次の会話は弾むばかりであった。五月六日に熊本城に入城してからわずか四日の間に、旗幟を鮮明にしていなかった豊後や筑後の小大名たちから次々と如水の指揮下に入りたい旨を記した書状が届けられたのである。その数は優に十枚を超えていた。

 だがそれ以上に両名の機嫌を良くさせたのは、肥前の鍋島直茂が寺沢広高の領土に攻撃をかけ始めたと言う事実であった。

 寺沢広高はかつて長政が強引に徴兵をかけた際に長政に同調して兵を挙げ、この五月十日現在、大和から伊勢路を通り福島正則・加藤清正らと共に大垣城にいる。要するに、加藤清正軍の同盟軍である。それを鍋島が攻撃したと言う事は、自分に同調したに等しい。

 世間では鍋島直茂は主君の龍造寺家を乗っ取ったように言われているが、実際には肥前の熊と言われた龍造寺隆信の戦死後、当主となった嫡子政家が病弱の上に人物としても頼りなく、他の家臣や龍造寺一族が直茂を頼るようになり、結果自然に権勢が拡大、秀吉に実質的な肥前の支配を認められるに至ったのである。隆信のまたいとこの龍造寺家晴や政家の弟の後藤家信など、龍造寺家一門として直茂を押さえ家政を司ることができる立場にある人物は一人や二人ではないのに、そのほぼ全てが、直茂が事実上の大名となっている事実に対し異を唱えることはない。要するに、当主の隆信を失い一気に傾いた龍造寺家を立て直し支えたのは直茂のおかげであると、龍造寺家そのものが認めているのである。それは、直茂が大変有能であると言う事の証明に他ならない。そうでなければ、龍造寺家一門から反発が出る事は必至だからである。


「柳川侍従(立花宗茂)はすでに我が指揮下に入り、鍋島は協力宣言に等しい挙兵、小西摂津も一応とは言えわしと協力関係による戦を行った。残る九州の大物は小早川と島津のみ。だがまあ小早川金吾には頼勝がおるし、実質島津だけじゃろう」

「しかし島津こそが一番難しいと思いますが」


 小早川秀秋の家老の一人、平岡頼勝は黒田家と幾重にも血のつながりを持っていた。今頃は秀秋に如水に応じるように説いているであろう。元々それほどしっかりした意見があるわけでなく、激動する状況に対応できず傍観をしていたような十七歳の若造だから、今度の大勝と頼勝の熱弁によって必ずや自分に協力するようになるであろう。

 一方で島津は源頼朝公の頃から続く名家であり、尚武の気風が非常に濃い。いくら自分を除くほぼ全ての九州の大名が如水に協力していることを悟っても素直に服属してくれるような家ではないだろう。救いがあるとすれば、今の島津家が若い当主の忠恒、その父で島津の将兵たちの尊敬を集める義弘、義弘の兄で政治向きに信頼の厚い義久の三頭体制であり、その三頭の連携があまり取れていないと言うことか。


「維新翁義弘に頼ってみるか」

「維新翁殿に?」

「あれは古武士よ。治部少輔暗殺の経緯を聞けば大夫らに対しいい顔をするはずがない。その大夫を懲らしめるために鬼島津の力を貸してもらいたい、と言えば維新翁は喜んで応じて来るだろう」

「しかしそれでは島津の三頭の一角を引き込んだに過ぎないのでは」

「それで十分よ。島津将兵の中の最精鋭じゃからな。二千の島津軍は一万の雑兵に匹敵するわ。それに」

「ああ、島津家としても言い訳はしやすいですからね」

「早速わしが書状をしたためよう」


 万が一の時には、義弘が勝手にやってしまったと言えば島津家本体は安泰だろう。義久はそれだけの政治力の持ち主だし、義弘もその結果は覚悟しているはずだ。如水は早速筆を取り、義弘宛に福島正則の三成暗殺の経緯を示した書状をしたためた。


「それで美濃の方はどうなっておる?」

「まもなく戦が始まるよう、との事です」

「ふむ……数はおよそ三万と二万五千か……藤堂佐州もやりおるのう」

「しかし佐州殿の行動は誤算だったのではなかったのですか?」


 高虎に三成の遺臣に味方するように勧めたのは如水である。だが如水は高虎の事だから無理はせず周辺の大名に三成の遺臣に味方するように呼びかけるなど着実な手段を取ると考えていたのであるが、実際には高虎は宇喜多家の御家騒動に首を突っ込むと言う極めて危険な手段に出たのである。果たして高虎は宇喜多家を鎮める事に成功したものの、それは如水にして見れば計算違いだった。


「何、そのおかげで治部少の遺臣たちは大夫らに対抗できる数を集められた」

「しかし、なぜ遠江掛川の対馬守(山内一豊)殿を誘ったのかがわかりません。地理的には大夫の味方をする方が順当なはずなのにです。一説には阿波一国を保証したとか」

「大方、武断派の中にも大夫の行為を許されざるものと考えている人間がいる、その事を世間に知らしめたかったのじゃろう。そして治部少の遺臣たちと大夫たち、両者の兵力差は決して大きくはない。結果としては悪くはないぞ」


 如水のその言葉を聞いた途端、又兵衛の顔が微妙に歪んだ。


「するとやはり」

「ああ、そういうことじゃ」


 如水の顔は一瞬笑み崩れ、急に引き締まった。


「秀頼君が自ら政を執られるようになるまで少なくとも十年はかかろう。その間を高台院様ならともかく淀のお方様には任せられぬ。かと言って要たる治部少輔を失った豊臣家の文治派や、同じく要の本多佐州を失った徳川家にも天下は荷が重い。加賀中納言や大夫などは論外であろう。だが政治に十年も空白は作れん」

「会津中納言殿及び直江山城、あるいは安芸中納言殿では駄目ですか?」

「会津中納言と直江山城は器量はあるが、水が清すぎて魚が住めん。安芸中納言では果断な処置は下せんよ」


 上杉景勝と直江兼続は三成と同じように知恵はあるが性格が清廉すぎる面があり、秀吉のように清濁併せ呑む事ができない。それに天下を任せれば、三成と同じ運命になる危険があった。

 また毛利輝元は野心家で謀略家の祖父元就とは全く違う良家の跡取りで、温和で器量はあるが、ずっと毛利家内部のことでさえ小早川・吉川両家に遠慮しながら決めなければならない環境の中にあり、輝元が政権の中心に立ってもそれは変わらないだろう。そうなると、天下の政治が滞る危険がある。


 要するに己が政治の要たる本多正信を失った徳川家康、石田三成を失った文治派の中心人物である宇喜多秀家、清廉すぎる上杉景勝、家内さえ自分の意思で一統できない毛利輝元、この大乱に対し何の動きも見せていない優柔不断な前田利長、どの五大老が天下の中枢についても、政治は立ち行かなくなると如水は見ている。



「太閤殿下がわしを九州にやったわけを知っているであろう?大封を与えれば天下を奪うと警戒したからじゃ。だが今となっては、天下を奪うことこそ豊臣家への最大の奉公となろう」


 秀吉が如水を九州に封じたのは、その才覚智謀もさることながら、秀吉と同じ人たらしの才を如水が兼ね備えていることが最大の理由だった。だがそれは言い方を変えれば、秀吉の造った天下を、同じ才能を持っている如水が治めるのはさほど難しくないとも言える。


「どうせわしはそれほど長生きできるわけではないし、決して世は息子と息子を止められなかったわしの罪を見逃しはせん。黒田の天下を続けるなどどう考えても不可能な事よ。要するに、わしは秀頼君が成長するまでの中継ぎになりたいのじゃよ。その後は成長した秀頼君にお任せし、我ら黒田家は今の倍から三倍ぐらいの石高をもらえるようになればよい。もし秀頼君に万が一の事があったり暴君になったりするなら、その時は残された者が考える番じゃ」


 あと自分がどれだけ生きられるかはわからない。だがその間だけでもこの国の中枢に入り、秀頼君と豊臣家の世のための地ならしをしたい。どうせ五奉行の筆頭殺しという大罪を為した家だ、どんなに働いてもその罪からは逃れがたい。だから権力は自分一代でいい。

 自分が死んだ後は秀頼に政治を任せ、そして黒田家は自分の功績で出世させる。それこそが、如水が兵を立ち上げた真の理由だった。


「恐れながら甲斐守様は……」

「何、吉兵衛は主犯ではない。主犯の左衛門大夫(福島正則)はさすがに斬首しかなかろうが、主計頭以下の六人は殺す理由はない。お預けか、せいぜい流罪で十分じゃろう」

「ならばよろしいのですが、戦場で対峙し討ち死にされたり自害なされたりすると」

「その時はやむを得まい。いずれにせよ、吉兵衛は父から親子の縁を切られた男。それがそのような死に方をするのはむしろ華々しいことであろう。吉兵衛の名も少しは上がるというものじゃ」


 如水は又兵衛がいとおしくなった。如水は又兵衛を長政共々幼少の頃から育ててきたのだが、才覚の面では又兵衛の方が勝っていた。成長した又兵衛はその才覚によって黒田家の筆頭家老になったものの、長政は又兵衛の事を嫌っていた。

 主人であるはずの自分と一緒に育てられながら、自分以上の才覚を見せる又兵衛の存在が煙たかったのである。又兵衛ほどの人物ならば、長政の自分に対する感情は理解しているはずだ。

 にもかかわらず、又兵衛は長政の身を真剣に案じている。

 如水は既に長政がいなくなった後の黒田の後継者は弟の兵庫助の子政成と決めている。如水は一瞬又兵衛を跡継ぎにしたい衝動に駆られたが、首を大きく振ってその衝動を振り払った。


「こうしてはいられぬ、長宗我部と生駒らを焚き付けよう。さらに吉川もな」


 土佐の長宗我部、讃岐の生駒も己が指揮に従わせる。名目は無論、伊予松前の加藤嘉明及び阿波の蜂須賀家政、二人の三成暗殺犯の討伐として。

 そして毛利家の中心人物の一人で、自分を尊敬している吉川広家を後押しし、毛利家を福島正則ら討伐の軍隊に組み込む。そうすれば、徳川軍とも互角以上に戦える数が集まるだろう。

 その兵力をもって正則らを成敗し、あわよくば徳川まで討つ。その功績をもって政権の中枢に入り、天下を掴む。太閤秀吉を天下人にしたその手腕と意欲に、未だ衰えはなかった。

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