第二章 玉縄城襲撃

第二章-1 不穏

 

 黒田如水が記した「絶縁状」は、島左近らの手によってたちまち全国に広がった。




「まさかこんな物が出てくるとはな」

「まあ、わからないでもありませんが」


 徳川家康もまた、江戸城へたどり着いた翌日に左近が撒いた絶縁状の写しを入手した。江戸城の大広間では、家康と本多正信・榊原康政・井伊直政・本多忠勝・大久保忠隣に加え、家康の三男にして後継者に指名されている徳川秀忠の合わせて七名が絶縁状を囲んでいた。


「これで甲斐守とそれに与する者の運命は決まったな」

「父から勘当された不孝の子とそれと志を同じくする者たちですからね」


 家康の右側には相変わらず本多正信がおり、左側に秀忠、左右に康政と忠勝、直政と忠隣が並んで座っている。


「では、すぐさま用意を整え出兵すべきかと。今、大夫らを討つ事を咎める者など誰もおりますまい」


 直政の提案に対し、家康は話にならないと言った表情で口を開いた。


「よいか。確かに今、大夫らを討つ事に文句を言う輩はいない。だが、その結果大夫を討ったとしてどうなる?治部少輔の遺臣たちは一体誰に恩を感じると思う?」

「如水……」

「そうだ。ここで大夫を討てばその功績の大半は如水に持って行かれるぞ」

「治部の遺臣が反発しませんか?」

「治部少輔はわしの危険性を嫌と言うほど部下に染み込ませて来た。毒をもって毒を制する、ぐらいの気持ちで来るだろうな」


 如水も危険人物ではあるが、家康というそれ以上の猛毒(と島左近らは思っている)を制するために、大夫らが消えた後に、対徳川戦争の大将に押し立てる位の事は平気でやるだろう。


「とすれば、我らはどうすべきと?」

「確かに、この絶縁状は大夫らには大打撃を与えました。ですが、治部少輔の遺臣らにとってはどうでしょうか」

「弥八郎、思案があるなら申してみよ」

「はっ、では……五奉行筆頭を京の街にて兵を率い、その屋敷に乗り込んで斬り殺す…これが賞賛できる行為でしょうか」

「できるわけがないだろう!」

「はい。まさに恥ずべき行為でございます」


 馬鹿にしているのかと言わんばかりの康政の言葉を聞いても正信は何ら動揺する事なく、淡々と言葉を続けた。


「そんな恥ずべき行為をした息子に対し、父親が非道の処置を取る事は自然な事ではないでしょうか。大夫らは治部少輔を討つ事が如水殿のため、世のためになると信じ、世に布告しておりました。ですから、此度の書状から受けた打撃は莫大だったのです。ですが五奉行の筆頭を闇討ち同然に殺めると言う事がいかなる事か、世間がわからないはずがありません」

「結局何を言いたいのだ」

「要するに、この絶縁状はそれほど治部少輔の遺臣らの味方を増やしてはいないと言う事です」

「待て、すると静観していた大名の中にこの書状にかこつけて治部少の遺臣の味方をする者が出ないと言う保証があるのか?」

「それはあくまで如水殿の功績であって治部少の遺臣の功績ではありません」


 康政の物言いは段々喧嘩腰になって来ていた。しかしそれでも正信は全く動じる様子もなく言葉を続ける。


「治部少輔は平懐者と呼ばれ嫌われていました。此度の暗殺を、行動こそ起こさないにせよいい気味と思っている大名は少なくないでしょう。

 今静観しているのは迷っているか、いい気味と思っている大名たちです。前者はやがて如水殿の書状にかこつけ治部少の遺臣につくでしょうが、後者はあくまでも日和見を決め込むでしょう。そして時が経てば要と言うべき治部少輔本人を失った石田家とそれに近しい者達は徐々に勢いを失って行きます。今静観している大名たちはその時が来れば石田家を見捨てます。

 そして、如水殿は若い時に城に一年近く幽閉された後遺症で足が悪く、大殿様より三つ年下ですがそうは長生きできないでしょう。これは大殿様の見立てですから間違いございません」


 家康は薬作りが趣味であり、そのため他者の寿命も推し量る事もできた。前田利家の時も、その見立てが的中したのである。


「つまり、治部少輔の死を密かに喜んでいる者を集め、準備を整えよと言う事か」

「はい、中村や堀尾などはもとより治部少輔を良く思っておりませんでした。他にも森、京極高次、仙石など、東海道筋や信州だけでも味方に加わる大名は少なくありません。他にも伊達や最上、堀は治部少輔に近しい上杉との関係で有力な味方になります。

 前田もまた、加賀中納言の母である芳春院(まつ)が徳川を支持しております。佐竹は当主の義宣は治部少輔と親密ですが、未だに大きな影響力を持つ父の義重が治部少と距離を置いておりました。おそらく、意見はまとまらず兵は動かせないでしょう。そして安芸中納言も、徳川家にすり寄って来る姿勢を見せております。

 他にも、四国の生駒、九州の寺沢も治部少を白眼視しておりました」


 伊達と最上がこちらについてしまえば、東北の大名の大半は追従するだろう。北陸における前田、中国における毛利もまた同じである。


「しかし、如水殿が九州で挙兵する可能性はあるまいか」

「考えられます。ですが兵は残っていてもそれは所詮甲斐守が精鋭を持って行った余り。さらにすでに如水殿は隠居の身。どれだけの大名が追従するでしょうか。

 筑前の小早川中納言は若く判断力に欠け、鍋島直茂は日和見を決め込む可能性が高く、島津は当主が若年で家中の統一が困難です。動くとすれば小西摂津、柳川侍従(立花宗茂)、そして福原直高ら豊前の小大名たちぐらいでしょう。

 ただし小西軍は朝鮮出兵の疲弊がいまだひどく、福原らは少数で、さらに両者とも治部少輔に極めて親密であるゆえに単独で挙兵をする可能性があり、如水殿と連携が取れるかは非常に疑わしい所です。柳川侍従は義に篤い性格ゆえ動くでしょうが……おそらくは彼だけでしょうな」

「絶縁状と言う大義名分があってもか?」

「先にも述べたように五奉行殺しと言う暴挙を犯した息子を勘当する事は当然の事。それにここで戦を仕掛けても相手は加藤主計頭の在地軍だけ。そんな小さな戦にわざわざ足を突っ込むなど、利に比して害が多すぎます」

「うーん、するといつ頃我らは挙兵する事になるのか」

「おそらく治部少輔の遺臣は我らが江戸に到着した事をもう把握しているでしょう。となると、この隙に自分たちの手だけで大夫らを討とうと、親密な備前中納言に出兵を促すでしょう。しかし宇喜多家は御家騒動の只中、すぐに出兵する事など不可能です。強引に出兵する事は不可能ではないでしょうが、不統一な軍勢など恐るるに足りません。備前中納言の兵力なしでは、大夫らより兵数では下回ってしまいます。騒動が治まるのには、楽観的に見ても一月は下らない時間が必要でしょう」

「なるほど、備前中納言が岡山を出た時が挙兵の時、と言う訳か」

「はい。そして我らの手で大夫らを討てば、治部少輔の遺臣や備前中納言は治部少輔の仇を討った徳川に頭が上がらなくなり、如水殿は実質何もしていないままで終わります」


 正信と忠勝の会話に、突如家康が口を挟んだ。それでも正信は、既定路線とばかりに話を続ける。


「なぜ備前中納言が岡山を出るまで待つ必要があるのです?」

「兵を整える時間が必要……と言うのもあるが、それよりはその後のためだ」

「その後のため?」

「備前中納言は出兵を焦り、おそらくかなり強引に、例え表面的でも家中統一を図ろうとする。その結果がよければともかく、出兵しておいてわしにいい所を持って行かれたとなると、家中は一挙に破綻する。そして備前中納言に反発する者達、すなわち宇喜多の古参の臣を我らに迎え入れるのじゃ。来るべき、決戦に備えてな」

「だが先に備前中納言の軍勢に到着されたらどうなさいます?」

「よほどの時間をかけねば動員した兵たちが当てになるほどの軍勢はできぬ。備前中納言も治部少輔からわしの危険性を嫌と言うほど叩き込まれているが、ゆえに焦燥に駆られ先に述べたように強引に家内を統一するだろう。

 その結果、兵の数は集まるが一気に大夫らを殲滅できるような強力な軍勢にはならない。大夫らも清洲の守りを相当固めているようだからな。要するに、戦は長引く。我らは、援軍に来たとでも言えば大夫らを一戦で仕舞いにできる」

「ですが、それで出兵すると徳川は大夫らに与したと思われ、上杉や佐竹の挙兵を受けませんか」

「だから名目は明かさん。だいたい、遠江まで向かった所で大夫らに与すると宣言する。そして、そこで一気に大夫らを叩く。そうすれば、挙兵する暇はないし、仮にあってもその宣言は大夫らを除くための策だった、で決着する」

「しかし島左近などは我らの挙兵の真の狙いをすぐに見破るはず。まさかとは思いますが大夫と手を組むような事は」

「大夫や甲斐守に徳川が豊臣の天下を奪うと言う発想はないわ。ましてや自分たちを滅ぼすためにわしが動いたなどという発想はな。それをすればむしろここぞとばかりに左近らの情けなさを世に喧伝するだけだろう。左近らはこのままでは徳川に諸共に飲み込まれるとでも言うだろうが、それを真に受ける人物など大夫らの中にはおらん。せいぜい、主計頭が我らに攻撃を受けた時ようやく気付くぐらいだろう」


 そして、宇喜多家を退転した者たちと伊達、最上、前田、毛利らの地方の大大名と三成に批判的だった潜在勢力を取り込み、戦力と求心力の低下した石田家と、それに与する者達を叩く。さすれば、如水などもはや脅威にもならない。


「徳川の天下、泰平の世は遠からず。その時まで、しっかり弓馬を磨け。それがわしからの命だ。では、みな下がってよいぞ」



 家康の言葉を受け、六人はいっせいに立ち上がり大広間を後にした。

 その帰りの廊下で、榊原康政はなぜか深く溜息を吐いた。

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