第一章-4 勘当

 正則の疑問にも、長政は何も答えない。正則は強引に長政の手から書状を奪い、そして長政同様に動かなくなった。


「如水殿は……我らを見捨てたと言うのか!?」



 書状の内容を如水の言葉によって表せば以下のようになるだろう。




「吉兵衛(長政)。わしは決して三成を恨んではおらぬよ。あれは仕事のできる、極めて律儀で真面目な男じゃ。それゆえに三成の仕事は人の二倍三倍となり、しかも同僚二人が輪をかけて有能でな、結果わしのやる事はなくなってしもうた。朝鮮まで来て我らはすっかり暇人に成り下がったのよ。

 で、その時わしは見失ってしまったのじゃ。解っていたはずの、石田三成という男の本質を。太閤殿下への一本気な忠義を持っていると言う事を。わしに取っては単なる戯れに過ぎなかったのじゃが、あやつにしてみれば大不忠じゃったろうな。後から考えてみれば、正しいのは三成の方じゃし、わしがあやつでもそうした可能性は高いからのう。

 この年まで生きれば後悔する事など一度や二度ではないが、その時は柄にもなく慌てふためいてしもうた。その時の焦燥と、治部少の性分を見誤った失態。すべてはここに、すなわちわしの失敗に起因している事じゃ。わしは今、この事を吉兵衛に伝え切れなかった事を後悔しておる。

 だが、わしも親じゃ。それなりの情は持っている。お主が大夫ら六人の首を並べて治部少輔の遺臣に渡せば、親子としてわしと共に葬らん事もない。もし、お主が大夫らを守りたいのならば、わしがお主に我が思いを伝え切れなかった事を、お主の手で治部少輔に直に詫びて欲しい。

 さすれば、そなたの父としてのわしの顔も立つ。いずれの道を歩むかはお主の自由じゃが、わしの希望はこの二つの内のいずれかじゃ。わがままな父じゃが、願いを聞いてくれ」




 慶長二(一五九三)年二月、如水は朝鮮で暇を持て余していた。三成、大谷吉継、増田長盛の三人にすっかり指揮権を握られていたのである。そこで、如水は毎日浅野長政と碁ばかりを打って暇を潰していた。

 ある時、三成らが秀吉の内旨を持って如水の元へやって来た。しかし、如水は軽い戯れの調子で、三成らを別間で待たせたのである。

 だが、三成はそうは取らなかった。太閤殿下の内旨より碁の方が大事なのかと内心憤りを膨らませた。その事に気付いた如水は秀吉に弁明するべく急いで帰国したが、折悪しく当時勝手に帰国する兵が多く、如水を許せば逃散兵を罰せなくなってしまう。

 その結果、如水は出家と隠居を強要された。当然、長政は三成に激しい恨みと怒りを抱いた。長政が、此度の三成暗殺において主力となった所以である。



 実の所を言えば、正則らは三成を断罪するとは言ったものの、それほど決定的な何かを持っている訳ではなかった。三成の不公平な裁定を述べようにも証拠が掴みづらく、決定打と言うべき物がなかった。

 それでも正則らは三成の悪事を並べた書状を作り上げ全国に撒いていたのだが、その書状の筆頭に書かれていたのがこの問題だった。いわゆる三成の最大の罪であり、自分たちの暗殺を正当化する最大の武器だった。その武器が、当事者自身の手で粉砕された。



「ち、父上……」



 正則から書状を取り返した長政は改めて花押を確認し、それが紛れもない本物の書状である事を認めざるを得なくなった。


「ば、ばかな……な、なぜ、なぜ……」


 正則もまともに言葉が出ない。三成の最大の被害者だと思っていた如水が、三成を擁護するような、いや擁護する書状を記すとは。正則の心に、天と地がひっくり返った時のような衝撃が走った。


「う…………嘘だ!」


 泣きじゃくっていた長政はやっとの思いで言葉をひねり出した。


「嘘だ嘘だ!なぜ、父上は治部少輔などをかばう!治部少輔のせいで切腹させられても一向におかしくなかったというのに……!自分を殺そうとした相手と言っても過言ではないのに!なぜだ……なぜそんな人間をかばう!なぜ、父の仇を討った私と親子の縁を切るだなどと言い出す!こんなの嘘だ!」


 長政は堰を切ったように泣きわめく。



「お主が大夫ら六人の首を並べて治部少輔の遺臣に渡せば、親子としてわしと共に葬らん事もない。もし、お主が大夫らを守りたいのならば、わしがお主に我が思いを伝え切れなかった事を、お主の手で治部少輔に直に詫びて欲しい。さすれば、そなたの父としてのわしの顔も立つ」


 と言う如水の文面は、要するに「お前と一緒に三成殺しに参加した六人を斬るか、さもなくば自害しろ。さもなければ親子の縁を切る」と言っているのである。

 長政にしてみれば、酷すぎる仕打ちだった。せっかく自分の手で父の仇を取ったつもりだったのに、そのために三成を京で襲撃したと言うのに、父から贈られた物は一枚の絶縁状だけだった。


「太兵衛!お前、何とも言わなかったのか!?表情を変えぬ所を見ると、内容を知っていたのだろう!父上をいさめなかったのか!?」

「書状の内容は存じ上げませんでした。ですが」

「ですが何だ!早く言え!」

「如水様は……治部少輔が死んだと言う報を拙者から聞いた時、本当に辛そうなお顔で深く溜め息を付かれ……すぐに書状を認めるとおっしゃって奥の部屋に籠もられました」


 長政の剣幕にも、太兵衛は落ち着いて答える。はっきりとではないが、太兵衛は如水の書状の内容を察していたようだ。


「こんな偽書、私は見ておらん!」


 頭に血が上った長政は、正真正銘の如水の書状を偽書と破り捨てようとした。


「お待ちください!」

「黙れ!こんな治部少の遺臣共の偽書など知らん!使者も来ておらん!」

「拙者は正真正銘の母里太兵衛です!」

「そうか!だからそなたが使者になったのだな!」


 如水の書に打ちのめされたかこの男にしては珍しく沈黙を保っていた正則が、ここで絶望に包まれた声を上げた。


「並の者を寄越せば偽書と言い切って使者諸共存在を抹殺される危険性がある……」

「三番家老を斬れば重大な内紛か……ええい父上!」


 いくらなんでも家老を斬る事などできない。あるいはそっくりな偽者と言い切ってしまう事もできるだろうが、もし本物の母里太兵衛だと露見すれば、黒田長政の信用は地に落ち、もはや日の本全てが敵に変わってしまう。ましてや髭の濃い母里太兵衛の顔は遠くからでも目に付き、偽者を立てるのも極めて難しい。


「ではこれにて」


 太兵衛は右の拳を握りながら無念さをあらわにする長政を気にかけることもなく、極めて鷹揚に去って行った。




「……どうするか?」


 しばしの静寂の後、声を出したのは福島正則である。


「こんな書状はこの世にない。そうだな、大夫」

「そうだな、甲斐守」


 こんな書状が世に存在していてはならない。こんな書状が世に出たと知れれば長政は父に勘当された男になり、正則もまたその男と同類の存在になってしまう。今もなお、功績と加増を求め、戦を望む大名は少なくない。そんな大名たちの格好の的として潰されるだけだろう。


「太兵衛は慰問に来たのだ」

「そうだ、逆臣・石田三成を討ち取った我らの功績を讃えてな」


 幸い、この書状を読んだのは自分たち二人だけだ。我ら二人さえ口をつぐみ、書状を火にでもくべてしまえばいい。そして、母里太兵衛の清洲城訪問理由を、自分たちの慰問とでも言ってしまえばいい。


「早速、虎之助にでも持ち掛けるか」


 二人が落ち着きを取り戻し、やおら立ち上がったその時である。


「殿、治部少輔の遺臣めがとうとうおかしくなってしまったようです」


 福島正則の配下の猛将、可児才蔵が妙な物を見たと言う表情で正則の部屋に入り込んできた。


「おかしくなった?まさか、大坂城に攻め込んだとかか?」

「いえ、空言を言いふらし始めたのです」

「そんなのは今に始まった事か。捨て置け」

「それがあまりにもおかしいので」

「何を言い出してるんだ?」

「何でも、如水殿が甲斐守殿に対し、殿以下六人の将を斬って首を治部少の遺臣に渡すか、自害するかしなければ、親子の縁を切るなどと言い出したと……まさか、父の仇を取った甲斐守殿と親子の縁を切るなどと言う真似を如水殿が……」


 才蔵は笑い話そのものの調子で話していたが、話の中途から正則と長政の顔が歪んで行くのに気が付き、同じように顔を強張らせた。


「どうしたのです?ま、まさかそんな事が真実だなどと……」

「父上…………どうして……どうして治部少などを庇うのです!」

「甲斐守殿!?どうなさったのです!?」


 ……どう考えても、同じ内容の書状が佐和山にも届いたとしか思えない。自分たちが書状をない物にしようとした事まで読まれていたとは……。


「……勝手に言わせておけ!」



 正則は表情を強張らせながら何とか定型句が言えたものの、長政は二の句が継げないと言う表現がこんなにも当てはまるものかと言わんばかりの表情に変貌していた。そして定型句を吐き出し切った正則の左手には、如水の書状がしわくちゃに丸められて握られていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る