第二章-2 人質

 如水の絶縁状を徳川が江戸城で囲んでいた頃、宇喜多秀家は本拠の岡山城にて藤堂高虎の訪問を受けていた。


「何?藤堂佐州殿が参られたと?」

「はい、五百ほどの兵を連れて参られました。お味方なさりたいとの事です」

「とにかく、早急にお通しせよ」


 やがて、藤堂高虎が天守閣に姿を見せると、秀家は自ら手を取って迎えた。


「備前中納言殿、お久しぶりです。藤堂佐渡守高虎でございます」

「佐渡守殿、此度は誠に感謝いたします。貴公の義挙に厚く礼を申し上げます」


(随分丁重な挨拶だな……よほど困っているのか……いや……)


 秀家も高虎も同じ大名とは言え、片や五大老の一人で石高は五十七万石、片や八万石にも満たない小大名である。確かに一刻も早く内部情勢を落ち着かせて石田軍に参陣したい秀家にとって高虎の来訪はまさに僥倖ではあったが、それにしても丁重だった。


「あ、あの……それがしなどに対してかような丁重な礼は」

「何をおっしゃいます。私は二十六の若輩、それに引き替え佐渡守殿は四十三歳。築城、用兵などあらゆる面で佐渡守殿は頼りになるお方。味方になって頂けるお方をお迎えするのに、いくら礼を尽くしても足りると言うことはございません」


 先は慌て気味に声を出した高虎だったが、決して戸惑っていたわけではない。高虎が宇喜多秀家と言う人物を見極めるために打った芝居だった。



(この男、先代とは全く違う。良家の子女と呼ぶにふさわしい人物だ)



 宇喜多家の先代である直家と言う男は没落領主の孫と言う劣悪な条件から備前・美作の二ヶ国をその手に収めた下克上の体現者だが、まともに合戦を行ったことがない。

 とにかく暗殺・謀殺・騙し討ち・讒言などありとあらゆる謀略を駆使し、自分の手を汚すことなく領土を拡張し続けた、まさに梟雄の名をほしいままにする男であった。真偽はともかく、実弟の忠家でさえ兄の前に出る時は鎖帷子を着ていたと言う噂があるほどである。今、高虎の目の前にいるのはその直家の息子である。


 しかし今高虎の面前にある秀家の顔に、梟雄の影は微塵もない。もし先の秀家の言葉が直家の口から発せられたならば、高虎を含む世人誰もが籠絡を図る甘言と見るか、とりあえずいい顔を見せておくための美辞麗句と取るかのどちらかであろう。

 だが秀家の口から発せられたその言葉には、全く後ろ暗さがなかった。ただただ、高虎という人物を純粋に歓迎し、尊敬していた。十歳で当主になってからずっと猶子として秀吉の寵愛を受けていた秀家には、先代の直家とは全く違う、温和で清らかな気が溢れていた。

(こういう人物には下手な細工をしないほうがいい。騙すのは難しくないだろうがその事が露見すると信用が一気になくなる)


「早速宴を張りたいのですがよろしいでしょうか」

「その前にこちらを」


 歓迎の様子を全く隠さない秀家に対し、剣をふるうかのように高虎は素早く切り込んだ。


「如水殿の書状です。まあ中納言殿はすでにご存知と思いますが」

「は?如水殿が?」

「ご存じなかったのですか。それはよかった」


 秀家は高虎から渡された書状に目を通すと共に、困惑の表情に変わった。


「なんと、如水殿が甲斐守と親子の縁を切ると…………」

「何せ五奉行の筆頭をあんなやり方で殺したのですからな。仕方ないことでしょう」

「しかしこれは我らにとっては大変心強い書状です。佐渡守殿、厚く礼を申し上げます」

「いえいえ、私にも私の都合がございます。これはあくまで私の見立てですが、まもなく天下は再び大乱に巻き込まれましょう」

「するとやはり徳川……」

「中納言殿は治部少輔殿を殺めた大夫らの影にはやはり内府殿がいると……」

「ああ。家康めは秀頼君が幼少なるをよい事に天下を我が物にせんとしている。それゆえに治部少輔の存在が邪魔だったのだ!」


 秀家は憎しみの籠もった口調で家康と諱を呼び捨てにした。普通は諱を直接言わず、中納言や佐渡守という風に役職で呼ぶ。諱で呼ぶのは、よほど格が下の部下か、はっきりと敵と判断した人物である。


(やはり純粋でまっすぐな人物だ。故に親しい相手、頼りになると判断した者に対しては親愛の情を覆い隠さず、そして憎い相手に対しては憎悪をむき出しにする……)


「すると中納言殿はいずれ内府殿と戦をなさると」

「無論だ!私が仕掛けたくなくとも家康がいずれ動き出す!」

「私もそう見立てております。ですから、この書状を中納言殿にお届けしたのです。何せ私は八万石足らずの小大名ですからな」

「はあ?それは……味方は多いに越した事はありませんが…豊臣家を家康の魔手から守る為に集う者たちに、石高の大小の区別はないと思いますが……」

「いえいえ、これより中納言殿と内府殿、そして両名に与するお方たちの間で戦が起こると言うのが我が見立て。その後勝った方は自分を盛り立ててくれた者に報いるべく、敗れた方の領国を取り上げて分け与えるは必定。その際、折角の領国を失いたくはありませんからな。もっと国が大きければ日和見と言う選択肢もございましょうが」

「それが先に述べた私の都合と?」

「ええ」

「やはり佐渡守殿は見事なお方だ。簒奪者に明日なき事を見抜いておられる」


 秀家の脳天気なほど爽やかな返答に、高虎はさすがにいささか戸惑いを覚えた。秀家にしてみれば家康の簒奪を防ぐ事こそが最重要であり、それこそが天下の大義と信じているはずだ。

 自分の身上など二の次にしているその秀家に対し、いずれ起こる大乱の後生き残りたいがゆえに味方するなどと言う極めて俗な理由で味方した、と言う事実をぶつければ普通は嫌な顔をするだろう。そんな人間は味方に要らないと言われても仕方がない。

 しかし秀家の顔と声には、高虎に対する嫌悪は微塵もなかった。自分を先を見抜く力を持った人物と評価し、その人物が味方してくれた事を天佑と喜んでいる、まさにそんな表現がぴったり当てはまった。


(どうする……今ならば中納言殿は私の言う事を全て受け入れてくれる……やはり思っていた通り危険かもしれんが……これほどの好機は生涯二度と来るまい。やるしかない)


 浅井家の一足軽から幾度も主を変えて大名にまでなった藤堂高虎が、大胆な決断をした事は一度や二度ではない。

 かつて自分を冷遇した津田信澄の元を出奔し、また自らを引き立ててくれた豊臣秀長の後継たる豊臣秀保の夭折を機に二万石取りの身を捨てて出家し、太閤本人に再び引き立てられて還俗、朝鮮での活躍もあいまって今の八万石の大名になった男、それが藤堂高虎である。

 好機を見抜く目、人の心をつかむ術は誰よりも持っていた。


「ですが中納言殿。秀頼君や淀のお方様は一体どうしたのでしょうか」

「うむ……それがわからぬのです。どうして五奉行暗殺などと言う暴挙を為した者に罪をお与えになろうとせぬのか」

「秀頼君がいかに英邁であろうとまだ七歳です。何が起こっているか把握するのは難しいでしょう。また淀のお方様にとって今度の事態は思考の範囲外のそれでしょう。何をどうしたらよいのか、どちらが正しいのか訳がわからず、結果として何も仰られないのでしょう。おそらく、今も淀のお方様の元には治部少輔殿に近しいお方と大夫らの両方から自らの正当性を主張する書状が次々と参っておるはず。そんな状況では判断など無理です」

「しかし……それは兵を動かせば最悪の場合我らが逆賊にされると言うことですか?」

「ええ。内府が大夫らの後ろで糸を引いているとなるとそれぐらいやりかねません」

「冗談じゃない!佐渡守殿、どうなさればよいのか?」


 秀家の悲痛な叫びに、高虎は深刻な顔をしながら、内心ではしめたという思いを込めて次の言葉を放った。


「人質を大坂城に送りましょう。さすれば、必ずや淀のお方様も中納言殿の豊臣家に対する忠義を解してくれるはずです」

「で、誰を送れと?」

「長船綱直殿と、中村次郎兵衛殿です」



 高虎の言葉に、秀家の顔が歪んだ。二人は内政や土木築城技術に優れており、秀家が近年重用していた側近だったのである。秀家は眉を寄せ首を傾げて難色をあらわにした。


「中納言殿がお二方に厚き信頼を置いていることはわかっております。しかしそれは世間も同じです」

「要するに、私がもっとも信頼している二人を人質として差し出せば、宇喜多家の思いは本物であると世に解してもらえると言う訳ですね」

「はい」


 秀家はさすがに数分悩み、そして、決断した。


「相わかった。藤堂殿のご意見ならば間違いなく値千金の金言であろう。早速両名を大坂城に送ろう」

「それがしの愚見をお受け入れ頂き、ありがとうございます」

「では、そろそろ歓迎の酒宴をいたそう。よろしいか」

「はっ」



 こうして、長船綱直・中村次郎兵衛の二人は大坂城に人質として送られる事が決まった。普通ならば、自分の寵愛する側近を人質として差し出せなどという言葉を、全く関係のない小大名から言われたら、五大老の威信に賭けても撥ねつけるに決まっていた。

 しかし、高虎と言う名声高き人物の味方としての来訪に素直に感動し、さらに絶縁状と言う絶大な手土産を手に入れた秀家にとって、高虎の言葉はまさに天の声であった。

 素直に受けなければいけない、それが豊臣家を守り、ひいては宇喜多家を守る道であると。秀家の心は、高虎によって完全に鷲掴みにされていたのである。


 酒宴には宇喜多家の重臣一同が集められた。そしてその席で高虎の参陣、綱直・次郎兵衛の両名を人質として大坂に送ることが秀家の口から発表された。しかも、それが高虎の勧めであることを全く隠す節もなく。



(まさか自分のお口から私の意見である事をお述べになるとは……まあこれで気が付かないのならばそれまでのお方だ。この大乱はともかく、その後はわからん)


 酒宴の席で、高虎は宇喜多詮家を筆頭に戸川達安・花房正成ら老臣達から盛んに盃を受け、かなりの酒量を飲んでしまった。


「いえいえ、もう十分です」


 断っても老臣たちはどんどん酒を勧めてくる。その様子を見た秀家がふーっと大きな溜息を吐いたのを、高虎は聞き逃さなかった。


(どうやらお気付きになったようだな。まあ、これでとりあえず宇喜多家は安泰か)


 人質として大坂城に入ると言う事は、宇喜多家の行政には関れなくなると言う事である。実質、綱直・次郎兵衛の二人の宇喜多家内部での権力はこれで消えたと言ってもよい。

 そんな両名を憎んでいた詮家以下の老臣にとって、両名を宇喜多家から事実上放り出してくれた高虎は大恩人と言ってもよかった。その事に気が付いた秀家が溜息を吐いたのは当然だろう。自分が寵愛していた家臣が、これほどまで内部で受けが悪かったとは。



 ともかく、これで宇喜多家の当主のみならず、家臣たちの信頼まで高虎は勝ち取る事となったのである。

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