第二章-3 点火

 藤堂高虎の口舌によって宇喜多秀家が長船綱直・中村次郎兵衛の両名を事実上左遷させた事は、江戸から本拠の玉縄城に戻っていた本多正信の耳にも入った。


「そうか、下がってよい」


 正信は情報を伝えた間者を下がらせると一人考え込んだ。


「むう、どうやら藤堂佐渡には如水の息がかかっているらしいな……してやられたか」


 実は元々高虎は徳川びいきであり、戦乱が起きれば真っ先に家康に味方するものと正信は踏んでいた。その高虎が、家康の敵となる事が確定的な宇喜多家を支援する事になってしまった。


「如水にしてみれば佐渡守に宇喜多家の御家騒動を収めさせ、備前中納言に恩を売るつもりなのだろう。これにより内部の態勢が整った宇喜多家は安心して石田軍の救援に出られる。自然、如水に宇喜多家は恩を感じ、治部少輔の遺臣たちもまた同様にか……如水め、やってくれる……」


 この推論は当たっていない。

 如水は高虎を危ない橋を渡らない人物と読み、同じ伊予の安国寺恵瓊や今治の小川、土佐の長宗我部、讃岐の生駒などに味方に付くように呼びかけ、松前の加藤嘉明領を潰すか、あるいはそのまま佐和山に向かって石田軍に加勢するかのどちらかを取ると思っていた。さらに正信は高虎が如水の知恵を受けて岡山に向かい、かつ長船・中村の両名を左遷させて家内を統一させる術も如水から授けられたと思い込んでいた。それが如水の予測を外れた高虎の独断であるという考えは全くなかったのである。


「しかしこれで宇喜多家が一枚岩になった訳ではない。所詮人質は人質に過ぎない。備前中納言は両名を寵愛している。今は家中の統一を図るために遠くに追いやっているが、本心としてはすぐにでも呼び戻したい所だろう」


 手は決まった。宇喜多家の内部かく乱は失敗した訳ではない。稀代の謀略家の頭脳は、すぐに次の答えを出し、江戸城へと馬を飛ばした。




「すぐにも出兵を開始せよ?」

「はい、宇喜多家の御家騒動の火は消えたわけではありません。まだまだ燃やせます」

「しかし老臣たちが嫌っていた二人は事実上排除されたぞ」

「ですが備前中納言は両名を寵愛しています。豊臣家に対する人質という名目で大坂城に置いたものの、実際はすぐにでも取り戻したいでしょう。ですから、淀君に宇喜多家の忠義振りを吹き込むのです」

「そして人質などいらないと言わせるか。しかしどうやってだ?」

「我らは大夫ら討伐の名目で兵を動かします。その名目には誰も逆らえません。しかし徳川の手で大夫らを討ってはなりません」

「そうするとやって来た備前中納言がわしを警戒して兵を解かぬか」

「そうです。大夫らは備前中納言に討たせます。そして秀頼君と淀君に逆賊討伐の最大の功績者は備前中納言と言い、宇喜多家の豊臣家に対する忠義振りを吹き込みます」

「そして人質など必要ないと言わせ、二人を宇喜多家の家政に戻させるか」

「そうです。藤堂佐州もいつまでも宇喜多家の中にいる訳には行きません。佐州がいなくなれば結局元の木阿弥です」

「なるほど、それからが本番か。弥八郎、お前には本当に頭が下がるな」

「いえ、徳川の世を築くためなら犬馬の労を厭いませぬ」

「よし、明朝皆に出陣の旨を伝えよう」


 徳川家康と本多正信。二つの頭脳が江戸城の天守閣でからみあい、天下をたぐり寄せる芸術的な政略が作り出されて行く。そして大概は正信の策に家康が感心し、賛同する。家康が正信を我が師と呼び、友と敬愛するのも無理からぬ事であった。




「いよいよ出陣すると」

「ああ。ついに時が来た」


 翌朝、江戸城に康政・直政・忠勝・忠隣の四名が呼ばれ、家康から出陣の用意を整えるべしとの旨が告げられた。


「備前中納言が兵を動かしたのが確認できたのですな」

「いや、備前中納言はまだ動いてない。だがまもなく動くだろう」

「では、動く予兆が確認できたのですな」

「ああ。実は、宇喜多家の御家騒動が急速に終息に向かっているのだ」


 忠勝は先日家康が出陣の時期は宇喜多軍が岡山を出た時だ、と話していた事実を家康にぶつけた。家康のその言葉に忠勝・忠隣・直政の三名はえっと言う表情になったが、康政は一人渋い顔に変わった。


「どうやら如水めの息がかかった藤堂佐渡が調停に乗り出し、備前中納言が寵愛し家内からは不評だった長船・中村の二人を、大坂城に人質として追いやらせたのだ」

「すなわち、宇喜多家内の懸案は一挙に消え失せたと……」


 康政は己の仏頂面を直す気もなさげに家康に問うた。


「そうとも言い切れん。まだ火種は残っている。備前はわしを恐れておる。だから、強引にでも家中の統一を図り、それが家中統一のための最良の手段と判断して如水の言葉に乗ったのだ。本心では、両名を取り戻したくてたまらぬはずだ」

「すると両名を宇喜多家へ戻させると」

「そうだ。だからすぐに出陣し、大夫らを討つ。伏せる必要はない。最初から大夫討伐の名目で兵を挙げる。この名目には誰も逆らえん。だが、我らは大夫を討ってはならぬ」

「なぜでございますか」

「大夫らは宇喜多家に討たせる。さすれば、此度の逆賊討伐の最大の貢献者は宇喜多家になる。その事を、秀頼君と淀君に吹き込むのだ。そして、人質など要らないと言わせる」

「さすれば、御家騒動が再燃すると」

「その通りだ」



 康政は、頭をもたげていた自分の疑念が真実であることを悟った。

 やはり、宇喜多家の御家騒動は家康と正信の策だったのだ。家康の策ならば見事と素直に感心できたのに、正信が絡んでいるとなるとどうも嫌悪感が先に立つ。正信が絡んでいるという確たる証拠はないが、このような陰険な策は家康からは出て来ない、と言う存念が康政には強くあった。


「で、どれだけの兵力で出陣するのです」

「そうじゃな、相手は混乱の中にある一万七千、しかも討つ必要はない。二万五千あれば十分だ」

「ですが、我らが自分たちを討つために出陣したと知れば大夫らは絶望して前後の見境を失い、籠城して必死の抵抗をするのではないですか?」

「大夫以下の七名はあの絶縁状によって天下の逆賊となった。例え豊臣家が何も言わなくともそれはゆるぎない事実だ。大夫らの首を持って来れば助命するとでも言えば、裏切りを促すは余りにも易い。ましてや、治部少輔に与する者たちも大夫らに攻めかかるからな。もちろん、備前中納言に功績を持って行かせるように仕向けるが」

「なるほど……さすが大殿様です」


 康政との長い問答の終焉と、他の三人が納得した表情になった事を確認した家康は改めて表情を引き締め、四人の方を見据えながら大きく息を吸い込んだ。

「万千代、平八郎、小平太。各々、全ての手勢を江戸に連れてきて欲しい。相州(忠隣)には江戸中納言(徳川秀忠)共々留守を任せる。わしの軍勢は万石未満の旗本で組織する」


 そして高らかに声を上げ、陣容を述べた。幼名で呼ばれた三人の徳川四天王が率いる兵は、合わせて八千。それに家康の旗本を加えた二万五千の兵で出陣する。


「では、三名は居城に戻り兵を整えよ。相州は江戸中納言にわしの言葉を伝えてくれ。出陣は翌々日だ!」







 居城から全ての兵を連れ出すように命じられた徳川四天王の三名は、再び江戸城の廊下を並んで歩いていた。


「うーむ」


 直政と忠勝が堂々としていたのに対し、康政はどこか俯き加減で唸っていた。


「どうされたのだ式部殿?何か腑に落ちぬ様子だが」

「館林から全ての手勢を出すのが不安と言う訳か?」

「違う!そんな事はない!」


 むきになって子供っぽく反論する康政に、忠勝の顔が歪んだ。


「するとやはり」

「ああ、宇喜多のことだ」


 康政は宇喜多家の御家騒動の調停に対しかなり熱心だったのである。


「確かにそれを自分が手を出せない間に、あっさり解決されたとなると悔しいでしょうな」

「たわけ、何を言っている!」


 直政の脳天気な返事に対し、康政は言葉を荒げた。もちろん、直政はからかっているだけであり、康政もその事は解っている。だが康政は直政の戯れをきっかけに、感情を爆発させ始めた。



「あの腸の腐った男だ!あやつが宇喜多内部をかき乱していたのだ!大殿様がやったと思うと素晴らしい策と感動するが、あやつが絡んでいると思うと不快になる!」


 康政はついに、正信に対しての憤りをあらわにし始めた。


「確かにそれは仰せの通り」

「それ以前から目障りだったのに、あやつは我らが関東に移されてからますますしゃしゃり出るようになって来た!常に大殿様の傍に影の如くまとわりついている!先の大殿様の言葉も、おそらくあやつと語り合ってできた結果だろう」

「だが佐渡は軍事には全く役に立たない。それが大殿様にあんな策を提案できるか?」

「あんなのは軍事の内に入らん!あやつにとって我らは碁石か将棋の駒と変わらん!我ら三河武士を人間扱いしておらんのだ!」

「式部殿の言う通り、佐渡守は碁打ち、それも勝利だけを求める下賎な碁打ちと変わりませんな」


 忠勝も直政も、正信に対し激しい憎悪を抱いていた。

 と言うより、徳川家の武官の中で正信を好いていた者など皆無に等しかった。そして、彼らは家康のことが大好きであり、家康を守るため、家康を盛り立てるためなら百万回死んでも惜しくない、そう言う性格を共通して持っていた。


「なのに大殿様は佐州を常に傍に置き、そして佐州の言う事に耳を傾ける」

「それがしもどうにも彼の事は受け入れられませぬ」

「あんな柔弱な奴になぜ大殿様は……」


 その大好きな家康が正信の事ばかり頼りにするのを、徳川の武官たちは憤懣やる方ない思いで見ていた。


「とにかく、この戦いで功を挙げ、我らの価値を大殿様に見せようぞ」

「そうだ、青白い顔で座っているばかりの佐州とは違うと言う事を」

「では、江戸城で会おうぞ」


 三人は決意新たに、各々の居城へと戻って行った。




 その三人が数日前こっそり集まって、それぞれの血を啜り合っていた事など家康も正信も知る由はなかった。


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