第二章-4 戦後

「いよいよ大戦か」

「いや、今度はたいした戦にはならないらしいぞ。大戦への第一歩って所だそうだ」


 城主の榊原康政が戻り、翌日出兵の準備を整えるべしとの言葉が出された夜の館林城では、二人の雑兵が他愛のない雑談をしていた。


「まあとにかく、俺たちにとっちゃ手柄を立てる事が第一だよな」

「そうだよな、これで式部様が出世すれば……おいちょっと待て」

「怪しい奴か?」

「とにかく調べよう」


 二人の雑兵は槍を手に立ち上がり、暗がりを見渡した。すると、風もないのに草むらが音を立てながら揺れているのがはっきりと見て取れた。


「曲者だ!」

「し、しまった!」


 雑兵の一人が叫ぶと、草むらの中から男が現れ、泡を喰った様子で逃げ出し始めた。とても上手とは言えない隠れ方であり、あげく慌てぶりからして見つかるとは思っていなかったようである。


「にしてもお粗末な隠れ方だな」


 雑兵たちも呆れるほどであった。さらに男は逃げる途中で足がもつれたのか転倒してしまい、極めて簡単に捕縛されてしまった。




 男は康政の前に引き立てられた。


「こいつが城の中をうろついていたと?」

「はい、捕まえた二人の兵がそう申しております」


 男は、誰から見てもはっきりわかるほどに動揺していた。


「なんだ、食うに困って食事でも盗みに来たのか?」


 康政は男にそう問うた。あまりにも稚拙な隠れ方と動揺ぶりに、そうでもしなければ飢え死にしてしまう食い詰め者と考えたのである。

 だが、男はあわわわと動揺するばかりで、まともな返事もできない。


「安心しろ。それならば別に殺さん。事情にもよるがそれなりの振る舞いはする」


 康政の言葉はきわめて優しかった。しかし、それでも男の口はまともに動かない。


「誰か水をやれ」


 兵から渡された水を飲んだ男は、ようやく多少の落ち着きを取り戻した。


「あ、あの、な、なぜ……」

「ようやく落ち着いたか。大丈夫だ、別にここで命までは取らん」

「あ、ありがとうございます……」

「さて、なぜこの城に忍び込もうとしたか、訳を聞こう」


 康政の極めて優しい言葉に、男はようやく落ち着いた風になった。


「で、では申し訳ありませんが……逆にお伺いします!なぜ俺などを……」

「もう城の食料を盗むしか生きる道がないのだろう?そこまで追い込まれているのならば手を差し伸べない理由などなかろう」

「ち、違います!俺は、いや、それがしは徳川の間者です!」

「何ぃ?」


 しかし男から帰ってきた言葉は全く予想外の言葉に、康政の顔に困惑と不審の顔色が浮かんだ。


「それがなぜここにいる?しかもあんなお粗末な隠れ方で」

「その……味方の城なので……そ、それに、半蔵様が」


 半蔵とは、徳川に仕える伊賀忍者の首領、服部半蔵正就の事である。


「半蔵がお前みたいな油断しきった男を配下に持つか!」

「半蔵様が、それがしの懐の書を是非式部様にと……」


 康政は腹を立てながら男の懐に手を突っ込み、書の存在を確認して摘み上げた。そして、書に記されていた名前を見て、再び疑わしい目で徳川の間者を名乗る男を見た。


「本多佐渡守正信……?」

「はい、半蔵様が是非式部様に見せたい書ですと。それで、醜態を晒せば式部様が食い詰め者と思ってくれ、二人だけになれると」


 なぜ正信の書を半蔵が持って来るのか疑問ではあったが、確かに男の言う事は正論であった。


「わかった。読ませてもらう」


 康政は書を開き、目を通した。



「大殿様に申し上げます。豊臣家内部の文治派と武断派の反目、対立はもはやどうにも覆し難き情勢であり、かつ当主の秀頼は余りにも幼く、生母の淀君にこの事態を収拾する力とこれを一大事と捕らえる眼はなし。唯一この反目を抑え込めるであろう高台院(おね)もまた政務に関る意欲薄れ、また意欲はあれども淀君が阻害する事は必定。

 よって豊臣家の瓦解は我ら徳川が押し止めぬ限り必至。すなわち、豊臣家の命運は我らが掌中にあり。ゆえにまずは福島大夫ら武断派を治部少輔殺害の罪によって誅殺し、次に文治派の中核たる備前中納言の内部をかく乱し、更に伊達、最上、堀、前田、毛利など我らにすり寄っている者たちを取り込み北の上杉・佐竹、西の黒田・島津らを抑え、治部少輔を失い衰勢に向かう文治派に挙兵させ、それを我らの手で打ち砕けばもはや天下は我らの物」


 康政は戸惑いを隠せなかった。書面は確かに重要な内容ではあったが、常日頃家康に正信が言っている事であり、別段耳新しくもない。改めて書面の花押を見てみたが、紛れもなく正信の本物の花押である。


「恐れながら、よくご覧下さいませ」


 間者らしき男の言葉に従い書状をじっくり見た康政は、なぜか書状の一部だけ厚さが違う事に気が付き、そして糊付けの跡を確認するにいたった。そして糊付けの箇所をはがすと、また違う文書が出てきた。




「そして天下をお取りになった暁には、徳川家内部の武闘派の家臣を上杉・宇喜多・加藤主計頭らの故地にお移しになり、当地で外様の大名を見張らせるようになさいませ。

 さすれば、伊達・最上・前田・毛利・島津などの、領土を削ることが難しく、それでいて天下を窺う実力を持った有力諸侯を抑え込む絶好の存在となり、天下から戦乱を屠る事ができます。その暁には、是非とも某に佳酒をお賜り下さいませ」




 その文面を読んだ康政の顔が歪んだ。


「そなた、文書の内容を知っておったのか?」

「いえ……私のような下っ端には糊付けで重要な部分が隠されている事しか伝えられず」

「わかった。下がってよい」


 康政は、自分の目の前にいた男が半蔵の間者であると断定した。そして、この先の展開に思いを馳せた。

 ここで徳川が兵を挙げれば、福島正則らは簡単に消えてしまう。そして宇喜多家を弱体化させ、伊達や前田などの有力諸侯を味方に引き込んで、衰勢に向かう文治派を叩く。要するに、大きな戦が二回発生する事になる。

 だが、その二度とも、手柄を立てられるような戦にはならないだろう。

 まず間もなく起こるであろう福島らを討伐する遠征は、宇喜多家に大功を挙げさせるための茶番劇にも等しい戦であり、下手をすれば兵を動かして清洲城を包囲させ、間者を送り込んで城門を開けさせるか、あるいは正則の首を持って来させるかしてはい終わりなどという事になりかねない。

 続いて起こるであろう豊臣家文治派との戦も、内部の有力武将がごっそり抜かれ骨抜きになっているであろう宇喜多家、当主を失い勢いをなくした石田家、商人上がりの当主が率いる小西家など、とても徳川とは比べ物にならない勢力ばかりが相手である。唯一上杉家が強敵だろうが、それも伊達・堀・最上らに抑え込まれるだけで、自分たちが戦う事はない。要するに、自分たちがまともに戦功を立てる機会などないのである。そして、公平な主君である家康が功績第一として評価するのは一体誰なのか。その答えは余りにも明確だった。


「本多佐州……!」


 そう、徳川家が大きな戦をしなくて済むように、犠牲を最小限に抑えた最大の功績者は紛れもなく本多正信である。


「何が佳酒を賜りたくだ!」


 確かに正信は酒好きであったが、傍から見れば天下統一の暁に領国や出世でなく酒が欲しい、と書くなど無欲そのものに見える。だが康政はそうは取らなかった。


「魂胆は分かっている!我らを大殿様の下から引き離し江戸にすぐ馳せ参じられる玉縄城を居城に大殿様を独占する気だな!」


 本多正信は現在、相模玉縄城で二万石の禄をもらっている。十万石の康政と比べると遥かに少禄だが、そんな事は康政にとっては無関係だった。


「大殿様に訴えるか…………!」


 だが家康が聞いてくれるとは思えない。この書を額面通りに受け取れば正信は徳川の天下を固めるために最良の策を提案した、無欲な忠臣と言う事になってしまう。また家康の事だから、とっくに正信の構想を把握している可能性も低くない。

 だがこのままでは、家康が正信に取られてしまう。更に正信は家康の後継者たる秀忠付きの家老であり、かつその秀忠に万が一があっても秀忠の兄で英邁と言われる結城秀康を強く推していた。要するに、正信は徳川の次代も握り込んでいたのである。




 そこまで康政の思案がたどり着いたとき、答えは決した。


「誰か紙と筆を持て」


 康政は夜の天守閣の乏しい明かりの中、次々と宛先が違うだけで内容が全く同じ書をしたため始めた。この書に徳川の命運がかかっている。その思いが、康政の筆を動かし続けた。


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