第二章-5 凶刃

 翌朝、康政は館林城を出立し、手勢二千五百全てを引き連れて江戸城へ急行した。出立が卯の下刻(午前七時ごろ)と早かった事もあり、康政は一番乗りで江戸城へ到着した。


「小平太、よく参じてくれた」

「いえいえ、この程度」


 康政が家康からねぎらいの言葉を受けている間に、井伊直政・本多忠勝の両名も江戸城に到着した。


「三人ともよく集ってくれた。礼を申す。これで徳川の天下、泰平の世は大きく近付く。ではもう今日はよかろう。明日に備え休んでおけ」

「恐れながら、申し上げたき事がございます」

「どうした小平太、申せ」

「それがしに、先遣隊をお申し付け下さいませんでしょうか」

「先遣隊?」


 家康は康政の突然の発言に首を捻った。


「是非、各地で大殿様をお迎えするよき態勢を作りたいのです」

「しかし唐突に言われてもな……」

「大殿様、某も式部殿にお任せしたいと思っておりました」

「実は拙者もです」


 そして康政に応えるように、直政と忠勝も康政に先遣隊を任せるように進言した。


「まあ、お主らがよいのなら構わぬが」

「ありがたきお言葉」

「しかし兵は大丈夫か?」

「不遜極まりない言葉ですが、実は当初よりそれがしの希求大殿様ならば聞き入れて頂けると信じておりましたゆえ、兵たちは壮健です」

「そうか。そこまで覚悟があったのなら止める理由などない。では、早速頼むぞ」

「ははーっ」


 康政は満面の笑みを浮かべながら腰を浮かし、家康の御前を後にした。


「では万千代と平八郎はこの城で休んでおけ。よいな」

「はっ」


 直政と忠勝もまた、家康の言葉を受けて起立して去って行った。


「皆熱心に臨んでいる……これならば徳川の天下は遠くあるまいな……」


 家康は極めて満足げに右手の扇を仰いだ。


 だがこの時、三人が口裏を合わせていた事など家康は知る由もなかった。




 ※※※※※※※※※




「式部、やはりそなたの疑念は正しかった」

「やはり本多佐州めは許せませんな」


 先遣隊である康政を見送ると言う名目でやってきた忠勝と直政は口々にこう言った。


「我が書に賛同していただき感謝する」

「何、これも徳川の為、大殿の為」

「他の将もきっと色よい返事をくれるでしょう」


 二人とも、康政が昨日認めた書を家康と会う前に康政の使者から受け取っていたのである。




「まもなく福島大夫を潰すための戦、やがて備前中納言らを砕くための戦が始まる。だがその両者の戦とも、我らの活躍する場はほぼなし。

 そしてその後、最大の功績者として莫大な権を手に入れた佐州は油断ならぬ諸侯を見張ると言う名目で我らを遠隔地に移封し、江戸より遠ざけることは必定。

 更に佐州は江戸中納言様付きの家老であり、江戸中納言様が徳川の当主になればその権勢は不動となり、徳川は佐州と上野介に乗っ取られてしまう。その様な事態を看過する事ができようか。もし、看過できぬのならば、この榊原康政に力を貸してもらいたい」


 同じ内容の書面が、大久保忠隣・酒井家次・奥平家昌・大須賀忠政など他の徳川内部の有力武将にも配られていた。上野介とは、正信の長子で家康の小姓頭である本多正純の事である。父に似て英邁で家康の期待も低くなく、正信の死後はその地盤を受け継ぐ事が確実視されていた。たとえ正信が病で倒れても、正純が正信の変わりをするだけで何も変わらない。その危惧が、徳川内部の武断派を支配していた。


「頼むぞ、式部」

「この井伊直政、貴公の事は生涯忘れませぬ」


 康政は二人に軽く頭を下げ、馬上の人となって江戸城を後にした。




 ※※※※※※※※※




「何、大殿様が先遣隊として榊原式部殿を……?」


 玉縄城主、本多佐渡守正信は城内で首を捻っていた。確かに玉縄城は急げば江戸城から半日で来られる位置にあるが、なぜその必要があるのかが分からない。


「式部殿が強く望まれ、兵部(井伊直政)殿と中務大輔(本多忠勝)殿が強く推され、その結果大殿様がお認めになったようです」

「そうか。で、あとどれぐらいで到着するか」

「おそらくあと半刻、酉の下刻(午後七時ごろ)頃には」

「わかった、準備を整えておけ」


 いまいち目的はわからないが、とにかく準備を整えないわけには行かない。正信は急ぎ康政を迎えるべく準備を整え始めた。


「開門、開門!榊原式部様のご到着である!」



 そして酉の下刻、康政と彼の率いる兵が玉縄城の門前に姿を現した。


「わかり申した。開門せよ!」


 ギギギギと大きな音を立て、厳かに城門は開かれた。


「式部殿、お疲れ様でした。ささ、早速こちらへ」


 そこには城主である正信自らが出迎えに立っていた。康政は馬を下り、正信に向けて頭を下げた。


「それにしても、館林から江戸、江戸から玉縄を一日で駆けるとは…さぞお疲れでございましょう。早速寝所の方へ」

「いや」

「食事でございますか?ならば早速持たせましょう」

「どちらも要らぬ」

「は?では……」


 次の瞬間、康政の目がキラリと光り、手が腰に回った。


「な……!」


 と言いながら正信はあわてて飛び退いたが、間一髪遅く康政の佩刀は正信の腰から血を噴き出させていた。


「なっ、何をなさる!?」

「奸臣本多正信、誅してくれる!!」


 正信は六十一歳とは思えぬ足で逃げようとするが、康政の足はそれ以上に速い。


「出会え出会え!式部殿の乱心だ!」


 しかし正信の兵は動かない。同じ徳川の重臣が自分たちの主を襲うというあまりにもありえない事態に混乱し、更に榊原康政の気迫に完全に押されてしまったのである。


「覚悟せいっ!!」


 そして康政の佩刀は正信の背中を斬り付け、正信は地面に倒れ込んだ。


「こ、こんな所で……死ねるか……!徳川の天下……見る……まで……は……」

「徳川の天下にお前は要らぬ!!」


 大量の血を噴き出しながら這いつくばって逃げようとする正信を見下ろしながら、康政は佩刀を振るい首を叩き落した。首を失ったその体はどさりと音を立てて倒れ込み、なおも鮮血を噴き出し続けた。

 玉縄城の兵も、榊原軍の兵もただただ呆然として立ち竦む中、康政は表情一つ変えずに返り血を浴びた鎧を脱ぎ捨て、下に着ていた白装束をあらわにした。


「我が軍の兵士に告ぐ!これより、この榊原康政を捕らえ、大殿様の下へ連れ帰るべし!さすれば、徳川内部の謀反人を捕らえた功績により、そなたらは大殿様の旗本として禄を食む事ができよう!早くせよ!」


 康政の格好、それは紛れもない死に装束であった。


「わ…………わかり申した……だ、誰か縄をかけよ!」


 辛うじて声を出した榊原軍の兵隊長により、康政は後ろ手に縛り上げられた。途中、手が震えて何度も失敗しそうになったが、その度に早くしろと康政が怒鳴り声を上げた。

 この間、俄かには信じがたいことだが、玉縄城の兵は立ち尽くしているだけであった。康政の気迫と余りにも急激な展開に、思考停止状態に陥っていたのである。


「急げ!江戸城に戻れ!野営などするな!」


 白装束で後ろ手に縛られた康政は馬に乗せられ、自ら江戸城へ兵を返すように兵たちをたき付けた。兵たちはその気迫に押されるように、江戸城へ足を向けた。

 玉縄城の兵たちが血に塗れた城内の清掃を始めたのは、それから一刻も後の事であった。


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