第二章-6 苦渋

「何!?佐州が式部に殺されただと!?」

「はい、玉縄城にたどり着いた際、式部様が城門で出迎えた佐渡守様にいきなり斬りかかり、その後背中から斬りつけて更に首を叩き落したと……」


 深夜、正信死すの報を聞いた家康の顔は怒りで真っ赤になっていた。


「小平太……何たる事を!!すぐに引っ立てい!!」

「それが……」

「それが何だ!!」

「すでにこちらに向かっております」

「向かっている?向かっているとはどういうことだ?」

「馬上にて白装束を身に纏い、後ろ手に縛られ……どうやら自らの軍に」

「間違いないのか!」

「夜ゆえ見えにくくはありましたが、無の旗を掲げていたようで……」

「……ところで、さきほど白装束とか言ったな!本当なのか!」

「はい、どうやら、あらかじめ鎧下として身に纏っていたようで」


 その言葉を聞いた家康の顔から赤みが消えた。白装束は死に装束であり、そんな物を身に纏うとは家康によって首を打たれる事を覚悟していたとしか思えないのだ。そこまでの覚悟で正信を殺したと言うのか。


「……明朝まで城外に留め置け!」


 家康はそれだけ言うと、再び横になってしまった。その双眸からは、光る雫が次々と生まれ出ては布団に消えて行った。





「康政め……自分のした事がわかっておるのか!!」


 明朝、康政を引き立てた榊原軍の兵隊長を目前に、家康は一人江戸城の大広間で怒鳴り声を上げていた。兵隊長はただ縮こまって平伏するばかりである。


「今すぐ康政を連れて来い!!」

「えっ……天守閣にですか……?」

「いいから早くだ!」


 兵隊長は腰を抜かさんばかりに大広間を飛び出して行った。

 だがその直後、交錯音が大広間に鳴り響いた。そしてまもなく、頭を抑えながら一人の男が大広間に入ってよいか訊ねて来た。先程退出した榊原軍の兵隊長と交錯して頭でも打ったのだろう、家康は溜息を付きながら入室を許可した。


「も、申し訳ありませぬ……」

「もうよい。それより用件は何だ!」

「はあ、こちらの書状を中務(本多忠勝)様から大殿様にと」

「相分かった。近こう寄れ」


 本多忠勝の使者と思しき男はゆっくりと家康の下へ歩み寄り、書状を手渡しした。だがその間に、また男の声が聞こえて来た。


「申し上げます。兵部様が大殿様に」

「大殿様は別のご用件がおありなのだ!」


 今度は井伊直政が何か用があるのだろうか。この一大事にと思ったが、無碍にもできない。忠勝の使者から書状を受け取った家康は、書状を開く間もなく直政の使者の入室を許可した。


「こら、早足になるな!」

「あ、も、申し訳ございません」

「それで、用件とは何だ」

「あ、兵部様がこちらの書状を大殿様にと、では、これで」

「こら、何を急いでいる!」


 家康はあからさまに話を早く終わらせようとしている直政の使者を怒鳴りつけたが、直政の使者の腰は全く据わる事がなかった。


「あ、あの、実は、あと三名ほど大殿様にご用件のある者がいるゆえ……」

「何?」


 そう言っている間にも、三名は四名に増えていた。

 そして、全員用件は同じだった。主からの書状を、受け取って欲しいと。

 結局、家康は四半刻の間に十枚もの書状を受け取る事になった。


「大殿様、式部様をお連れしました」

「待たせておけ!」


 その間に康政は家康の下へ引き立てられてきたが、余りにも多くの書状が自分の下に届けられた事に戸惑いを隠せず、その内容を確認する事が先決と家康は康政を待たせた。



「平八郎め、何を言って来たのだ」


 家康は最初に届いた忠勝の書状を開いた。



「大殿様に申し上げます。榊原式部の所業、確かに許されざる物です。

 ですが、我らは大殿様が本多佐州を重用される事に対し、それが御家を傾ける原因になるのではないかと常日頃から危惧しておりました。もし式部が手を下さずとも、我らのいずれかがやがて同じ事を成さなかったと断定する事はゆめゆめ叶いませぬ。ゆえに、式部に対し寛容なる処置をお取り下さる事をどうか切に願います」


 家康は顔に怒りをたぎらせ、書状を二つに破り捨てた。


「ふざけるな平八郎!同僚殺しの大罪人に断固たる処置を下せぬのならば、我らは豊臣家と同じになってしまうではないか!その様な事ができるものか!」


 家康は続いて直政の書状を開いた。


「式部殿はその身を投げ出して我らの意志を大殿様に伝えているのです。どうか某に免じ、式部殿に腹を召させ榊原の家をお残し下さい」


 家康は書状を丸め、床に叩きつけた。


「万千代まで!切腹ですら不足なのに挙句御家を残すなど甘過ぎるわ!同僚殺しの大罪人をかばえば同罪として処罰せねばならなくなるのだぞ!」


 自分のその言葉が自分の耳に入った瞬間、家康の顔から血の気が引いた。まさか、それを承知でこんな書状を……。



 家康は残る書状を次々に開いた。文面こそ違うものの、どれもこれも正信に対する憎しみ、康政がやらなければ自分がやったかもしれない事、康政と榊原家に対する寛容な処分を求めると言う三点は共通していた。


「誰か……康政に伝えよ。処分は明日伝えると。それまでは牢屋に入れておけ」

「あの、ご出陣は……」

「中止に決まっておろうが!」


 家康の言葉から、力感が消えていた。







 翌日、家康は自ら康政の下へ赴いた。康政は既に死を覚悟している事を示すが如く堂々たる表情をしていた。家康は自ら書面を開き、康政の前で読み始めた。


「榊原康政、同僚たる本多佐渡守正信を私憤によって殺したそなたの所業、誠に許し難い。それゆえ、徳川より追放し、奉公構いを申し付ける」

「ええっ」


 家康の言葉に、誰もが驚きを隠せなかった。


「縄を解け」


 縄を解かれた康政は、腑に落ちないと言った表情で家康を見つめた。


「康政、そなたのような人間を武士として召抱えるとはわしの不覚であった。一族共々、どこかに消えろ。そしてどんなに好条件を出されても仕官はするなよ。その時は、お前はわしと戦う事になるのだからな」


 康政は信じられないと言った顔で家康のほうを見ていた。しかし、やがて頭を下げると兵たちに付き添われながら下がって行った。


「大殿様……奉公構いとはあまりにも軽いのでは……」

「奴には切腹、いや斬首より重い罪だ」


 奉公構いとはどこにも仕官できなくなる処分と考えればよい。つまり、この処分を受けた者は二度と武士として活躍する事はできなくなるのである。確かに、死を覚悟していた康政にとっては打ち首より重い罪であった。

 兵たちはその説明で納得したものの、家康の心は晴れなかった。


(本来ならば斬罪、御家断絶にせねばならないのだが……)


 井伊直政以下、十名もの徳川の将たちが揃いも揃って康政を支持した。同僚殺しの大罪人である康政を。康政に同調すれば、同罪として処罰されても文句は言えないのにだ。だがその十人を処罰すれば、徳川家内部の戦力を無にするも同然である。


「世間がこの処分をどう見るか……辛いな」


 康政の性格と前後の経緯を知る者は死より辛い処罰と家康の裁定を正当に判断するだろうが、知らない者が見れば徳川では家臣を殺しても命は取られないと映ってしまう。

 しかし徳川内部では康政に対する支持が非常に高く、家康は苦渋の決断として奉公構いにした、と受け取ってくれる者も出る、家康はそう思い込む事とした。

 とにかく、この事件によって出兵は無期延期となり、本多忠勝らの諸将は江戸城に留まる事となった。













 徳川にとって不幸だったのは、康政が島左近の放った間者から受け取った偽書が、ほとんど、いやほぼ完璧に正信の天下構想を描いた物だった事である。

 左近は家康の描く天下の構図を把握していたわけではない。だがもし自分が家康ならば、政権を安定させるためにどういう手を打ってくるか、そう考えた結果あの文章になったのだ。それが、不気味なほどに正信の構想を言い当てていた。


「徳川の屋台骨は本多平八郎でも井伊兵部でもない。本多佐州だ。だがその本多佐州は両名を含む徳川の武官からの評判は最悪じゃ」


 如水から徳川の内情を知らされ、かつ本多正信の筆跡、花押を教えられた左近は偽書をしたため、服部半蔵の間者と偽って康政に掴ませた。そして、如水と左近の思惑通りに康政は正信を襲撃、殺害したのである。

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