第五章-3 如水
「いやはや、さすがはかつての四国の覇者長宗我部家。見事な戦いぶりじゃ」
「いやいや、あれほどの御家騒動がありながらよくもまあ……」
「一領具足、恐るべしじゃな」
如水は安芸広島城にて、毛利家の分家として出雲一国十八万石を取っている吉川広家共々上機嫌で語らっていた。
長宗我部氏を一代にして四国の覇者に押し立てた長宗我部元親がつい二週間ほど前に京で病死し、その直前には四男の盛親に後を継がせようとした元親の思惑と家老久武親直の讒言によって、元親の三男の津野親忠が幽閉されてしまっている。要するに、長宗我部氏は出兵どころではなかったはずなのだ。
にも関らず、如水の出兵要請を受けた長宗我部軍は、三成と親しい伊予の安国寺恵瓊や宇和島に残る藤堂軍の協力もあったとは言え、加藤嘉明の本拠である松前城をわずか数日で陥落させ、さらには阿波の蜂須賀氏の領国への攻撃も既に開始している。
「いかにも。それもまた如水殿のおかげです」
「おいおい、浮かれすぎじゃろう」
「いえいえ、現実を申し上げているまでです」
広家の言葉は余りにも如水を賞賛しすぎていたが、彼にとっては裏表のない真意である。それがわかっているから、如水も苦笑で返すしかなかった。
確かにたった一月前まで傭兵を含めても直接の指揮下にあったのが三千二百だったのに、立花・福原・垣見・熊谷と言った当初から協力してくれた大名の六千に、小早川秀秋の六千、鍋島直茂が息子の勝茂の手に付けた三千、島津義弘の二千、小西行長が家臣の芦塚中右衛門を大将に二千、その他の小大名の二千を加え、現在では二万四千に膨れ上がっていた。
「私からも中納言様に大兵を出すように申し上げております。もうそろそろよき返事が返って来そうなものなのですが」
「安芸中納言殿は、どれぐらいの兵をわしにくれるのかのう」
「はっ、一万六千ほど……」
この広家の返事には如水が腰を抜かしかけた。一万六千と言えば、百二十万石の毛利家の動員力の半分を越えている。
「一万六千とは……どこからそんな数字が出るのやら」
「まずそれがしの領国である出雲一国十八万石から全軍を出動させそれで四千、そして毛利本家より一万二千です。何せ小早川家は毛利の分家。小早川が六千を出したと言うからには、その倍を出さねば面目が立ちますまい」
「ははははは、それはそうだのう」
「それに藤堂を除く四国の大名、伯耆・因幡・但馬からも招集はかけられましょう。さすれば五万は下らない兵が集められましょう」
宇和島の藤堂高虎は既に佐和山にあり残っていた兵も招集に応じてそちらに向かっていたので、動員は無理である。しかし土佐の長宗我部に伊予の安国寺・小川祐忠、讃岐の生駒親正らの軍勢を動員すれば、守備兵を残しても五、六千は動員できそうだ。さらに伯耆・因幡・但馬の諸大名は毛利が本腰を入れていることを知れば、将棋倒しで味方になるような小大名ばかりである。
備前の宇喜多秀家と行動を共にしている者もいたが、それを差し引いても四、五千は行けそうだ。両者を合わせれば一万である。それと現在如水の元にいる兵、そして毛利軍の兵と合わせれば五万である。
「しかし五万の兵となると、進行に差し支えぬか?今の二万四千でも大変なのに」
「大丈夫です。我ら毛利の手で食糧や薪は調達いたします」
「いやそうではなく、岡山と大坂のことなのだが」
このまま陸路を進み大垣城へ向かうとなると、最大の問題が岡山城と大坂である。
岡山城主の宇喜多秀家は今佐和山にて石田連合軍の総大将として指揮を取っている。無論、自分たちの出兵の名目は秀家と同じ「石田三成殺しの大罪人福島正則らの討伐」なのだが、わずか一月で三千からここまでの兵力に膨れ上がらせた如水の才能を警戒する様な考えが石田連合軍や残っていた宇喜多の家臣の中に芽生え、放置すると第二の家康になると考えられて妨害をされてもおかしくなかった。
そして大坂である。淀殿はおそらく、この騒乱を人事としか考えていないであろう。そんな所に、五万もの兵がやってくるのだ。何事かと我を失い慌てふためき、自分たちを逆賊扱いするかもしれない。
「大坂……ですか。治部少輔殿と淀のお方様は親しいと聞いていたのですが……」
「何、雲上人の淀のお方様にとってはこんな事態は予測の外も外。豊臣家の五奉行の職にある者が殺された時点で思考停止の混乱状態に陥っておるのじゃ。そこに下手に刺激を与えたら何をするかわからんぞ」
「ではどうすれば」
「わしは岡山にて防衛軍の大将に面会しわしに力を貸してもらうように頭を下げるつもりじゃ。そして、又兵衛を防衛軍の大将の手で、大坂城に差し出させる」
黒田家の筆頭家老である後藤又兵衛ならば、淀殿に対し黒田家の誠意を見せるには十分である。さらに一旦その又兵衛を、自分を恐れているかもしれない宇喜多家に預けてしまうのだ。如水の力を削ぐために、何らかの手段を取られても仕方がない人間にだ。そうすれば宇喜多家としても如水の誠意を信じないわけに行かなくなる。
「ふーむ、さすが如水殿ですな。それならば大丈夫でしょう」
「わしはただ単に一刻も早く不肖の息子の目を覚まさせたいだけじゃよ。それが父親としての責務じゃろうに」
「ところで、治部少輔殿は全くの無抵抗で首を授けたと言う噂がございますが、真偽の程はともかく、それが真実だとすると恐ろしゅうございますな」
「どっちがだ」
「両方です」
急に話題を変えた広家に対し如水はとぼけたように質問したが、広家は真顔で如水に答えた。
「確かに、いきなり屋敷に飛び込んで無抵抗の相手を言い訳すらまともに聞かずに斬り殺すのも恐ろしいが、それに対しはいどうぞと首を差し出すのも恐ろしいな」
「はい。でも……今になって考えてみると、治部少輔殿にはやはり計算があったように見受けられるのです」
「計算?」
「あの男の事は正直嫌いでした。そして、五奉行暗殺などと言う事をしたにも拘らず大夫らの元には次々と将が集まっております。しかし今私は、治部殿の仇を討たんとしている如水殿の指揮下に入ることを熱烈に望んでおります。治部殿が生きていたらこんなことになったのでしょうか」
「確かにのう。もし治部少輔が生きておったら大崎少将や藤堂佐州なども治部少輔の敵になったであろうとわしは見ておるのだが……」
「治部殿は自分が疎まれている事を知っていたのでしょう。生きて動けばそれだけ敵を作る事を聡明な方ですからわかっていたのでしょう。ですが死んでしまえば全て神仏です」
「神仏か……」
如水は物事を余りわかっていないような調子で広家の言葉に答えたが、内心では石田三成という男に戦慄を覚えていた。
もしこのまま、自分と石田連合軍が一つになって福島正則らを砕けば、五大老の筆頭たる徳川家は職務怠慢を問われ何らかの責任を取らされる事は必至であろう。徳川家は既に本多正信、榊原康政と言う両翼をもがれている、いや自らの手でもいでしまっているのだ。
ここで打撃を受けたら、徳川による天下簒奪など二度と不可能になるだろう。しかしそれは、豊臣家の天下を守ることにしか関心のない三成にとっては最高の筋書きだろう。その筋書きを実現するために、三成は平然と己が首を差し出したのだ。
ただ冷静に考えれば、深夜に兵を率いて館に乗り込むだけでも暴挙なのに、無抵抗の人間をいきなり斬り殺すなど無茶苦茶であり、普通の人間はそこまでやるとは読まない。捕らえて、秀頼や淀殿に突き出して裁きを乞う、それが普通だろう。三成は、正則らがその普通をやらない事を読んでいたのだ。正則にしてみれば捕らえて突き出しても舌先三寸で丸め込まれるだけだと思い屋敷内で斬り殺したのだが、それが結果として三成の望みを叶える事になってしまっている。
「ところで、徳川はどうするのかのう」
「それがしの愚見は身の潔白を証明するために大夫らを討つ、ですが」
「わしもそう思うが……だが」
「だが?」
「似た者同士だからのう」
似た者同士と言う言葉を耳にした広家はハッとした表情に変わり、何か思い付いた考えを打ち消すように首を横に振り、話を佐和山の方に飛ばした。
「しかし備前中納言殿もだらしないお方ですね。お味方を増やすのはいいとしても延々一月以上対峙してまともな戦がまだ一戦だけとは。これでは人心が離れますぞ」
「何かを待っているような気がするが……」
「まさか我々を?アハハハハ、これは素晴らしい!」
広家は先ほどと表情を一変させ、急に笑った。宇喜多秀家よ、五大老などと言っても、やっぱり如水殿がいなければ駄目なのか、と言わんばかりの笑い方である。もし如水率いる軍勢が到着しその後正則らを討ったとすれば、戦後の主導権は間違いなく如水に握られてしまうではないか。そうなれば無能な秀家を見捨て、如水のほうに傾く者も必ず出るはずだ。三成の仇さえ討てばそれでいいと言わんばかりの甘いやり方に、広家は笑わずにはいられなかった。
「いや大崎少将の伊達軍と直江山城の上杉軍かもしれん」
「ですが彼らは今信濃にいるのでは?挟撃してもあの弱腰では簡単には落ちませんよ」
「まあ、伊達と上杉を待っている事は間違いなかろう。だがもう一つ何かを期待しているのかもしれん。我々か、あるいは……」
「あるいは?」
「わからぬ。まさか福島達が膨れ上がったのを知って動くのを止めた訳でもあるまいが……」
如水は考え込んだ。一体これ以上待ってどうしようと言うのか。確かに二万以上と言われる伊達・上杉軍を待つ価値はあるが、他に待つべき物があるのだろうか?自分たちを待っていては、手柄を持って行かれる危険性がある。まさか徳川家が自分の身の潔白を証明するために正則らを討伐しに来るのを待っているわけでもあるまい。
と言うか、こうして無駄な時間を費やしている間に自分たちがここまでやって来ており、その上に福島軍は京極高知や日野根高吉と言った真田になびかなかった信濃の大名を取り込み、また信濃の豊臣家の直轄領からも強引に動員させ、そして自分たちの領国からさらに動員をかけ六千人近く兵を増やしていた。伊達・上杉軍から比べれば少数ではあるが、仮にもたもたせずにいれば味方にできたはずの兵をみすみすくれてやるのはまずいのではないか。
如水には、彼らが何を待っているのかわからなくなった。細川忠興が自分たちに付いたのをいい事に離間の計でも仕掛けて内部崩壊でも待っているのか。
「まあ、如水殿ならば秀頼君の後見も務まりましょう。その時を楽しみにしております」
「おいおい、安芸中納言殿がおるじゃろうに」
「中納言様にも、それがしが如水殿こそふさわしいと考えている旨を伝えます」
「やれやれ……」
そんな悩む如水に向かって、広家は能天気に天下を治めてほしいと放言した。家康や秀家、景勝には天下人は務まるまいと言わんばかりの物言いに、如水は苦笑いを浮かべながら思わず溜息を吐いた。
そして三日後の六月十二日、広家の言葉通りに、毛利秀元を大将とする毛利軍一万二千と、広家率いる四千の吉川軍が広島城に集結。如水の指揮下に入る事を誓い、すぐさま進軍を開始したのである。
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