第三章-4 完了

「冗談ではない!こんな事をしてどうなると思っておられるのか!」

「ハハハハ、無論、お前の父の仇を討つだけだ」




 五月一日、二人の男が仙台城の天守閣にいた。

 上座で声高に笑っているのは仙台城の主にして伊達家当主の伊達政宗であり、下座で政宗に向かって怒鳴っているのは政宗とあまり歳の変わらなさそうに見える優男風の人物であった。


「辰千代君の岳父ともあろう方が、なぜ徳川を敵に回す理由がある!」

「今の徳川に未来はないわ。お前がここにいる事が何よりの証明だ」

「ふざけるな!お前が私を連れ込んだのだろうが!」

「上野介、いい加減諦めたらどうだ」


 政宗の下座にいた男、それは紛れもなく本多上野介正純だった。


「上杉が我らに接近していることを知ればお前は間違いなく内府殿に伝えようとする。だがお前たち父子を蛇蝎の如く嫌っている本多忠勝が家康の傍に侍っている手前、普通に書状を送ってもちゃんと伝わる保証がない。

 そこで一大事を伝えるために、自ら館林より馬を飛ばして駆け付けるだろう。そこまでやれば内府殿や忠勝らもわかってくれるだろうという期待を込めてな」

「そ、それがどうした!」


 自分の行動が読まれていたのか。そして徳川の内情も。正純は愕然としながらも、気力を振り絞って口を開いた。


「だが案の定忠勝はお前に対し敵に接するような仕打ちを行い、内府殿もまた忠勝をあまり強く非難しなかった。お前の失望は千尋の谷よりも深かっただろう。忠義が厚いだけにな」

「だからあんな芝居を……!」

「日が暮れかけの時分とは言えよく紛れてくれたものだ。褒美をたんとやったぞ」

「おのれ半蔵!父の名を汚すか……」


 正純が山賊の形をした伊達の忍びの刀を叩き落したその時、農民に偽装していた伊達の忍びの手により正純を落馬させ、そこに別の忍びが刀の柄で正純の首筋を強打し、気絶させて捕縛した訳である。

 正純の怒りは伊賀忍棟梁、服部半蔵正就に向いた。正就は三年前に亡くなった父正成から伊賀忍の棟梁の座を受け継いだものの凡庸な二代目として評判が悪く、一部では凡庸という言葉すら褒めすぎと評価する向きまで存在した。現に伊賀忍がしっかりしていればこんな事は起きなかったはずだった。


「どうだ、我らに味方し父の仇を討たぬか」

「世迷言も大概にせい!大体父の仇たる榊原康政はどこにいるかわからんわ!」

「何、その康政を内府殿が殺せなかったのは誰のせいだ?本多忠勝らのせいであろう」

「だとしても、大殿様に刃を向けるなどできるか!」

「お前がその気でも向こうはどうかな」

「バカな!私はこれでも一万石の身代!徳川内部ではそれなりの地位を……」




 ハッハッハッハ!


 政宗はここでまた、まるで正純の徳川に対する一途な思いを嘲うかのように一段と大きな声で哄笑した。


「今頃佐和山まで伝わっているであろう事をお前は知らんのだな……よかろう、教えてやろう。世間はお前が徳川を出奔し伊達に走ったと思い込んでいる」

「な……!?」


 正純は衝撃のあまりわずかに残っていた気力の全てを削がれ、魂の抜け殻のような表情になって尻餅を付いた。


「道中の様子を観察してお前が江戸城でひどい仕打ちを受けた事はわかった。まあ、具体的に何をされたかは知らんがな。とりあえず服を脱がされ、刃物を隠し持っていないかどうか調べられたと広めておいた……おや、その顔からすると当たらずとも遠からずだな。そんな仕打ちを受けた人間が徳川家を出奔しても何もおかしくない。さらにお前は父を無残に殺され、あげくその犯人の命を主君に守られた哀れな男。それだけでも徳川を捨てるのに十分だった。そこに来てこれだからな。世間は納得こそすれ驚きはせんわ」

「上杉ならともかくなぜ伊達に走ったのか、と言う疑問はないのか!」

「お前が危惧したように、すでに我が伊達と最上と上杉は協力関係を結んでいる。だが世間では伊達と上杉の仲はそんなに良好とは思われておらん。そして上杉家の家老直江山城は内府殿を激しく憎んでおる。ここでわしが徳川の下を出奔したお前を引き取ったとなれば伊達は本気で対徳川態勢に与している事を天下に広められる。

 お前をここに連れてくるにあたりわしから山城にその事を伝えたら見事快諾してくれたぞ。さすが山城は天下を取れると言われた才覚の持ち主よ。現に東北の大名はどんどんわしに擦り寄り始めておる。何せ、最上と伊達と上杉が一緒になれば敵う大名など東北に存在せんからな!」

「三河武士は戦国最強ぞ……」

「どうやらはっきり言わないとわからないようだな……」


 ここまで言っても徳川に対する思いを崩さない正純に、政宗はあからさまに哀れみを込めた表情に変えながら話を続けた。


「では言おう。お前の大好きな徳川家もお前が出奔したと信じているぞ」

「う……嘘だ!嘘を付くな!」


 その言葉が耳に入った瞬間正純の心は粉々に砕け、風に吹かれて塵となり、両目から止め処なく液体を溢れさせ続けた。


「何、忠勝や直政にとってお前は邪魔なだけの存在。

 内府殿も今は家中の統一の為に両名以下武功派の臣を優遇した方がよいと考えている。よって我が伊達にお前を強奪した罪をふっかけて兵を差し向けると言う手段は取らん。仮にそれが成功すれば徳川家に戻されたお前は出世するしかないからな。

 何せ戦を起こし伊達家を滅ぼしてまで取り戻した家臣、冷遇すれば戦の意味がなくなる。それでは結局元の木阿弥よ!」


 正純も頭が良いだけに政宗の言葉に筋が通っている事がわかる、だが認めたくなかった。徳川にとって自分が自分の意思でいなくなってくれた方が好都合などとは……。


 全てを悟った正純はただ泣きじゃくる事しかできなかった。


「上杉とて徳川を滅ぼしたいわけではあるまい。豊臣家の天下を奪うと言う望みを打ち砕き、関東に領国を得られればそれで満足するだろう。安心しろ、わしが上杉・最上と共にお前の事を受け入れられぬ愚か者を徳川より一掃してやる。そして全てが済んだ暁にはお前を徳川に帰してやる、約束する」

「……約束……だな…………」

「無論だ。反故にしてもわしには何の得もないからな。安心せよ」


 正純の双眸からあふれ出ていた涙は止まった。だが、その代わりと言うべきか口が再び動き出した。


「だが待て。さっき佐和山と言ったな。佐和山にこんな情報を伝えると言う事は治部少輔の遺臣に与するも同じ。彼らは福島大夫などではなく大殿様こそを主の仇と思い込んでいる。お前は彼らを制止できるのか?」

「無論だ。水面下ではともかく表面的には今回の事態の責任は治部少輔を暗殺した福島大夫らにある。主犯は大夫らであって内府殿ではない。わしの見立てでは隠居はさせられるだろうが、たぶんそこまでだろう。主犯でもない徳川家を取り潰す事などできない。

 小西摂津(行長)や大谷刑部ならば、取り潰すより武士団の解体を図るだろう。三河武士団が消えてしまえば、例え徳川家の領国が五百万石あっても天下を手に入れるなど絶対不可能だからな。無論、罪は本多佐渡守殿を殺した大罪人である榊原康政をかばう書状を家康に送りつけた、だ。それはすなわち、お前を追い込んだ愚か者を一掃することと同じだ」


 実際三成が怖いのは家康ではなく、家康が豊臣家の天下を奪おうとしていると言う事実だった。徳川がそのような愚挙を捨て去って一大名として豊臣家に忠義を尽くす事が確認できたなら、三成は満足するのだろう。

 政宗も、如水も、そして家康さえもそう見ていた。三成の豊臣家に対する忠義には、一かけらの曇りもない事を彼らは見抜いていたのである。だが福島正則らは三成の心を全く理解できず、いや解そうとすらしなかった。


 この時、正純は父と自分が余りにも三成に似過ぎている事に気が付いた。知略をもって主に仕え厚い信頼を受け、外からは誰よりも主に一途に忠義を尽くしているように見え、だが家内の評判は最悪。そしてその家内の人間により命を奪われる……何もかもが同じだった。


「太閤殿下は武功派の勢いに負けて唐入りをなさった。天下から戦乱が消えると言うことは、武功派が活躍する舞台はもうないと言う事だからな。これから来る治世を担うのは文治派の人間。太閤殿下や内府殿はそれがわかっているから治世に役立つ治部少輔や佐渡守殿を重用した、だが前線で戦ってきた武功派の人間からすれば戦場で命を張ってきた自分たちとなぜ安全な場所ばかりで仕事をしてきた人間が同じように扱われ、あるいは文治派の人間の方が優遇されるのかと不満を抱くのは致し方あるまい。

 だが小田原が落ちてから早九年、応仁の乱から百三十年余り。もういい加減この辺で終わりにしたいと言う内府殿の考えも至極もっともだ。犠牲は少なくないだろうが乱世に止めを刺す最後の血と思えば気も楽になる。だから内府殿は佐渡守殿と共に、乱世を葬るために策を巡らせていた……」


 政宗は、正純の眼前で家康の狙いをすらすらと述べていた。三成暗殺の前後に、父が多少強引でももうこの辺で乱世を終わらせるべきだと口を酸っぱくして説いていた事を正純は思い出していた。

 関東に間者を送り込んで調べ上げ、その間者から吹き込まれたにしてはあまりにも理路整然としている。自分とその周囲を取り巻く環境、家康の狙い。この伊達政宗という男、全てを見抜いていたのか。



「……わかった。わかりました。この本多正純を存分に使ってくだされ」

「感謝するぞ上野介!その言葉を待っていた!早速歓迎の酒宴を開け!」


 正純はついに降伏宣言に等しい言葉を口から吐き出し、政宗はひどく上機嫌になり酒宴の開催を宣言した。


「上野介!わし自ら酌をしてやろう!飲むがよいぞ!」

「あ、ありがたき事……」

「皆も上野介より盃を受けよ!」


 こうして、一人の徳川の忠臣が伊達に身を投じる事となったのである。




 ※※※※※※※※※




 そして同日、佐和山城でも将たちが気勢を挙げていた。


「徳川はもはや空中分解だ!」

「さらに大崎少将(伊達政宗)殿までが我らに味方し、上杉と共に徳川を討つために立ち上がってくれた!今こそ兵を挙げる時だ」

「治部少輔様を非道な手段で殺めた大夫らを討つ!」


 佐和山に集った諸将は宇喜多秀家を大将、大谷吉継を軍師とし出陣の時期をうかがっていた。そこに届いたこの吉報に、立ち上がる時は来たれりと士気は急上昇した。


 だが彼らにとっていささか予想外だったのは、清洲城に籠もって兵を集めているだけだと思っていた福島正則らが、伊藤盛正の居城である美濃大垣城に移動していた事である。盛正は三万石の身代に過ぎず二万を越える軍勢を収容するには無理があったが、大垣城はそれを差し引いても要害であり、籠城を決め込まれるとなかなか容易には落とせない城である。


「対馬守殿、よろしく頼みますぞ」



 秀家は出陣に当たり、山内一豊の手を誰よりも先に取った。敵地真っ只中と言ってもよい遠江掛川から、自分たちに味方するために来てくれたのだ。いくら褒めすぎても褒めすぎと言うことはなかった。

 秀家は筒井定次、氏家行広、平塚為広、金森長近など他の自分たちに味方してくれた将にも次々と掌を差し出し、感謝の意を見せた。


「いざ出陣だ!治部少輔殿の無念を晴らすのだ!!」

「オーッ!!」


 こうして宇喜多秀家を大将とした石田連合軍およそ三万は、福島正則率いる反石田連合軍およそ二万五千が籠城する大垣城に向けて出征を開始したのである。




※※※※※※※※※




「治部少輔を殺めた加藤主計頭を根無し草にしてやろうぞ!」


 偶然であろうか。まさにその頃九州でも黒田如水が中津城にて立花宗茂や福原直高ら豊後の大名たちに檄を飛ばしていた。


「皆の者、出陣じゃ!」


 黒田軍千二百、傭兵二千、立花軍四千、福原ら親三成の豊後の大名二千のおよそ九千の兵が黒田如水の指揮の下、中津城を飛び出した。




 まさに今、再び日の本に戦乱が舞い戻ってきたのである。

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