第四章 大垣城激突
第四章-1 緒戦
「今、東北、九州、そしてこの美濃でも戦が始まろうとしている!東北では会津中納言殿と大崎少将殿が徳川打倒に立ち上がり、九州では如水殿が主計頭の領国を攻めんとしている!我らもまた、治部少輔殿の仇たる福島正則らの首級を挙げ、世に義を示そうぞ!」
慶長四年五月四日、宇喜多秀家率いる石田連合軍は大垣城に達していた。だが大垣城は小城ながら堅固であり、また石田連合軍と大垣城に籠もる福島軍の兵力も拮抗していた。
「このまま攻め込んでもいたずらに兵を失うだけと」
「刑部殿、どう見ます?」
秀家は傍らに控える大谷吉継に指示を仰いだ。
「とりあえずは挑発でも」
吉継の平凡な言葉に秀家はいささか落胆したが、その事はおくびにも出さなかった。
「なるほど、やってみましょう」
確かに堅固な要害から敵をおびき出させるのには挑発は有効だ。だがそれだけで勝てるのならばこんなに悩みはしないとも言える。
秀家はまあまずは第一手ぐらいの気持ちで吉継の言葉を受け入れる事とした。
「どうした福島正則!我らが恐ろしいか!」
「恐ろしいんだろ。たった一人の治部少輔様を殺すのに闇夜に紛れて何百という手勢を率いなければいけないんだからな!」
「太閤殿下様がお嘆きあるだろうな、市松はそんなに臆病だったのかと!」
早速宇喜多軍の兵は大垣城に向けて野次を飛ばしたのである。
「ええい、備前中納言の手下が!」
「落ち着け、大夫!」
「わかっている!だがどうにも我慢ならん!」
一方大垣城内では、イライラを募らせて当り散らしている正則を加藤清正が必死に制止していた。
「ここで出て行けばまさに奴らの思う壺だ!」
「わかっている!だがこの怒りをどこにぶつければよい!」
正則は怒りに任せ足をドスンと踏み下ろした。その衝撃の余り、壁に立てかけてあった槍が倒れたほどである。
「同じように悪口でも言ってやるか?それであいつらが乗れば最高だ」
「そうだな、それがいい」
清正の提案にようやく落ち着きを取り戻した正則は、早速部下たちに石田連合軍への挑発を命じた。
「へっ、やっぱり三成と同じく口ばっかり達者な連中だな」
「口だけで城が落とせるならば刀も槍もいらんわ」
「次はどんな挑発をしてくるか、聞くのが楽しみだぜ」
「あーあ、猿真似を始めやがったぜあいつら」
「結局蛮勇だけで知恵がないんだな」
「そうそう、だから治部少輔様を殺す事の意味すら解ってなかったんだぜ」
「意味ぐらい解ってるわ!豊臣家を守るために逆賊を殺したんだろ!」
「するとお前らは不忠の臣を黙って見過ごせと言うのか?」
「そんな奴らが天下を握ろうとしている、それだけは本気で阻止せねば!」
しかしその結果、悪口を言い合うだけの戦が延々五日も続いた。
「全く、挑発を続け合っているのも飽きました。何かございませんか」
五日後の夜、秀家は疲れた様子で吉継と、吉継と天幕で酒を飲んでいた藤堂高虎に会った。
「では挑発に乗ってみるのはいかがでしょうか」
「挑発に乗る?」
「ええ、挑発に乗った振りをして派手に敗走するのです」
高虎は秀家の言葉を聞くなり挑発に乗った振りをすべしと答えたが、秀家は疑問を覚えた。それもまたありきたりなやり方なのである。
「そんな簡単に行くのでしょうか」
「大丈夫です。これこれしかじか……」
「なるほど……しかしその役目は誰がなさるのです?」
「刑部殿、舞兵庫殿、そしてそれがしです」
「いや、お二方や舞兵庫殿がその役目をなさる事も……」
秀家は高虎の人選に深く疑問を覚えた。高虎は総大将である自分がもっとも信頼している人物であり、大谷吉継は病身で戦には耐え難い上に重要な軍師の身、舞兵庫は三成の家臣であるが筆頭ではない。石田軍の代表ならば島左近を使うべきではないか。
それに、吉継と舞兵庫は当初から打倒正則、打倒家康を掲げていた人物であり高虎はかなり早くから自分に同調しており、佐和山に到着してから加わった筒井定次や山内一豊、氏家行広らと比べれば石高はともかく立場的に上のはずである。そういう役目は新参の将に任せるのがこの時代の慣例のはずだ。
「治部少輔殿はいい将を残してくれました。舞兵庫殿ならばお役目も果たせましょう」
「いやそうではなく」
「そして島左近殿には別のお役目がございます。もう一度言いますがいやはや、石田家とは本当に多士済々ですな」
突如石田家の将を褒めだした高虎と、人選に関する説明を求めている秀家の会話は全く噛み合わない。
「佐渡殿」
「あっこれは失礼いたした。中納言殿、ここは自ら大夫討伐を掲げた我らが誰よりも先に矢面に立つべきでしょう。それでこそ世も我らの事をわかってくれ、お味方も増えると言うものでございます」
「なるほど。だがそれなら私も」
「いけません、中納言殿は総大将です。万が一の事があっては」
「私は正直言って軍略をよく知らない。刑部殿と佐渡守殿がいなくなっては困るのだ」
「ご安心ください。命を落とすような真似はしません。それにもしもの時は島左近殿にご相談くだされば大丈夫です」
「そうですか、ではお任せいたします」
秀家はようやく安心した顔になって天幕を後にした。
「ふぅ、とりあえずはこれでよしですな、刑部殿」
「だが佐渡殿、貴公少し飲みすぎてはおりませんかな」
「いや、つい」
二人きりに戻った吉継は高虎の物言いを注意した。
「確かに治部殿の配下は多士済々、正直羨ましいほどです。ですがあれは言いすぎかと」
「中納言殿を安心させたくて」
「まあもっともですがね」
「で、いつ頃中納言様に真相を明かすのです?」
酒のせいかややだらしない笑みを浮かべていた高虎は、突如引き締まった顔になって吉継に問うた。
「やはりギリギリまでは明かせません」
「でしょうね、で策の方は……」
「始まったばかりです」
「敵を欺くにはまず味方から、ですか」
「貴公を先の読める人物と信頼して秘計を明かしたのです。その事を肝にお銘じ頂きたい」
「わかっております」
高虎は、無言で自分の天幕へと戻って行った。
翌日、後方に下がった宇喜多軍に換わり、藤堂高虎、大谷吉継、舞兵庫がそれぞれ千の手勢を率いて大垣城に押し出してきた。
「おい腰抜け連中!備前中納言様が恐ろしいのであろう?」
「だから代わりに我らが相手をしてやることになった!」
「恐ろしい宇喜多軍はいないぞ!それでも出て来られないのか?」
例によって例の如くと言うべきか、三将の手勢は大垣城に向けて嘲罵の言葉を浴びせた。
「あーあ、備前中納言殿はとうとう倒れたらしいぜ」
「余りの怖さに腰が抜けて立てなくなったらしいな」
「おーい、宇喜多殿に伝えてくれ。良薬をお送りしてもよいとな」
そしてやはり例によって例の如く、大垣城からも悪口が飛んできたのである。
「また挑発か。工夫のない連中だな」
「所詮皆口舌の徒だな」
完全に敵を馬鹿にしている正則らに対し、清正は厳しげな顔で声を上げた。
「落ち着け!何か裏があるかもしれん」
「裏?」
「今日あたり、奴らは本気で来る気がする」
「虎之助、奴らにそんな度胸がある訳が……」
清正の言葉を正則が否定しようとしたその刹那、一発の銃声が鳴り響いた。
「敵が仕掛けて来ました!」
大垣城の城門に向け、高虎、吉継、舞兵庫の三千の兵が攻撃を開始したのである。
「何!」
「やはり来たか!市松、行くぞ!」
「おう!」
清正は正則と共にすぐさま出撃した。清正の手勢は大半を九州に置いているため千前後しかいないが猛者揃いであり、正則の手勢五千と合わせればそれだけで一万三千の宇喜多軍にも匹敵するのではないかと言われていたほどである。
「我らはともかく備前中納言様を軽蔑する言葉は許せん!」
石田連合軍の三将は一斉に大垣城に猛攻を仕掛けていた。まるでここ数日の挑発から受けた恥辱を晴らすが如き猛攻である。
「ええい、治部少輔の仲間どもめが!」
だが挑発され恥辱を受けた事は正則や清正も変わらない。城門を開け出撃した両者もまた、ここ数日の鬱憤を全てぶつけるが如く三将に攻撃を掛けた。
「これ以上は無理か、全軍退却!」
そして両軍が衝突するやすぐに、三将は将兵に退却を命じた。
「情けない軍勢よ、一気に殲滅せよ!」「よし、戦果は十分だ、引き上げる!」
だが、勝者と言うべき正則と清正の口から出た言葉は全く対照的だった。
「虎之助、なぜ止める!」
「退却が早すぎると思わんか?」
「もともと弱い軍勢だから、当たり前だろ」
「見ろ、奴らの逃げ方を」
焦る正則を制するように、清正は西に逃げていく三将の軍勢を槍で指した。
「敗走にしては整然としすぎている。突っ込んで行けばおそらく伏兵が待っているだろう」
「なるほど、小賢しい真似をしてくれるものだ」
「奴らならこれぐらいの事はするだろうと思った。ちょうど今日あたりな」
「なるほど、さすが虎之助だな」
正則も清正の説明に納得した表情になり、大垣城への帰途に着いた。城門は正則の笑顔と好対照を描くような重々しい音と共に閉まり、堂々とそびえ立った。
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