第三章-2 北南

「伯父上の返事はどうだ?」

「上杉家が前向きな対応を取るように働きかけてくれるそうです」

「それはよかった」


 家康が苦悩し、山内一豊が立ち上がった頃、奥州では伊達家五十八万石の当主・独眼竜こと伊達政宗が、寵臣の片倉小十郎景綱の目前で不敵な笑みを浮かべていた。


「徳川には徳川の夢があり、伊達には伊達の夢があり、上杉にも上杉の夢がある。自分の夢を叶えられるのなら決して悪い条件ではあるまい」

「しかし上杉が夢で動きますか」

「動くさ。あれはまだ関東管領の気分でいるからな」


 上杉家の先代・不識庵こと上杉謙信は没落した旧上杉家の当主上杉憲政からその地位を受け継いだ関東管領であり、上杉家にとって関東を手に入れる事は何よりの悲願であった。現当主の上杉景勝や家老の直江兼続はさほど執着はしていないようだが、それ以外の諸将の関東に対する想いは凄まじかった。


「直江山城守殿は違うと思いますが」

「いや、家康の野望をくじき治部少輔の無念を晴らしたい山城にとってこれは絶好機。好機を見過ごす男ではないわ」

「すると我らは」

「上杉に関東に移ってもらい、会津をもらい受ける。最上家には庄内、あるいは米沢まで渡してもいい」

「庄内はともかく、米沢までとは……」

「伯父上は親族だからと素直に信用する人間ではない。それぐらいの誠意を見せねば力を貸してなどくれぬわ」


 確かに関東管領たることを誇りとする上杉家にとって会津は無論、米沢や庄内に対する愛着はないし、最上家の現当主最上義光は「羽州の狐」と称されるやり手の人物であり、傾いていた最上家を立て直した当代屈指の名将にして、謀将である。政宗が妹の息子であるからと言って自分を頭から信用するほど甘い人間ではない。その二つのことを政宗はよく知っていた。


「ですが五郎八姫様の事が問題になりませんか?」


 昨年、政宗の娘五郎八姫は家康の六男松平辰千代と婚約を結んだ。と言っても現実は六歳と七歳の婚姻であり、秀頼が十七歳になるまで大名間の婚姻を禁じた秀吉の遺言を踏みにじり、三成らを挑発するための家康の策と言って差し支えなかった。

 だが現にその婚姻は生きており、現在、家康の六男は紛れもなく伊達政宗の娘婿である。それを理由に上杉が伊達の協力を拒んでもおかしくなかった。


「案ずるな。まもなくさらなる嵐が徳川に吹き荒れ、それに吹き飛ばされた切り札が我が元へ舞い込んで来る」

「切り札?」

「そう。上杉が兵を整え始めればこちらの物。徳川が手放した切り札が我が元に舞い込み、伊達と最上と上杉を引き合わせるのだ」


 そんなに強力な切り札が徳川内部にあるのだろうか。その疑問を顔にありありと浮かべた小十郎に対し、政宗は嫌らしい笑みを浮かべるばかりで何も答えなかったが、政宗の隻眼に野心の炎が燃え上がっている事だけには小十郎も気が付いたし、消し止めようとしても無駄な事にもまた気付いた。




 ※※※※※※※※※




「備前中納言はまもなく佐和山に着くか……この辺りだな」

「挙兵ですか」

「そうじゃ」


 他方、九州の豊前中津城では黒田如水が母里太兵衛を目前に気炎を上げていた。


「ですが名目はよいとしても兵がどうなのか」

「全く、我ながら呆れる思いだがな。天下の黒田官兵衛も今や単なる隠居爺か」



 先に父親からの絶縁状を受け取ったにも拘らず、如水の息子の長政は現黒田家当主である事を楯に強引に兵の招集をかけた。


「お前たちの好きにするが良い」


 如水は兵たちにあっさりとそう答えたが、その結果予想外に多数の兵が長政の招集に応じたのである。

 黒田の兵たちの多くは自分たちの主たる如水を隠居と出家に追い込んだ三成に激しい憎悪を抱き長政の行為を当然の事だと思い、かつ三成をかばい長政に対し酷い仕打ちを行った如水が理解できなかったのである。

 十九万石の身代の黒田家は大体四千八百人の兵が動員でき、長政は絶縁状を受け取った時は千名前後の兵を連れていたため、要するに三千八百人ほどの兵が中津にいた。

 それが今は千二百人ほどである。


「我が財布を開けるしかあるまい」

「もっともですが、そんな急揃えの傭兵が役に立ちますか」

「仕方がなかろう。ここまで兵力が少なくてはな」

「ですが、」


 太兵衛は咄嗟に周辺の大名に呼びかけ兵を集めるべきではという言葉を飲み込んだ。


「親として当然の事をしたつもりだがのう。五奉行の一人を闇討ち同然に殺めるなど許されざる行為なる事は明白なのにな」

「治部少輔殿は予想外に嫌われていましたな」


 石田三成は才覚を秀吉に愛されていたが、その才覚が勝ちすぎているだけに何事も自分で事を為そうとし、あるいは何かを思いつくと独断で実行してしまう事があった。

 その策が当たっていたから秀吉は評価したが、正則や清正ら武功派にとっては秀吉でなく三成が命令していると感じ、何様のつもりだと三成を白眼視した。彼らが、三成が豊臣家を乗っ取ろうとしていると感じたのも無理からぬ話である。

 今更自分が三成を弁護しても遅いのか。三成を弁護し息子と断絶した人間の元から三分の二近い兵が流出した、と言う事実が如水の印象を大きく悪くした。


「寺沢志摩守が大夫らへの参加を明言した事でもわかるであろう。世間は今のわしを老いぼれ扱いしておるだろうな」


 肥前で四万石を取っていた寺沢広高は、長政の招集に応じる黒田軍の兵が多かった事を知り福島正則に味方することを決意、筑前の小早川領を通過して黒田軍の兵と共に船に乗ったのである。


「とにかく兵を招集せよ。豊後の大名衆や柳川侍従にも一応呼び掛けておいてくれ」

「はっ」


 豊後の福原直高、垣見一直、熊谷直盛は三成と親密であり、柳川の立花宗茂は正則らのやり方に憤慨している。正則の盟友たる清正を討つと言えば、四人とも力を貸してくれるだろう。

 が、それ以上の兵は現時点では望めない。肥後宇土の小西行長は三成の盟友だが、朝鮮出兵の疲弊がひどく当てにはならない。行長は二十万石の身代だが、如水は千五百も出せれば上出来だと思っている。


「さて、小早川や鍋島、島津の目を覚まさせてやるかのう」



 本多正信がかつて言った通り、筑前の小早川秀秋は激変する状況に戸惑い行動を止めてしまい、肥前の鍋島直茂は未だ日和見の態勢を崩していない。そして薩摩の島津は当主の忠恒がまだ二十一歳と若く、武士団の心は父の義弘から離れていなかった。更には伯父の義久も未だ健在であり、彼を慕う家臣も多い。要するに、家中が不統一なのである。

 更に如水の元から大量の兵が流出した事もあり、三者を含む諸大名は如水の評価を落としていた。ここで熊本の加藤軍に大勝すれば、如水に衰えなしと世に知らしめる事ができる。そして、如水の目はその先の夢を見つめていた。

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