第六章-3 布陣
七月四日卯の刻(午前六時)、関ヶ原は晴れ渡っていた。まだ暑さは残っているものの、峠は越えており朝夕は過ごしやすかった。
「いよいよ今日、石田三成の一党を粉砕できるのですな」
関ヶ原の東、桃配山に本陣を構えた徳川・福島連合軍大将徳川秀忠に対し、もう一人の大将と言うべき福島正則は上機嫌で話しかけていた。
「布陣は完璧なようですね」
「当然です。この一戦に豊臣家とこの国の運命がかかっているのですから、疎漏などあってはいけません」
「それは頼もしい事ですな」
「では、共に逆賊を成敗しましょうぞ」
徳川・福島連合軍の布陣は、以下のようになっていた。
総大将の秀忠は一万五千の旗本と共に桃配山で待機。本陣には本多忠勝が控え、旗本たちの指揮を取る形になっている。
井伊直政は松平忠吉、奥平家昌らと共に一万五千の徳川兵と浅野幸長、蜂須賀家政、水野勝成、京極高知ら一万三千が加わり、二万五千で中山道の南に構え、松尾山の如水軍に備えている。
そして福島正則は加藤清正、池田輝政、加藤嘉明、黒田長政と共に一万八千の軍勢を率い、それに大久保忠隣率いる一万の徳川軍が加わりやはり二万五千で中山道の北側に布陣し笹尾山の石田連合軍を狙っている。後方となる大垣城には中村一忠と堀尾忠氏が五千の兵を率いて守りに付いていた。
※※※※※※※※※
「これはまたよくできておるのう」
関ヶ原の南西に位置する松尾山まで輿で担がれてきた黒田如水は麓の徳川・福島連合軍の布陣を見ながら、予想外によくできていると言わんばかりのため息を漏らした。
「まあ井伊兵部や本多平八郎ならばこれぐらいの布陣はするじゃろう」
「如水殿、先鋒の立花軍の布陣が完了しました」
「そうか、それはよかった。ではおぬしも頼むぞ」
「ははっ」
これまで自分の軍の指揮を毛利秀元に任せ如水の側にいた吉川広家が、馬にまたがりゆっくりと自分の軍勢が待つ東の山に向かった。
松尾山には、如水軍とその傭兵に速水守久率いる豊臣家の旗本を合わせて六千がいた。
立花宗茂は鍋島勝茂、小早川秀秋、長宗我部盛親と言った若年の大名をまとめる立場として、一万八千の兵で井伊直政率いる軍勢と向かい合っていた。
そして経験の豊富な島津義弘は生駒親正、小川祐忠、南条忠成ら中四国の小大名を含め一万の兵を率い立花軍の後方に構えており、松尾山の東の山地には、毛利秀元と吉川広家が一万六千の兵を率いて待機していた。
この島津軍と毛利軍は表向きには立花軍の予備隊であるが、石田連合軍と徳川・福島連合軍が正面衝突の状態になった際に漁夫の利を得るべく乱入する意図で配置されている事は誰の目から見ても明らかであった。
「この天下は太閤殿下が作り上げたものじゃ。だったらその殿下から同じ才を持つ者と警戒されたこのわしこそ、豊臣家の天下を盛り立て発展させるのにふさわしいのではないのかのう。まあわしもあまり長生きはできん。せめて生きている間ぐらい、好きにさせてはくれまいかな、備前中納言」
如水はそう呟きながら、北に視線をやった。
「おうおう、態勢は完璧か。まあ島左近や直江兼続ならばお茶の子さいさいと言った所か」
石田連合軍の総大将である宇喜多秀家は、五千の兵で関ヶ原西の笹尾山に陣を張っていた。その周囲には、増田長盛、長束正家、京極高次、丹羽長重らが揃い、秀家軍の後方に予備隊として陣を張る細川忠興と合わせれば二万近い軍勢となっている。
笹尾山から寺谷川を越えた南にある天満山には、宇喜多詮家を大将とする一万の宇喜多軍が陣を構え、島左近率いる五千の石田軍、共に一千の藤堂高虎軍・大谷吉継軍、山内一豊軍五百が前面にあり、その後方には五七の桐の旗を掲げた豊臣家の旗本二千が控えていた。
伊達政宗率いる伊達軍と直江兼続率いる上杉軍は笹尾山の北東にある丸山に布陣しているが、この丸山は中山道からはやや離れた位置にあり、前面の敵と戦うと言うよりは突っ込んで来た徳川・福島連合軍を北から叩くと言った色合いが強かった。
この軍勢は道案内的な役割を任された金森長近軍一千を含み二万一千だが、兵が多いため伊達軍八千は丸山より北東に陣を構えており、実際に丸山にいたのは上杉軍一万二千と金森軍一千の一万三千であった。
一見、石田連合軍の布陣は完璧に見えた。ただ一つ、南から攻撃されたらどうにもならないと言う事を除けば。
(この布陣を額面通りに受け取れば備前中納言らはわしに下駄を預けたも同じじゃ。まあ戦の経験の乏しい備前中納言にとってわしは雲の上の存在なのかもしれんがな……大崎少将や直江山城、島左近らはよく止めなかったな。しかし何かを用意しているのかもしれん。まあそれが何でも構いはせんが。わしはせっかく作り上げたこの大舞台で、生涯の総仕上げとなる指揮を取ってやるまでよ)
黒田如水、五十三歳。生涯最後の晴れ舞台で、自分の才知の限りを尽くしてやろうと意気盛んであった。その傍らには、守山平太郎が面頬越しに北を見つめ、何も語らず槍を持って仁王立ちしていた。
※※※※※※※※※
私は、一体何をしているのだろう―――。何をやりたかったのだろう―――。
父親とは対照的な空虚な表情を浮かべ、黒田長政は戦場にいた。
思えば、七年前の朝鮮出兵の時、石田三成が父親を讒言したのが全ての始まりだった。その時より自分は父を隠居、出家に追いやり、あわよくば父の命まで奪いかけた三成に対して、憎しみを募らせていった。
いや憎しみの萌芽はそれ以前からあったのかもしれないが、その讒言こそが自分の奥底に眠っていた憎しみに火を付けた。そして自分は兄貴分と慕う福島正則・加藤清正らと共に、石田三成を殺した。それが世のためであり、父親のためと信じて。
だが、その結果どうなっただろうか。父親から送られた物は、石田三成を憐れむたった一枚の絶縁状だけだった。そして今、その父親は五万もの軍を率いて三成の仲間たちに与し、自分たちを断罪するように関ヶ原に陣を構えている。
黒田官兵衛。竹中半兵衛と並び「二兵衛」と称され、「秀吉に天下を取らせた男」と呼ばれた男。自分はいつまで経ってもその「黒田官兵衛の息子」であり、「黒田長政」として自分を見てくれる人間は少なかった。その「黒田長政」が、父親と言う殻を破るために、父親への奉公のために、初めて自分の意思で兵を動かしたというのに。これでは例えこの戦に勝利したとしても、自分の父親に対しての挑戦は大失敗の謗りを免れないだろう。
「如水殿も呆けてしまったな…………この戦は世代交代を示す好機となろう。吉兵衛(長政)、これからは我々の時代だと言う事を、世間に知らしめるのだ」
福島正則は昨日、極めて明るく長政にこう呼びかけた。それが演技でない事は、長政ならずとも誰でもわかった。
そうなのだ。
正則は自分が三成を殺した事に対し、何の迷いや罪悪感も抱いていないのだ。無論自分だってそのはずだ。なのに、長政の心に覆いかぶさった黒雲が晴れる見込みは全くない。
長政は三成の最期を見ていない。無抵抗を装い、舌先三寸で逃げようとした卑劣な最期だったと正則は言いふらしているが、実際に三成の最期を見たのは加藤清正と正則だけなのである。清正は何も言っていないが、長政には清正の目には三成の最期は正則の言うような見苦しい物には映っていなかった様に感じられた。
真偽は不明だが、三成は切腹後の介錯のように黙って正座し正則に首を授けたと言う噂があった。また、あの襲撃の日、三成の屋敷には三成以外誰もいなかった。まるで、自分が襲撃されることを予期し、巻き添えになるのを防ぐように。予期できていたのならば逃げればよかったじゃないか、と言うのが普通の考えなのに、それを完全に無視して自分だけ残って、正則の刃を受けた。そしてその結果、こうなったのだ。
「まもなく、市松が突撃を開始する。その時こそ吉兵衛も続き、備前中納言らを討ち取るのだ。丸山は俺と吉田侍従、大久保殿の徳川軍に任せておけ」
長政の悩める気持ちを知ってか知らずか、清正が長政の下に馬を寄せて話しかけて来た。
「あ、そうだな」
長政は思わず気の抜けた声を上げてしまった。
「松尾山が不安か?天下の赤備えが何とかしてくれよう。頼んだぞ、吉兵衛。市松共々、治部少輔の仲間たちを粉砕してくれ。では、共に勝利の凱歌を歌おうぞ」
清正は長政の気の抜けた返事を、南西の黒田軍が気になっての物と了解した。真相は全然違うのだが、長政はそれをおくびにも出さずに力強くうなずいた。馬を走らせて自分の陣に戻って行く清正に、長政は不思議な安心感を覚え、清正に心の中で礼を述べた。
(そうだな、迷っている暇など今はないのだ。目の前の敵を打ち砕く。それが武士としてすべき事ではないか。感謝いたすぞ、清正殿)
そして、辰の刻(午前八時)。
静かだった関ヶ原に銃声が鳴り響いた。福島正則だ。方向は石田連合軍総大将、宇喜多秀家が軍を構える、笹尾山。
ここに、後に関ヶ原の戦いと呼ばれる事になった大決戦は幕を開けたのである。
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