第六章-4 決戦
「進め!豊臣家と日の本の運命はこの一戦にかかっている!何としても豊臣家を簒奪せんとした逆賊、石田三成の一党を地上から滅するのだ!」
福島正則の甲高い声と共に、兵たちが一斉に前進を始めた。福島軍が先鋒となり、左には黒田長政と加藤嘉明が並び、そしてその後方には、大久保忠隣が五千の兵を率いて続いていた。
「行け!我々は丸山の上杉を抑える!」
そして正則の甲高い声に答えるように、加藤清正は兵を丸山へと向けた。清正の率いる軍は千足らずだったが、池田輝政と徳川軍の内藤信成率いる五千の兵が付き従い、全体では一万一千と丸山にいる上杉・金森軍の合計と大差ない人数になっていた。
「目の前の加藤軍を蹴散らせ!福島正則の横っ腹を突くのだ!」
「よし、我ら伊達の力を天下に示せ!」
当然の如く、丸山の直江兼続もまた加藤軍を蹴散らすべく出陣し、まもなく交戦を開始した。無論、伊達政宗もこれに追従した。
「あわてるな!我らの役目は福島大夫の突撃を補助することにある!」
「そうだ、無理に突破する必要はない!凌げばよいのだ!」
だが加藤清正と内藤信成の指示は正確であった。まともに正面衝突すれば粉砕されるであっただろう数の差であったが、清正は池田輝政と共に倍の上杉軍を、信成は一・六倍の伊達軍をよく引き付けて鉄砲での一斉射撃を加え、両軍をうまく足止めしていた。
「ひるむな!数は我らの方が多い!」
丸山からの援兵が当てにならない事を悟った笹尾山の宇喜多秀家は、自分の所に向かってくる福島軍を受け止めるべく、床几より立ち上がり激しい声を上げて前線の将たちへの督戦を始めた。笹尾山周辺にいる石田連合軍の兵は二万弱、突っ込んで来る福島正則らは一万四千である。
「左京亮(宇喜多詮家)に伝令を飛ばせ!今ここで前進すれば勝利は近いと!」
北側の丸山からの援兵は駄目でも、南の天満山側からの軍隊を使えば福島軍を包囲できるはずだ。そう判断した秀家は、従兄弟の詮家に前進を命じた。
「申し上げます!桃配山の正面に布陣していた敵軍が動き始めました!」
しかしその目論見はあっけなく崩された。まるで、こちらの動向を読んでいたかのように、敵は天満山を抑えに来たのである。
「くっ……」
秀家はやってくれると言わんばかりに唸り声を上げた。
「こうなると戦は膠着状態か……如水殿を信じるしかあるまいな」
秀家の視線は、無意識の内に松尾山に向けられていた。
※※※※※※※※※
「来たな!ならばこの井伊の赤備えの恐ろしさを見せ付けてくれよう!」
一方、その如水軍も動き始めていた。
立花宗茂が鍋島勝茂、長宗我部盛親、小早川秀秋と言った若年の大名をまとめる立場として一万八千の軍勢を率い、中山道に陣取った徳川軍に攻撃を敢行したのである。
「今ならばこちらが有利!ひるまず進め!」
つい先ほどまでそこには二万五千の兵がいたが、笹尾山の戦況を見て全体の状況を悟った直政の手により、浅野幸長ら一万と奥平信昌率いる五千の徳川軍が天満山に向けて放たれ、今は一万の兵しか残っていない。宗茂が率いる軍勢のおよそ半分である。
「甘いわ、若造共!徳川の強さを思い知らせてくれる!」
「うう、何をやっている!このままではまずいぞ!」
しかし猛将井伊直政の率いる兵は、直卒の赤備えでなくとも精強だった。立花軍団の先鋒である小早川軍は、四半刻もしない内に押され始めた。
小早川軍の大将である小早川秀秋は元々秀吉の養子であり、豊臣家から強引に押し込まれた格好の十七歳の少年である。戦場の経験も少なく、ましてやこのような強敵と正面から当たった経験など皆無だった。それが先鋒になったのは、秀吉の養子である立場なのに大将の座を宗茂に渡した配慮に過ぎなかった。
「追い散らせばよい!首を取ろうと思うな!」
直政の指示は冷静だった。いくら相手が弱かろうとも、ここでむきになって首を取りに行けば、如水軍を敵に回す算段がより大きくなる。追い散らすぐらいにしておけば、こちらの強さを恐れ傍観に徹するようになるだろう。それが直政の計算だった。
※※※※※※※※※
「備前武士の力を見せ付けろ!」
「者ども、手柄を立てよ!」
そして天満山の方でも戦が始まっていた。攻めるは浅野幸長を先鋒とする一万五千、守るは宇喜多詮家を大将とする一万七千五百。
「備前の弱兵など蹴散らせ!」
幸長を始め、福島連合軍の大名は宇喜多軍の兵を軽く見ていた。先代の直家は戦より謀略を用いて大名となった男であり、当代の秀家も秀吉の養子として大坂城内で育てられ戦の経験に乏しく、強兵が育つ環境には思えなかったのである。
「どうもこちらが押され気味です」
「ええい宇喜多軍め、予想外にやる……!」
だがそれが錯覚だった事に気づくのに、そんな時間は要らなかった。確かに秀家は戦の経験に乏しかったが、宇喜多詮家、花房正成、戸川達安と言った古参の将達はいずれも百戦練磨の兵であり、その錬度は高かった。家康と本多正信はそれを恐れ、宇喜多家に御家騒動を起こしたのである。
―――果たして、詮家率いる一万の軍勢は、浅野・蜂須賀・水野などの福島連合軍の将たちを相手に、四半刻(三十分)も経たない内に優位に立っていた。
だが奥平信昌も並みの将ではない。宇喜多軍の精強さを見抜くやすぐに損害の大きい水野軍を下がらせ、自ら宇喜多軍にぶつかったのである。宇喜多軍も強かったが、徳川軍はそれ以上に強い軍勢であり、形勢はじわりと傾き始めた。
「押せ押せ!流れは確実にこちらに来ているぞ!」
信昌の檄に押されるように、徳川軍は宇喜多軍を押し込み始め、浅野・蜂須賀と言った福島連合軍の軍勢も徐々に盛り返して来た。
「ここは何としても食い止めよ!」
詮家の声も必死さを増して来ている。だがただでさえ百戦錬磨の徳川軍に、さらに家康を取り戻すためと言う思いも籠っている。あくまでも主家のために戦うまでの宇喜多家の兵との思いの違いが、ますます形勢を傾かせていく。
「宇喜多殿、お助けいたす!」
そこに、一人の男の声が飛んできた。
「なんだ藤堂佐州か。皆の者、構わず攻撃を続けよ!」
すわ如水軍の島津義弘かと信昌は一瞬ひやりとしたが、その声の正体に気づき胸を撫で下ろした。
やはり如水は傍観を決め込んでいる。立花軍の動きはそれを隠すための擬態か、宗茂の暴走かのどちらかだ。このまま如水が動かないなら、宇喜多軍の殲滅は時間の問題だろうと、信昌はほくそ笑んだ。
「佐渡守殿を殺すな!」
「宇喜多のためにも佐渡守殿を守るのだ!」
が、その高虎が前線に飛び出すや否や、宇喜多軍が一挙に勢いを盛り返してきた。一時期挽回していた浅野・蜂須賀と言った軍勢も押し戻され、徳川軍も後退を余儀なくされた。
「まずい流れになりましたぞ」
「ちっ、佐州の信頼がここまでとは予想外だったな」
信昌も徳川の人間であるから、高虎が宇喜多の御家騒動を鎮めた事は知っている。だがその結果、宇喜多の人間が高虎に対して得た信頼と言うものを過小評価していた。
宇喜多の老臣達にとって高虎は奸臣を御家から追い出してくれた恩人であり、死なせる訳には行かなかった。押され気味になり一旦萎えかかっていた宇喜多軍の士気が復活したのも無理からぬ事だ。
そしてその隙を突くように、大谷吉継も自ら輿に乗り出陣、千の手勢を率いて宇喜多軍に加勢したのである。
「やむを得ん。中務大輔殿に援軍を頼もう」
ここで石田軍にまで加勢されたら、突破されてしまう危険性がある。その前に手を打たねばならない。そう判断した信昌は、すぐさま伝令を桃配山に飛ばした。
※※※※※※※※※
「どうした!押されているのか!」
「敵軍が予想以上に精強で……」
いっぽう笹尾山では秀家が苦悶の表情を浮かべていた。確かに笹尾山周辺の石田連合軍は二万、福島連合軍は一万四千だったが、戦いは福島連合軍が優勢だった。
天満山側の宇喜多軍は古参の兵が多かったが、こちらの宇喜多軍は秀家の代になってから仕えた新参者が大半で、錬度は大きく劣った。更に他の大名も増田長盛、長束正家と言った文官や、丹羽・京極と言った石田連合軍では新参に含まれる者たちであり、錬度及び士気はとても高いとは言えなかった。
それに対し福島正則、黒田長政、加藤嘉明、大久保忠隣率いる徳川軍は皆この戦に対し尋常ならぬ意気込みを抱いており、兵の錬度もかなり高い。その差が形勢に出ていた。
「ふん、しょせん弱兵か強引にかき集められた兵よ!この福島軍の敵ではないわ!」
正則は迫り来る敵を槍の錆にしながら、石田連合軍をなたで叩き割るように前進を続けていた。
そして、笹尾山の前面にいた増田軍に、正則が手をかけようとしたその時だった。
「笹尾山は遠くないぞ!ここを一気に駆け抜けろ!」
「殿、敵援軍です!」
「福島正則!我こそは石田治部少輔三成の一の家臣、島左近勝猛なり!治部少輔様の無念、今ここで晴らしてくれる!」
旗本の声を聞きふと横を見た正則に、その「援軍」の大将から野太い声が飛んで来た。
「お前の相手をしている暇などない!」
「何だと、この島左近が恐ろしいか!無抵抗の治部少輔様を何のためらいもなく殺したのは、やはり憤りなどではなく臆病だったからだな!それが今、はっきりしたぞ!臆病でないのならば、無抵抗の人間を殺す理由はない!いやそれ以前に、治部少輔様の首をどうしても欲するのならば、こういう場を作ればよかろうに!それをあのような卑劣な手段で首を取ろうとするとは!福島正則こそ、天下無双の臆病者よ!!」
「ざけるな!貴様を、三成の元へ送ってやる!!」
誰よりも勇敢である事を自負する正則にとって、臆病と言う呼ばわりは許し難い侮辱だった。最初に石田軍の軍旗、「大一大万大吉」を見とめた時には動揺しつつも今は笹尾山が優先だと左近の言葉を払いのけたが、臆病者呼ばわりは許しがたかった。
「来たぞ!治部少輔様の仇を、今こそ取るのだ!!」
「ほざくな!あんな柔弱な輩の手下など、一刀のもとに切り捨てよ!」
正則は進行方向を石田軍の方に転回した。
天下に名高き猛将、島左近が率いているとあらば強敵だろう、気合を入れてかからねばなるまい。
そんな正則の危惧は、しかし簡単に打ち消された。
「なんと不甲斐ない!島左近の名は虚名であったか!三成の目は節穴だったな!」
「ちょっと待って下さい、石田軍が少のうございます」
十五分もしない内に、石田軍は簡単に崩壊、全軍後退してしまった。高笑いをしながら駒を進めた正則だったが、だがよく見ると人数が少ない。
石田軍は五千はいるはずなのに、正則の前面には千もいなかったのだ。
天満山の戦況は思わしくないのではなかったか、正則はそんな疑問を抱いた。天満山では自分たち福島連合軍が押され気味だったので、後方にいた石田軍には全軍をつぎ込む余裕があったはずだ。なのに、少数だった。
これは、天満山の形勢がこちらに傾いているのかもしれない。そこまで正則の考えが達した時、
「本多殿が三千の旗本を天満山に送ってきてくれました!」
「やはりそうか!よし、このまま一気に押し切る!」
自分の考えが正しかった事を証明する報告が入り、正則は一気に高揚し、そして少数で逃げる島左近の追撃を開始した。
「あの軍勢は何だ?山内か?細川か?」
その正則の目の前に、見慣れぬ軍勢が立ちふさがったのはまもなくだった。
「いえ、あれはどうやら豊臣家の旗本かと」
「何だと?」
豊臣家の旗本。その言葉を聞いた正則の顔色が曇った。確かに五七の桐の旗を掲げ、旗本らしい立派な兵装をしている。
「島左近め……俺たちが豊臣家の旗本には手を出せまいと読み、楯に使うつもりか……どこまでも卑劣な輩だ!だが!」
そこまで正則が言った時、豊臣家の旗本と思しき軍勢は百丁近い鉄砲を一斉に福島軍に向けて放ち、十人ほどの兵をなぎ倒した。
「俺は最早迷わぬ!貴様が秀頼君から脅し取ったこの兵たちを打ち砕き、秀頼君を治部少輔と貴様の手から取り戻す!!鉄砲隊!」
正則の合図と共に、五百の鉄砲隊が豊臣家旗本に銃口を向けた。
「撃っ…!!いや、撃つな、撃ってはならん!」
正則は撃てっ、と言いかけて急に錯乱したように撃つなと喚きだした。
だがそれが間に合うはずもなく、五百全部とまではいかないが半分近い鉄砲が火を噴き、前面の豊臣軍旗本に鉛玉を届けた。
「貴様、何たる事を!!この旗の意味がわかっておるのか!」
福島軍の放った鉄砲玉の先にあった軍勢が掲げた旗。それは豊臣家の五七の桐ではない。
「この旗に鉄砲を放つ事は太閤殿下に敵対する事も同じぞ、福島正則!!」
五七の桐に隠れていた、黄金に輝く千成瓢箪。
それはまさに、豊臣家の象徴たる旗印であった。
「ああ、あああああ……!!」
正則の口から、言葉にならない声が漏れ出した。
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