慶長動乱記

@wizard-T

序章 襲撃、成る

序章 襲撃、成る

 この国はこの半年で、中核たる人物を立て続けに二人も失った。


 一人の名は豊臣秀吉。庶民から関白にまで駆け上がった稀代の出世人は慶長三(一五九八)年八月十八日、六十二年の生涯を終えた。


 そしてもう一人は前田利家。秀吉が木下藤吉郎と名乗っていた時からの親友であり、豊臣政権内でも抜群の政治力を発揮していたこの名将も、慶長四年閏三月三日、この世を去った。




 この危機的状況に際し、一人ほくそ笑む人物がいた。


「いよいよ時は来たれりか……」


 その名は徳川家康。幼年期は織田家、今川家の人質として苦難の時を歩み、桶狭間の戦いで独立後も一向一揆の蜂起を受け、三方ヶ原で武田信玄に惨敗し、織田信長から長子信康の断罪を求められるなど苦しみ続けながら乱世を切り抜け、今は秀吉政権下で関東六ヶ国二四四万石を与えられている五十七歳の男であった。



「利家が死んだ今、豊臣家をまとめられる人物などおりますまい」

「弥八郎、手はずは整っているか」

「無論」


 その家康の傍らには一人の茶坊主風の男がいた。名を、本多弥八郎正信と言う。若年の時に先に述べた一向一揆の蜂起に加わって流浪を命じられ、姉川の戦いの頃に徳川に帰参した人物である。


 この正信という男、徳川家臣団からの評判はすこぶる悪かった。


 だいたいからして、一度徳川に反抗しその後徳川に復帰したと言う経緯そのものが気に入られていない。

 帰り新参。その言葉が、激しい憎悪を込めて正信に投げ付けられた。


 しかし家康は正信を側に侍らせ続けた。三河や遠江などの事しか知らない武士団とは違い、正信は流浪の間にその目で広大な世界をはっきりと目の当たりにしていた。そこから身に付けた知恵は、他のどの家臣にもない物だったからである。だが当然と言うべきかその家康の振る舞いは、他の徳川家家臣の嫉妬と怒りを増幅させた。


 さらに、正信は戦に関しては全くの素人である。帰参初戦となった姉川の戦いでは、軍を突出させすぎて大久保忠世に救われたほどである。戦もまともにできない腰抜けが、なぜ自分たちより家康様に重用されるのか。

 徳川四天王の一人、榊原康政は正信を「腸の腐った男」、本多忠勝は「同じ本多でもあやつとは全く別」などと罵っている。


 だが正信はそのような事は全く気にしていなかった。まず、康政や忠勝の立場からすれば、かような怒りを抱くのも仕方がないと思っている。そして、正信は自身の栄耀栄華など全く望んではいなかった。彼が欲しいのは徳川の天下だけであり、それが得られるなら何を言われても構いはしなかったのである。


「まずは前田中納言を追い落とし、次に治部少輔を追い落とします」

「噂はきちんと撒いているだろうな」

「伊賀者がよくやっております」


 前田中納言とは前田利家の長子前田利長であり、治部少輔とは五奉行の筆頭、石田三成の事である。利長は豊臣秀頼の守役を務めるために大坂城におり、三成は以前から家康の野望を阻止せんと京で目を光らせていた。この二人が京や大坂にいる限り、家康は動きが取れないのである。


 そこで家康はまず前田利長に目を付けた。服部半蔵率いる伊賀者を使い、利長が家康の暗殺を企んでいると言う噂をばら撒かせたのである。その噂を使い、利長に暗殺の真偽を問い、真ならば金沢で蟄居せよと迫るのである。否定すれば、兵を興して本当に討ってしまうまでである。


「それから備前中納言の方だが」

「面白うなってまいりましたぞ」


 備前中納言とは、五大老の一人である宇喜多秀家の事である。最近、宇喜多家の内部で秀家の寵愛を受ける長船綱直や中村刑部と、戸川達安・花房正成などの古参の家臣の間の中がうまくいっておらず、古参の武将が秀家の従兄弟で秀家と折り合いの悪い宇喜多詮家を中心に集い、秀家に反旗を翻そうとしていると言う噂が流れていた。



 しかし、実はそれもまた家康と正信の策だった。家康が挙兵すれば宇喜多家は必ずや三成に与して兵を挙げてくると読んだ両名が、宇喜多家の力を削ぐべく密かに詮家らを煽っていたのである。

 このあたりは実に狡猾であった。


「まもなく、宇喜多の重臣たちは出奔するものと思われます」

「それで治部少輔は……」

「そちらの方は問題ありません。二、三日もすれば……」

「利家と言う重石が消えた以上、大夫らを繋ぎ止める物はないか」


 大夫とは福島正則の事である。三成とは小姓時代からの同輩であったが非常に仲が悪く、何とか両者の対立を抑えていた利家がいなくなった今、衝突は文字通り時間の問題とされていた。正則の親友たる加藤清正、黒田長政らも正則に同調して襲撃を図っていた。


「ふふ……おぬしの働きには本当に頭が下がる」

「その言葉が何よりの褒美にございます」


 家康と正信の顔には、共に笑みが浮かんでいた。いよいよこれで天下は自分達の物だ、戦乱は終わるという実感が顔に滲み出ていた。


「まあ正直な話、太閤の政がぐら付かなければわしもこんな事はしなかったのだがな」

「お説ごもっともにございます」




 秀吉は晩年、都合六年間にわたる朝鮮出兵や強引な普請などで多くの人命や金銭を無駄に使い、世間からの信望を低下させた。このまま豊臣政権が続けば、まもなく起こるであろう三成襲撃のような事件が頻発し、家康が何もせずとも再び世は乱世に戻ってしまう。


 小田原城が陥落し天下が統一されてから九年、応仁の乱から数えれば百三十年余りの年月がすでに経っている。多少強引なやり方でもいいから、もうこの辺でいい加減に乱世を終わらせるべきではないかと言うのが家康の思案だった。


「それでは天下を取った暁には私の手で戦なき世を築いて見せましょう」

「楽しみにしておるぞ」


 家康と正信は、祝杯とも言える酒を酌み交わしながら夜を明かした。




 ※※※※※※※※※




 果たせるかな。

 利家死後からわずか一日後の大坂で、正信の言葉が的中していた。


「今宵こそ、天下の奸臣石田三成を除く時よ!」


 そう高らかに叫ぶは、加藤主計頭清正。


「おう!冥界の太閤殿下様に三成が首を捧げようぞ!」


 続いて福島正則も声を張り上げる。するとその声に釣られるが如く、歓声があちこちから上がり始めた。


 清正、正則、黒田長政、浅野幸長、池田輝政、加藤嘉明、蜂須賀家政。今、七名の将とそれに率いられた兵士たちが、京の町に飛び出さんとしていた。







「早くお逃げください!」

「お前たちが先に逃げろ。全員逃げ切ったのを確認したら私も逃げる」

「そんな悠長なことを言っている場合ですか!」


 その頃とある屋敷では、二人の男の押し問答が繰り広げられていた。

 片方は小姓。もう片方は寝巻き姿の石田三成であった。


「大夫らはそこまで痴れ者ではあるまい。戦場で殺すならともかく、こんな所で殺せばどうなるかぐらい、わからぬ訳があるまい」

「それを承知の上で来ているのです!高を括らないで下さい!」



 実は三成は数日前より、昵懇の仲である佐竹義宣から正則らが襲撃を図っていると言う報をすでに受け取っていたのである。にも関わらず、三成は何もしていなかった。


「常日頃、内府(徳川家康)にだけは天下を渡してはならん、そう仰せになっていたではありませんか!ここで殿が死んだらどうなるのです!」


 その小姓の言葉を聞いた三成は無言のまま立ち上がって傍らの刀を持ち、鞘から抜いて小姓に突きつけた。


「これで最後だ!逃げないのならば、お前を殺して私も死ぬ」

「わ、わかりました」


 その小姓は刀を突き付けた主に腰を抜かし、脱兎の如く逃げ出して行った。その小姓が視界から去った事を確認した三成は、やれやれと溜息を付きながら刀身をしまい、どっかと胡坐をかいて座り込んだ。まさに、来るなら来いと言った態勢である。




 それから四半刻(三十分)ほど経ったであろうか。三成以外誰一人おらず静寂に包まれていた屋敷の中に、太い男の声が響き始めた。


「奸臣石田三成、覚悟いたせ!」


 ついに正則らがやって来たのだ。

 だが三成は身じろぎ一つしないでじっと、ふすまをにらみつけた。


 やがて、三成のいる寝室のふすまが、福島正則の手によって開かれた。


「三成!覚悟せいっ!」

「待て市松!」


 刀を上段に振りかぶった正則を、傍らにいた清正が親しく使い合っていた幼名で制した。


「なぜ止める!」

「言い訳ぐらい聞いてやってもよかろうに」

「やめろ!舌先三寸で丸め込まれるぞ!」

「安心しろ市松。俺の決意ももはや揺るがん」


 清正の言葉に安心したか、正則はとりあえず構えを解いた。それを見とめた清正は、腰を落として三成に問いかけた。


「さて三成。なぜこの屋敷に人がおらぬ?」

「お前たちは私の首が欲しいのだろう?だったら他の者に関係はない」

「先に逃がしたと言う訳か……」

「聞きたい事はそれだけか」

「ふざけるんじゃねえ!」


 この時、余りにも堂々とした三成の態度に、清正の心に迷いが芽生え始めていた。しかし正則の怒号と共に、その迷いは微塵に砕かれた。


「やはりこやつ、我らの心を惑わす気だな!虎之助、惑わされるな!」

「ま、惑わされてはおらぬ。どうしても気になっただけだ」

「そうか、ならばよい。三成、覚悟せい!!」


 三成はなおも座して動こうとしない。まるでこれから介錯を待つかのように、堂々と座っている。

 その首に向けて、正則の白刃が振り下ろされた。鮮血を吹き出しながら三成の首は床に転げ落ちたが、胴体は全く変わらず座ったままの態勢であった。




「天下の奸臣、石田三成をこの福島正則が討ち取ったり!!」




 正則は、あらんばかりの大声を挙げて叫んだ。まさに勝利の雄叫びである。


 だが、これが時代を誰もが思いもしなかった方向に動かす第一歩となる事を、あまりにも堂々とした三成の死に顔にどこまでも生意気な奴だと怒りを表出させる正則も、その死に顔に背筋を寒くした清正も全く知る由もなかった。



 ひょっとすると、三成だけが家康にも知りえないこの先の展開を読み切っていたのかも知れない。しかしそれを確かめる術はもはやない。また、三成への憎しみに捕らわれた正則ら七人には、その事に気付く由など全くなかったのである。

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