第一章-2 帰国
「すると江戸へ帰ると」
「お前たちだってこんな所にいたくはなかろう?」
忠勝の問いに、それまで沈鬱だった家康の声色だけでなく表情まで明るくなり始めた。
「お待ちください!それでは逃亡ではございませんか」
「無論わしだけが帰るわけではない。他の大名もだ」
康政の問いに家康は明るく、しかしそれでいて重みを含んだ調子で答えた。
「すると……」
「他の五大老も国許に帰すのだ」
秀吉が重篤になってから、家康以下の五大老はずっと京に詰めていた。当然、本土での政務はおざなりになっている。そこに来て五奉行の一人、石田三成の暗殺である。本土に帰らねばならない、そして帰りたい理由は共に十分にあった。
「しかし、素直に帰るでしょうか」
「佐州、そなたはどう思う?」
「はい、帰ると思われます」
忠勝はまた顔をしかめた。
もっとも家康にしても本来ならばあらかじめ正信と二人きりで細かいところまで詰めてから忠勝らの前で披露するのだが、五大老を本土に帰らせると言う案はたった今思い付いたばかりであり、正信の算段についてはわからなかった。
「まず会津中納言(上杉景勝)は豊臣政権の中では新参の部類に入ります。いくら家老の直江山城(兼続)が治部少輔と昵懇の仲と言えど会津中納言がそうであるという保障はありません。上杉家の内部では今回の騒乱はさほど深刻に受け止められていないと考えています。また安芸中納言(毛利輝元)殿は大殿の器量をよくご存知で、大殿に接近を図ろうとしておりました」
「しかし、秀頼君の守役である加賀中納言(前田利長)と治部少輔と親密な備前中納言は首を縦に振るとは思えぬが」
「宇喜多家は御家騒動の真っ只中にあります。備前中納言とてこれ以上放置する事はできないでしょう。加賀中納言についてはすでに手は打ってあります」
「また噂でも流したのか」
「ええ」
吐き捨てるような康政の言葉にも、正信は表情を変えぬままうなずいただけだった。
「加賀中納言が大殿様の暗殺を企んでいるとの噂を流しております。その噂が大きくなった所で加賀中納言に真偽を迫り、真実ならば金沢に帰れと言い、否定すればその噂を名目に挙兵するまでです」
「相変わらずよくできているな」
康政は仏頂面で答えたが、ちょうどこの時ひとつの疑念が彼の頭に浮かんだ。
(すると備前中納言も……)
実はこの時、康政は大谷吉継の要請を受け宇喜多家の御家騒動の調停に努めていたのである。この宇喜多家の御家騒動も、家康と正信が起こした物ではないか。その疑念が康政の心に根を張り出した。
「で、五大老全てが本領に帰った後、どうするのです?」
「おそらくは帰ってからまもなく、大夫らと治部少輔の遺臣たちが本格的な軍事衝突に突入するであろう。そこに五大老筆頭の名をもって介入する」
「どちらにつくのです?」
「治部少の朝鮮における不公平な裁定と、大夫の治部少殺しをもって喧嘩両成敗にできれば最高だがそれは無理だろう。治部少の遺臣に味方するつもりだ」
「治部少の遺臣に?」
「彼奴らがわしの事を疑っているのは明白だ。しかし、五奉行暗殺の大罪を成した者を成敗すると言う名目の前には誰も逆らえん。仮にわしに刃を向ければ、その瞬間彼奴らは仕舞いだ。そして、以後彼奴らはわしに頭が上がらなくなる」
「しかし、例えば帰国途上で挙兵でもされたらどうなさいます?」
「石田家には島左近がおる。今動けばわしの思う壺である事を察し、しばらくは味方集めに奔走するだろう。しかし治部少は知っての通り平懐者(横柄な男)と評判が悪い。味方をするのは小西摂津、備前中納言、刑部少輔など親しい連中だけだろう。
それに小西軍は遠く九州にいてしかも朝鮮出兵の疲弊がひどく、備前中納言は本国で内部分裂の対処に気を取られる公算が大、刑部少輔は駆け付けるだろうが少数の上に病気が重い。そして大夫らは一万近い兵をすでに集めており、さらに清洲城をすでに固め出しているとの報も飛び込んで来ている。そんな状態で合戦が始まった所で、決着はそうそう付かん。その間に、我らは兵を整える事ができる」
「で、いつ帰国する事に……」
家康と康政の長い会話が終わった事を確認した忠隣が、この場では初めて口を開いた。
「わしは明日にでも他の五大老に帰国を勧める。安芸中納言と会津中納言はすぐ応じるだろう。備前中納言は内心では抵抗があるが宇喜多家の内部情勢があり、また安芸中納言・会津中納言が賛成している事を知ればあきらめるだろう。それに左近が備前中納言に自重を要請している可能性も高いしな。加賀中納言は秀頼の守役である事を理由に抵抗するだろうが、他の五大老が去ってしまってはわしに対抗しきれん。悪くとも二週間はあればわしの勧めを加賀中納言も受け入れよう。わしは加賀中納言が帰国を始めた同日に帰国するつもりだ」
「しかし備前中納言までいなくなると治部少輔の遺臣たちは泣き寝入り同然の状態になり、結果大夫らを増長させ、かつ治部少輔の遺臣たちの大殿様に対する不信を深めてしまうのではないでしょうか」
「大夫は蛮勇の士だ、恐るるに足らん。主計頭は多少面倒だが、あれも暴走した大夫を止められるほどの人物ではない。治部少輔の遺臣は元よりわしを毛ほども信用していないから同じだ」
「なるほど……」
忠隣は感服したようにつぶやいた。やはり、このお方こそ天下を統べるにふさわしい。その思いが、自分の胸を熱くして行く事をはっきりと実感した。
「よいか。わしはもう戦乱には飽きたのよ。応仁の乱から百三十年余り、この国は戦いに明け暮れてきた。もうそろそろ乱世は仕舞いにすべきだ。皆、ついてきてくれるか」
家康のその言葉に、五人は一斉にうなずいた。この方の為なら、命は要らぬ。
(誤算ではあったが、展開としては悪くない。あと三年も生きれば、天下から戦乱を葬る事ができよう)
最初は落ち込んでいた家康であったが、最後には満足そうな顔になっていた。
翌日、家康は四名の五大老と共に伏見城に集まり、四人に一時帰国を勧めた。
「確かに、お説ごもっともでございます。それでは某は帰国させていただきます」
真っ先にそう答えたのは、意外にも宇喜多秀家だった。続いて慌て気味に毛利輝元も賛意を示し、ややあって上杉景勝も口を開き賛意を示した。
慌てたのは利長である。秀頼の守役と言う立場から断固拒否するつもりであったが、残る三人に賛成され辛い立場に立たされた。
特に、秀家があっさりと家康に同意したのは予想外だった。利長は、島左近が秀家に自重を要請した事などは知らない。
(治部少輔と親密な備前中納言がなぜ…)
「そのような重大なことを急に言われても、今宵家臣と諮ってみます」
それだけ言うのがやっとだった。
利長と言う男は、温厚で長者の風はあるが武士としての覇気には乏しい、いわゆる二代目の典型であった。確かに家臣に慕われてはいるが、頼りがいがあると言うよりはこの人を盛り立てたいと思わせると言う向きであった。
(父は何としても徳川に天下を渡してはならぬと仰せになられた……しかし母上は……)
秀吉がまだ生存していた時、利長の父である前田利家と、母であるまつが揉めた事があった。利家は家康の横暴は許しがたく、何があっても家康に天下を渡してはならないと利長に対し気勢を上げていたが、まつはそれに対し利家在世の間はともかく、利長では家康には勝てない、前田を保つには徳川に服属するもやむなしと言い放ったのだ。
利家も「槍の又左」との異名を取った猛将だったが、まつも蓄財ばかりする利家に「金銀に槍を持たせたらどうですか」と強烈な皮肉を言い放ったほどの女性である。二人の言い争いは一歩も引かない激しい物になった。
(父上、申し訳ありませぬ……。今の私では徳川には抗えませぬ)
自分を含む四人が束となるのならともかく、輝元や景勝、あまつさえ秀家まで京を離れられては徳川に抗する事はできない。その晩、一応家康に言った通りに家臣に諮ってみたものの、すでにその心は定まっていたのである。
翌日、利長もまた、帰国を承諾した。それを受け家康も帰国の途に着いた。いや、家康だけではない。景勝も、輝元も、秀家も。要するに、五大老の全てが京と大坂から去って行ったのである。
「本国へ帰ってしまえば後は勝手です」
「兵を整え、機会を待つか。まもなく来たる最後の戦いに備えてな……」
筋書き通りではないが、悪い展開ではない。家康は、正信と共に上機嫌で江戸へと向かった。無論、忠勝や康政、直政も一緒である。
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