五 魂砕け

「この集落もダメみたいです」


「ここもか。これで、ここらあたりは全滅だな」


 山間の狭小地にひっそりと建てられた木造の小屋、十に満たないそれらが立ち並ぶ小さな集落である。今、リャコ達はその小屋の一つに身を潜めていた。と、家主らしき男がリャコ達の正面に座る。


「あ、どうも。お邪魔しておりまして、恐縮です」


「無駄だ。気づいてねぇ」


「それでも、一応……言わないと収まりがつきませんで」


 昨日炊いたと思われる麦粥をかきこんでいく男は、リャコの言葉に一切反応しない。


 宿営地から南へと旅する事三日、こうした集落が増えてきていた。村人の誰に話しかけても上の空、まともな答えなど帰っては来ない。それでも、朝になれば起き出して、畑仕事を始める。日々こなしていた仕事をただなぞるだけ、そこに意志が介在しているようには感じられぬ、死者のような者達。


「言うなれば〝魂の抜けた〟状態……でございましょうか」


「吸血鬼のお家芸だな」


「確かに、わたくし共が操っている場合でも、このような状態になるのですが……、あいにくと、どなたにも噛み跡がありません。ご同輩の仕業とは考えにくいですねぇ」


「あ、ご主人が畑にお出になるみたいです」


 家主らしき男が家を出たのを見送りながら、ブラムドは机に足を放り上げた。


「どう見る、吸血鬼」


「ふむ……。〝蜘蛛〟ですか」


「色々と細かな点は気になりはするが。やはり〝蜘蛛〟が近いだろうな」


「あの、お二人とも。私にも分かるように教えてください」


「〝夜伽の書〟にも種類があるのですよ。力を持つ物語には三十一の機能がある、とされておりまして。世界に数多ある物語の中でも、夜の王の特にお気に入りとされる〝三十七戯曲〟はそれらの機能を司っているとも」


「三十七と三十一で、数が合わないじゃないですか」


「まぁまぁ。それはひとまず置いておきまして。力ある物語は全て〝三十七戯曲〟の類型をなぞったもの。言うなれば眷属、とでも申しましょうか。元となる物語と、さらにはその物語の機能を知っていれば、ある程度〝書〟の持つ力を絞り込めるのです。今、我々が言っていたのは蜘蛛の物語。何かご存じありませんか? 蜘蛛の物語は」


「あれですか、仲間を失った蜘蛛が月に糸をかけてかき鳴らし、その音色で人々を操ったとか、夜ごと宴を開かせたとかいう」


「そうですね。そこから考えられるのは〝音〟でございましょう」


「つまり〝書〟の使い手は何らかの音を使って、村人を操っていると?」


「はい。おそらくそうではないかと考えております。シノノグ家に情報をもたらした男も、若い頃鍛冶場で頭を打ち、耳を遠くしておりました。彼は他の村人が夢遊病者のように山道を行くさなか、正気を取り戻し、逃げ出したとの事で。〝書〟の使い手が音を用いて人々を操っているのだとすれば、耳の悪いその男のみが正気を取り戻したというのも、頷ける話ではございませんか?」


「だが、一つ気になるのは、少々数が多いってことだ。この辺りの村は全滅だ。王都でも貧民街の食い詰めが数十単位で消えている」


「わたくしとお嬢様は東の端から王国を横断して参ったのですが、王都に程近い村でも、この家の主人のように〝魂砕け〟になっている者を見かけました。さすがに、街道沿いの大きな町では見かけませんでしたが……すべて合わせると百近くに上るでしょう」


「いくら〝夜伽の書〟といえど、それ程の数の人間を一度に操れる術者はいねえ」


 リャコは思案した。


「う、う~ん。例えばこういう事ではないでしょうか。操って攫う術者と、意志を奪う術者は別物だと。攫われて行った先で、魂を砕かれて帰って来るのだと」


「なるほど。そのパターンはあり得るな。だが、目的はなんだ? それだけの人数を攫って、腑抜けにして帰すなど」


「しかも、子供は帰さない。王子は子供が攫われる事件、と仰いましたが、この事件の犯人は子供だけではなく大人も攫っております。子供は帰って来ないだけ。チーメイさん達はたまたま幸運だっただけに過ぎない」


「むぅ……。すみません、分かりません……」


「仮に。トルティンボル家……いや、ミルカ様がこの事件の裏で糸を引いているとしよう。真文教サンシールと裏で結んでいるとしよう。それと、杜撰ではあるが隠れて人を攫っている事とどう繋がる?」


「ふむ。真文教サンシールが儀式にでも使うのでしょうか」


「塩の高騰はどう説明する? 陸、つまり塩湖の塩が高くなっているから、お前らの領地の海の塩が、内陸まで届いているんだろう」


「ですからそれは、トルティンボル家が塩の利権を真文教サンシールに売っているのでは」


「理屈にあわねぇな。なぜ塩の利権なんておいしいもんを差し出した上に、やつらの儀式の面倒まで見るんだ? 塩の利権の代わりに、やつらの方が、トルティンボル家の手足のごとく働くってんなら分からねぇでもねぇが」


「ふぅむ、宗教的な理由でしょうか。不浄なる肉体からの解脱、というのをお妃様が信じこまされてしまったとか」


「洗脳か。ありえなくはねぇが……いや、これ以上は考えても無駄だな。これじゃ、訳分からん事項に、これまた訳分からん真文教サンシールとかいう項を代入して、理屈の穴を埋めた気になっているだけだ」


「その通りでございますね。しかし、盗賊ギルドの長でも、真文教サンシールの内実は掴めませんか」


「あいにくな。通り一遍の事は言えるが。西から渡って来た教えで、この国じゃ認められねぇ教義だ。何度か大がかりな討伐があり、ゆえに闇に紛れた。地域柄、塩の闇商いの結社とくっついたり離れたり」


 ポロロン、と、琴の音が三人の耳に届いたのはその時だ。


「お二方、耳を!」


 そう叫んだリンディンゲンは両の人差し指を耳の中程まで突っ込み、鼓膜を破壊。血を滴らせながら、家の外で琴を爪弾いていた男に突進した。


 ガリッという音が窓の内側で見ていたリャコにも届きそうなぐらい、歯で勢いよく爪を剥がす。瞬時の再生。燃え盛る爪は男の持っていた琴の弦を寸断。目深にフードを被った男は慌てた様子で飛びのいた。


「ギギ、何だお前!? きゅ、吸血鬼か!? おっ、お前ら、俺を守れ!」


 急に機敏な動きで、村人達が男を守るように群がる。


「ちっ、あの男。他の村人と同じようにのそのそ出てきたから、気づくのが遅れた。おい、リャコ。ちょっと耳貸せ。マールを倒せるって話は、信じていいんだろうな?」


「は、はい。……もちろん、試合形式でなら、っていう但し書き付きですけど」


「それで充分だ。いいか、よく聞けよ……」


 ブラムドは声を低くし、リャコにそっと耳打ちをした。

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