六 隠れ宮

「お、おいっ! 警ら隊の人達っ! ふぁ、ファングボアだ! ファングボアが迷い込んできたぞっ!?」


「は、早く! 誰か討伐してくれ!」


「あっ、あのっ、待ってください。私です。途中まで皆さんとご一緒した、リャコ・トゥリッリです! この子はウリザネ。もう人は襲わないそうです」


 隠れ宮は難民で溢れかえっていた。四方を切り立つ崖に囲まれた狭小地に、小さな村ほどの木造の家屋が立ち並んでいる。崖の側面にはいくつかの横穴があり、今彼らはその横穴で雨露を凌いでいるようだった。リャコがウリザネの背から声をかけると、幾人かはリャコの顔を覚えていたらしく反応があった。


「お、おお! リャコ隊長か!? なんてこった、あのデカブツを倒すどころか手懐けて帰ってきやがった!」


「逃避行では世話んなったな!」


「俺は見たぜ。その嬢ちゃんが武統祭で〝首打ち鋏〟パーセルを倒したのを」


「本当かよ、そりゃすげえ!」


 囃し立てる民の中で、リャコは声を張り上げた。


「あの、どなたか、王子がどうされているか知りませんか」


 だが、尋ねてみても、みな一様に気まずそうな顔をする。


「俺らは偉い人達の事は分かんねぇからな……」


「ただ、誰か偉い人が担ぎ込まれたって話は、まだ聞いてねぇな」 


「そ、そんな……」


 では、アレイザとマールは王子の救出に失敗したのだろうか。


「おい、ファングボアに乗ってるやつ、もしかして、リャコ! お前か!?」


「ブラムドさん!?」


 人々の奥から声をかけてきたのは、盗賊ギルドの頭、赤髪のブラムドだった。


「おう。王都での事は俺も驚いたが、王都から落ち延びた人を匿うとしたら、ここしかねぇと思ってやってきた。ちょっと前に体中煤と火傷だらけのマールが帰ってきたところだ。今から事情を聴くところだが、お前も来い」


「わっ、分かりました! ……あの、ジャマルさん、ギャビさん、ウリザネをお願いできますか」


「我ら、ゴート様よりお前を助けるよう言付かっておる。やっておこう」


「小人……妖精か!? ファングボアといい、すげぇもん連れてきたな、リャコ」


「色々とありまして……とにかく、マールさんの元へ急ぎましょう」


「あぁ。小人達、そいつは奥の家畜の柵の中に入れておいてくれ」


「心得た」


 ブラムドに案内されたのは、リャコもよく知っている澄明宮の医務室だ。簡素なベッドの上にマールの白い体が横たわっている。小さな室内には見知った顔がいくつかあった。


「お師様! それに、ガロンド隊長」


「やぁ、無事だったね、リャコ。さっきマールから、王都で別れたと聞かされて、心配していたんだよ。その様子だと、元気そうだね」


「はい、お師様。私は大丈夫です。それより、王子は」


「姫さん、無事だったかい。……情けないねぇ、王子を助けに行くなんて言って飛び出して行きながら、このざまだ」


「じゃ、やっぱり王子とは……」


「あぁ。合流できなかった。生きているかどうかだって、わかりゃしない」


「僕が最後に見た時は、まだ息があった。アレイザが腹の上あたりをきつく縛って止血していた。暗殺者の襲撃が一段落した辺りでジェナス師匠が担いでいったが、その後、僕もはぐれてしまった……僕とした事が」


 ――澄明宮に着くまで、リャコは楽観視していた。


 きっと、王子は生きて戻っていると。きっと、王子は王都奪還の作戦を考えているはずと。王子の策があれば、困難はあろうがいずれは王都も奪還できるはず。全て元通りに戻れるはず、と。


 半年、警ら隊で揉まれたと言えど、まだ十代の少女である。悲観的な想像力など知れている。思いもしないような悲劇というのは、人生において容易に起こり得るのだという事を、リャコはまだ知らない。


「だ、大丈夫です! 王子はきっと生きていらっしゃいます。どこかで傷の回復を待っておられるか……、もしかしたら、囚われの身なのかも知れません。けど、絶対に生きています!」


 じわり。王子の死、という考えたくもない恐怖が、リャコの心を侵食しようとしていた。それを吹き飛ばす為、あえて明るい声を出した。重く沈んでいた室内の空気が、少しだけ軽くなったように感じた。


 ブラムドが尋ねる。


「それよりよ、黒い兵士ってのは一体何なんだ? 二万人もの兵士、一体どこから連れてきやがったんだ。仮に王都を奪還するにしても、そこが分からねぇと手出しできんぜ」


「旗印はシュエンだったよ。僕もここまで来るさなか、何度か目にした」


「もう少し踏み込んで話そう。ここにいるやつらは全員、〝書〟について知っているな? 警ら隊では各隊の隊長クラスにのみ、〝書〟の存在が明かされているはず」


「あぁ、あたしゃ知っているよ。今やこのざまだが、これでも二番隊の隊長だ。そこにいるガロンドもよく知っている」


「おう、おれっちも知ってるぜ。〝明賢めいけん〟お前が知りたいのは、何の書だったかという事だろう」


「そのあだ名で呼ぶのはよせ」


「いいじゃない、明賢。君の名はクネヒトの家でもたびたび話題に上がったよ。齢わずか十歳にして、財政の破綻していた村一つ立て直した。そこから先は矢継ぎ早だ」


「うるせぇ。まぁ、好きに呼ぶがいい。今は〝書〟の話だ」


「……おそらく〝太陽〟だと思うがねぇ。あたしが出会った黒いオムシュエット、まるで影みたいだった。強いのもいれば弱いのもいたが、少々脆かったかね」


「まぁ、その線が妥当か」


「〝太陽の書〟って事は、あれですか? 盗賊が集めて回った火が太陽になって、人々を照らしたっていう話の続き。太陽への憧れと嫉妬が、人々の背後に影を生み出したって」


「ああ。俺の知る限り〝太陽〟の物語の他に、影に関する物語はないはず」


「で、でも、ブラムドさん前に言ってたじゃないですか。百近い人数を一度に操れる書の使い手なんていないって……。我々が捕まえたラガクシャさんも、せいぜい二十人操るのが限度だって。ソルグレイグを襲ったのは、二万の兵ですよ!?」


「むろん、二万のうち全てが書によるものではなく、もしかすると、大多数が身内の裏切りかも知れん。王妃が王子を襲ったのも、かねてより計画されていた一環で、王后派の蜂起と同時に王子を弑する計画だったのやも知れん。それはそれで最悪だが……、俺達は、もっと最悪を想定せにゃならん。仮に、忽然と現れた二万の兵が全て、書によって生み出されたものだとしたら……シュエン新帝国の首魁は〝創世の三十七書〟の使い手って事だ」


 ブラムドが声を発した瞬間、その場にいた全員が呻くような声を出した。


「はぁ、なんてこった。三十七書と言ったらあれかね。曰く、世界を蛇で囲った〝龍の書〟だの、曰く、その首を落とした〝騎士の書〟だのの使い手と同じって事かい」


「そりゃまた、途方もないのが相手だなぁ……。僕だって首打ち鋏なんて呼ばれちゃいるが、さすがに世界蛇の首は落とせないもの」


「お、おい。どういうこった? 二万ごとき、フェリカの各地を守る地方軍が全軍で当たれば、撃破は可能だろう。何呻いてんだ、おめえさん方」


「ガロンド、あんた、少しは頭をお使いよ。まぁ、あんたはあの場にいなかったから分からないのも無理はないが。あの二万は本当に、煙のように現れた。あたしがちっと警らに出て帰ってきたら、もう町中にうじゃうじゃとね。フェリカの全軍を王都に集結させるのに、何日かかるよ。歩かせて連れてくるだけでも一か月どこの騒ぎじゃない。その間、飯も食わせにゃならん。そうやって時間と金を膨大に使って、ようやく相対する事ができたとするよ。やつら、煙のようにぱっと消えちまうかも知れない。それどころか、背後にいきなり出てくるかも。あたしゃまだ、大半が王后派の裏切りだって方が、対処のしようがあるように思えるね」


「む、むぅ……」


 固まってしまったガロンドを見て、リャコはおずおずと手を挙げた。


「あ、あの……そういえば私も、〝盗人の書〟というのをもらってきたんですけど」


「は?」


 皆の視線が一斉にリャコへと向けられた。


「おや、僕の弟子は疲れているのかな。妄言を口走るようになってしまった」


「お師様、ひどいです」


「な……、おま……、そ、……マール! 周りに誰かいるか!? くれ!」


 打ち上げられた魚のように口をぱくぱくさせていたブラムドが、慌てた様子でマールの方へと向き直った。


「お待ちよ。皆、少し静かにおし。……一、二、三、四……。大丈夫、心音は四つだ。あたしらの他に、周りにゃ誰もいない」


「盗賊の中にゃ、仮死を使い分けて心音を消せるやつもいるが……。ひとまず、安心と見ていいだろう。……それより、おい、リャコ。馬鹿か、お前は!? もし、お前が三十七戯曲の読み手になったのだとしたら、事は国家レベルの重要機密だぞ」


「あはは。何をまさか。うちの弟子お得意の、空想じゃないの」


「いや……さっきの小人共。あれは昼門の一族だな? やつらは種として三十七戯曲の読み手に付き従うという命を帯びていると聞いた事がある。あの蝙蝠の羽、自分らは夜の王の使いだと信じているんだ、あいつらは」


「は、はい。あの二人に、桃源というところへ連れて行ってもらいまして」


「……何か、証明できるものは見せられるか」


「分かりました」


 ゴートの元を発つ間際、最低限の事は呆れながらに教えてもらった。どの道、聞かれても大した事は教えられないと言っていたので、本当に基本的な事だけだが。


「かけまくもかしこき、かまそ……、ことのあめの、かまそそのおおかみ……」


 リャコが祝詞を唱えると、手のひらに八重桃が花開く。全員固まった。

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