魂喰らいの章

一 光と影

「来たかい、リャコ隊長」


「お、遅くなりまして!」


 クルーグに乗せられて王国軍の演習場に着いてから、三日が過ぎていた。


 とは言ってもリャコは到着と同時、極度の疲労の為か、はたまた安堵の為か、ぐっすりと眠りこけてしまったらしく、主観的にはまだ翌日のように思える。


 目が覚めたのはつい先程。国軍とは別に、王子の警護の任を担当していた一番隊の面々に、もう三日が過ぎていることを知らされた時には血の気が引いた。


「いや、構わない。随分疲れていたんだろう。起きたら来るように、とは伝えたけれど、体が慣れてからで良かったのに。余程急いでいたようだね?」


「えっ!? あっ、これは……」


 今回の遠征は大規模な軍事演習の為、生活用水として近くに川のある場所が選ばれていた。目が覚めて伝言を聞かされ、大急ぎで水浴びをしてきたのだった。何度も布に吸わせたはずだが、まだ髪が湿っている。


「既に他の隊員から聞いているかも知れないが、チーメイの病、まずは峠を越えたそうだ。後は投薬を続ければ、徐々に毒も抜けてゆくだろう」


「ほっ、本当ですか!? 良かったぁ……」


「さっき、伝令に行かせたマールが帰って来た。リャコ隊長、先に支援の要請を下山させていただろう? お手柄だったね。おかげで仕度がスムーズに済んだ。一卒、マルドロ村に向かわせて、犯罪に加担したとみられる村長の身柄を確保出来た。彼は王都で裁判にかけられる事になる」


「それは重畳にございます」


「それで……すまないんだが一つ、リャコ隊長に残念なお知らせがある」


「な、なんです……?」


 王子が言いにくそうに言葉を切るので、つい身を乗り出してしまう。


「例のファングボア、クルーグに持ち帰らせて皆で分けたんだが……リャコ隊長の分は残らなかった」


「えっ……。ええーっ……」


 予想だにしなかった内容だが、考えてみれば当たり前の話で、食い盛りの兵士達の演習中にあんな大きな獣が狩れたなら、それは皆の胃の腑に収まる運命だ。


 そう思いはするものの、肉の味を思って口内に涎が湧く。と、その涎がきっかけで、さっきの自分はなかなかに物欲しそうだったのではないかと、ちらと王子の顔を仰ぎ見る。


「マルドロ村に残っていた三番隊には、一卒と入れ替わりで、峠の子供達の保護に向かってもらった。なるべく親元に返してあげたいが、見つからない子は〝避暑地〟での受け入れも考えている」


 王子の言う〝避暑地〟とは、警ら隊の間で、隠れ宮たる澄明宮を呼ぶ際に使われる符牒だった。その場に、澄明宮の存在自体を伏せておきたい相手がいる際は、この呼び方がなされる手筈になっている。――そう、今、王子の天幕には王子とリャコの他にもう一人の影があった。


「よう、若。符牒なんて使わなくたっていいぜ。俺は今でも、お前の警ら隊の、隊員のつもりでいるんだからな」


「あの、えと、初めまして……ですよね」


 短く刈った赤髪。尊大そうに胸を張る彼は誰だろうかと王子を見ると、王子が苦笑しながら教えてくれた。


「彼はブラムド。王家以外で数少ない……〝書〟の存在を知る者だ」


「お前がリャコだな。初めまして。……ふむ、若のお気に入りだって聞いて、気になっていたんだが。その割には、色気がねぇな!」


 ぐいと真上から、髪をぐしぐしかき乱される。


「し、失敬な! 何ですか、あなた。初対面の相手に、いきなり!」


 手を払うと、意外そうな顔をされた。


「おっと。大人しそうな見た目のわりに、負けん気が強い」


「やめなよ、ブラムド。彼女はお人好しそうに見えて、初対面の僕の前で死んで見せようとした子だからね。意地を通す為なら、本気で命を懸けてもいいと思っているぐらいの負けず嫌いだ。それに、正面切っての試合なら、槍を持ったマールでも敵わないぐらいには使う」


「マールを? へぇ、そりゃ面白れぇ。おい、若。こいつ、俺にくれよ。若の求婚は断られたんだろう? 俺も下のモンから、さっさと身を固めろってせっつかれていてよ」


「僕が決める事じゃない。本当に彼女を娶りたいなら、本人に直接求愛するといい」


「ちょ、ちょっと、王子!」


「よぉ。お前の親父の話は聞いたぜ、気の毒によ。お前の親父の場合、ちと事情が込み合っているようだから、盗賊ギルドでもうかつに手は出せねぇ。若の言う通り、身内が武統祭で勝つのが一番だと思うぜ。武統祭は開闢王の遺言から始まった伝統だからな。軽視すりゃ王家の権威が揺らぐから、勝利を突き付けてしまえば無視は出来ねぇはずだ。がんばんな」


「えっ……?」


 事情とは一体何の事なのだろう。父の話をされ、怒りより疑問が勝った。と、リャコの困惑の視線を勘違いしたのか、王子がブラムドの紹介を続ける。


「彼は僕と同門……帝王学の師が同じでね。一緒に育ったんだ。グリネイル公爵領の改革もほとんどが彼の手によるものだ。本来なら今でも、グリネイル公の法定推定相続人として腕を振るっていたんだろうが、残念な事に……」


「そう。俺は、若も舌を巻くほど優秀だったんだが、残念な事に……次男だったのさ!」


「彼の兄上は幼い頃から病弱でね。為に、彼は次期領主と目され、教育も施されていた。実務にも手を出して、しかも成功を収めていた。けれど、七年ほど前……、彼の兄上が突然、健康になってしまったんだよ。それで行くあてを失くし、ほんの短い間だったが警ら隊にも在籍していた」


「まぁ、俺は兄貴が元気になってくれて良かったと思ってるよ。お陰で俺も、今の仲間と出会えた。巡り合わせってやつさ」


「仲間ですか?」


「ああ。彼は今、フェリカの盗賊ギルドを束ねる、長の地位にいる」


「ひ、ひえ」


 思わず後退る、と、王子が留めた。


「そんなに怖がらなくてもいい。僕が最も信頼する友人の一人だ」


「何かあったんですか?」


「逆だな。何もなかったんだ。……彼は兄上を殺さなかった。彼ならいくらでもやりようがあったろうに。だから、信頼している」


「へへ。まぁ、俺の流儀に合わなかったってだけの話さ。っつか、俺は、若のそういう殺伐とした考え方はどうにかするべきだと思うぜ。俺の立場なら殺すのが普通で、殺さなかったから信頼出来る、って事だろ?」


「実行した者を、たくさん見て来ているからね」


「フェリカの影の部分を担う盗賊ギルドの長より、光であるべき王子の方がえげつねぇのも、どうかと思うが。昔はもっと、おっとりしたやつだったんだがなぁ」


「色々あったのさ。君にだって、色々あるようにね」


「ま、違いねぇか」


 今、この天幕にはフェリカの光と影のトップが揃っている。そう思うと、リャコは緊張ですくみ上った。


「それで? わざわざ俺を呼び寄せたのは一体どういったわけだ? この嬢ちゃんにも関係ある事なんだろう?」


「僕としては、まさか君本人が出向いてくるとは思っていなかったんだが。手の者を借りられるだけで、構わなかったのだけれどね」


「おいおい、王子様直々に盗賊ギルドに依頼を出したんだぞ。こんな面白そうな話、黙っていられるか」


「まぁ、いい。君が来てくれたなら、すぐに解決するだろう。……近頃、この辺りで子供ばかりが攫われる事件が起きているらしい。そこのリャコ隊長が子供達を救い出してくれたおかげで、事件の一端が垣間見えてきた」


「子供だって? 解せねぇな。この辺りにゃ……」


 と、ハッとしたように言葉を止めるブラムド。


「気づいたかい? この辺りは真文教サンシールの影響が強い。彼らの儀式には、供物として子供を捧げる、というものがある」


「不浄なる体からの解脱ってやつか。自分らだけ、とっとと解脱すりゃいいのによ。……つか、それでもおかしい。供物ったって、一人か二人でいいだろう。だが、若のさっきの口ぶりじゃ、そんなもんじゃねえんだろう?」


「あぁ。今回救われたのは三十人ほど。証言してくれた少女の話では、もっと大勢が捕まっていたという事だ」


「やつら、何を企んでいやがる」


「近々、これまでより大きな儀式でもあるのかも知れない」


「それを、調べてこいってんだな?」


「いや。それもあるのだが……もう一つ。僕のはとこ殿が、今こちらに向かっているらしい。彼女が僕に用事といったら、おのずと限られてくる」


「は、はとこって、フェリシアかよ!?」


「あぁ。国境近くで演習に励む兵士達の〝慰問〟に来るそうだよ。もっとも、僕の見立てでは彼女の用事はおそらく……」


「お、おい! お前、何だってそんな平然としてられやがるんだ!?」


「有名な方なのですか?」


「有名っちゃ有名だが。フェリシアの生家、シノノグ公爵家っつったら、東岸一帯を領有する王国の重鎮だからな」


「彼女もご苦労な事だ。東岸からこんな西の果てまで、慰問に来るなど」


「そこじゃねえだろう! フェリシアって言ったら、お前の……元妻じゃねえか!」


「えっ?!」


 えええええ~っ、と思わず叫び出しそうになるのを、リャコは懸命にこらえた。だが、その脳裏には、それからしばらく疑問符が飛び交い続けていた。

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