二 公爵令嬢

 続々と野営地に荷馬車が到着し、リャコは開いた口が塞がらない。これが全て兵士達への慰問の品だそうだ。後続に道を譲るように停車した、唯一外装の豪勢な馬車から、くるんと髪を巻いた長身の男性が降り立って王子に優雅にお辞儀をする。


「これはこれは殿下自らお出迎えとは、幸甚に存じ奉ります」


「久しいね、リンディンゲン。かつらを変えたのかい?」


「さすが、お気づきですか。こちら、ミグリスの最新モードとなっておりまして。カールを、これこのように、二つ巻いて重ねるのが〝イケてる〟のでございます」


 リンディンゲンと呼ばれた慇懃な男、見目形は王子に勝るとも劣らない美形なのだが……、彼のかつらはリャコの目に少し奇妙に映る。


「よく似合っているよ。その様子じゃ、ミグリス連邦との交易は順調のようだね。あちらの様子はどうだい」


「特段、変わりはなく。あちらはご長老方が未だにご権勢を振るっておられるようでして。わたくしのようなはみ出し者は、ご機嫌を損ねぬよう日々身の細る思いでございます」


「長老方が締めつけを厳しくしてくれているのは僕にとっては良いニュースだ。あの方々には領土に対する野心はないから」


「ですがもう少し、新しい価値観に対しても寛容であられればとは思いますが」


「それは難しかろう。彼ら、君の何倍生きているんだ?」


「さて、数える気にもなれません。……ああ、こちらの荷馬車、後で目録をお渡しいたしますが、兵士の皆様に食べていただければと持参いたしました。わたくしのイチオシは甘味でございます。麦の飴に果実の搾り汁で香りづけをしたもので、今領内では飛ぶように売れておりまして」


「評判は聞いているよ。僕もまだ食べた事はない。楽しみだ」


「酒樽も少々積んで参りましたが……さすがにいくつかは酢になっておるやも知れません。その際はお手数ですが、打ち捨てて下さいますれば」


「いや……もちろん兵に行き渡るのが第一だが、余りは近隣の村々にも配って回る事にしよう。酢も、そのままじゃ飲めないが、料理には使えるだろう」


「なるほど。さすがは殿下、慈しみ深きお考え。では、御者を引き受けていただいた行商人の皆さんには、帰りに村々に寄ってもらうよういたしましょう」


「それで、僕のはとこ殿はどちらに?」


 王子が馬車の中を窺う。と、その言葉につられるかのように出てきたのは、彫像のような美貌の少女だった。


 だが、少女はせっかくの美貌を覆い隠すかのように前髪を下ろしており、最近大きな都市で出回っているといわれる高級品〝眼鏡〟をかけている為、少し首をかしげるだけでもせっかくの美貌が隠れてしまう。


 にもかかわらず、動くたび揺れる前髪から覗く、眼鏡の上の眉一つとっても、美しい稜線を描いている事がリャコの位置からでも見て取れた。と、


「お前まだそんな、にへらにへらと気味の悪い笑い方をしているのか」


「久しぶりだね、フェリシア。この笑い方は僕の性癖だから。なかなか変えられるものじゃない」


 一瞬誰の言葉かと思ったが、王子に向かってずげずけと悪態をついたのは、まごうことなく今手を引かれて馬車を降りてきた、フェリシア嬢その人である。美貌と悪態のミスマッチに、リャコはめまいがする思いだ。


「とりあえず、出迎えを忘れなかった事は、幸甚に存じてやる」


「苦しゅうない、とでも言った方がいいかな? 紹介する。君達の警護や身の回りの世話を担当する、警ら隊のリャコ隊長だ。交代要員については、都度、紹介を受けてくれ」


「警ら隊なんておもちゃ、とっくに放り投げたと思っていたよ」


「立場上、命を狙われる事も多いからね。そうもいかない。ああ、そうだ。リャコ隊長は君と同じ、読書好きだよ。話が合うんじゃないかな」


「へえ。読書なんて内向きな趣味のくせに、警護なんて肉体労働が務まるのか? 夜、魔物が入って来た時、きゃあきゃあ騒ぐだけの無能なら、リンディンゲンの邪魔になるだけだからいらないんだが」


「しゅ、趣味とお仕事は関係ありません!」


「ふぅん。動けるっていうなら、何か見せてみなさい」


 いきなりの無茶ぶり。リャコは一つ咳払いをした。


「そ、それでは一差し。失礼して」


 圏を構え、普段から日課にしている演武の一幕を舞う。こんなものでいいのだろうか。不安に思っていたら、鋭い声が耳を打った。


「リンディンゲン」


「はっ」


 礫だ。


 速さゆえか、リンディンゲンの動きがまったく見えなかった。


 額を狙っている、という、それは直感にも似た一瞬の判断だった。隣には王子がいるし、フェリシア嬢の方へ打ち返すわけにもいかない。くるんと体をひねり、リャコは礫を真下へと叩きつける。


 衝撃。


 スピードが乗っていたのか、弾いたと同時、圏を持つ手が少し緩んだ。だが礫は周りの誰を傷つける事もなく、そのまま地面にめり込んだ。リャコは気づかれぬよう、そっと圏を握り直す。


「見ただけじゃわからないな。どうなの、リンディンゲン?」


「なかなかの腕とお見受けしますが。この若さで隊長と呼ばれている事にも、納得のいく動きでございますね。今しがたの反応も良うございました。これはわたくしの勘でございますが、〝首打ち鋏〟パーセル様と同門か、もしくはご本人に直接手ほどきを受けておられるのではありますまいか。どうも、先だってお手合わせいただいた際の彼の動きと、類似する点が見受けられますゆえ」


「さ、さすが! パーセル様は今の私のお師様です。ご指導いただけるよう、王子が口を利いてくださいまして」


「やはり。また久しぶりに、一手お手合わせ願いたいものです」


「そんなに強いのに読書が趣味だって? ……へえ。私、あなたの事、嫌いだわ。はつらつと元気で、悩みの無さそうな顔をして。そういう女が読書が趣味です、なんて言ってるのを見ると虫唾が走る。読書なんて、軽く体を動かすだけでも息が上がってしまうような、私達みたいな人間の為のものだろう」


 そんなふうに考える人がいるなどと、思ってもみなかった。だが、何としても承服できかねる。相手が公爵令嬢だという事も一時忘れ、リャコは声を荒らげた。


「そっ、そんなはずありませんっ! 体を動かすのが好きでも、本が、物語が好きでいいはずです!」


「見解の相違だな。まぁ、仲良くはなれないだろうが、能力はリンディンゲンの邪魔にはならないそうだから、護衛はさせてやる。精々励んでくれ」


 リャコにもまだ言い分はあったが、王子が割り込んだ。


「それで? 今日は何の用で来たんだい? まさか、僕の顔を見に来たというわけでもあるまい」


「慰問だ、と伝えたはずだか? とまぁ、あんたに伝えたい事があって来たんだから、隠しても仕方がないが。〝グロズヌイの本人稿〟がこの辺りの好事家の元に流れ着いたと、情報があってね。コレクションしていたんじゃなかったか?」


 ――符牒だ。リャコは固まった。


「僕がグロズヌイのファンだって事、よく覚えていたね。しかし、こちらの耳にはまったく入っていないのに、こんな僻地の情報がよく、東の端の君のところまで届いたものだ」


「感謝しろよ? 気づいてないだろうと思って、わざわざ来てやったんだ。……ま、白状すると、少し前から情報は掴んでいたんだ。あんたに恩を売る為に、他に漏れないよう工作していた」


 すると王子は「ふむ」と息をついて、少し考え事をするような仕草をした。


「ミグリス……いや、オートメルヒ辺りでどうだろう」


「悪くない。だが、実家から近すぎるな。南は?」


「〝摩天林〟のさらに南となると、僕にも伝手がない」


「なら仕方がない。オートメルヒで手を打とう」


「詳しい話はここでは難しかろう。リンディンゲン、後で僕の天幕に来てくれ。リャコ隊長、それまで彼女の警護をよろしくお願いするよ」


「か、かしこまりまして」

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