四 樽お化け
「ど、どうしましょう! 逃げましょうか!? 証言を信じるならば、追っては来ないはずです!」
「待て! どれほどのもんか、少し確かめさせろ」
ティルヒムが駆けだした。彼が今日持参した獲物は、二本の硬鞭である。肘から先ほどの長さの金属製の棒で、細かく一定の感覚で出っ張った節目があり、破壊力が増すように作られている。
「わ、私も援護します!」
「……手伝うのはいいが、助けねえぞ」
「大丈夫です! それにティルヒムさん、今日の武器、いつもお持ちのやつと違うじゃないですか」
「獲物を変えたぐらいであんなノロそうなやつに遅れを取るかよ……うおっと!」
樽の巨人が長い腕を伸ばして、二人の間に振り下ろしてきた。
「参ったな、かなり分厚いぞ」
「えっ、今のをかわしざまに、もう一撃入れたんですか?!」
リャコが驚いていると、マールが悲鳴を上げた。
「それよりあんたたち、やつの鳴き声をどうにかしてくれるかい! さっきからきゃんきゃんきゃんきゃん、癇に障るったらありゃしない」
「そんなモン聞こえんぞ、鳥公!」
「なんだって? まったく羽根無しはこれだから。ティルヒムの力で傷がつかないんなら、あたしゃ用無しだ。離れて見ているから逃げる時は呼んどくれ」
「あんの野郎。高みの見物を決め込みやがった。おい、隊長! 隙を作れるか!」
「や、やってみます!」
「行ったぞ、右だ! 下からかち上げろ!」
「はい!」
リャコはぐるんと体をひねり、全体重をかけて自分へと迫りくる長い腕の軌道を逸らした。瞬間、ティルヒムが逆側面に回り込む。
「これでも食らいやがれ!」
重い破砕音。これでダメージが通らなければ、逃げるしかない。
「……ど、どうでした!?」
「一応、攻撃は通るみてえだな。殻はなんとか割れる。だが、両腕で全力を込めてやっとだ。ガロンド隊長でもいりゃあ、話は別なんだろうが」
以前、リャコが王子に初めて対面した際、隠れ宮までの道のりを案内してくれた偉丈夫がガロンドである。リャコはただの案内係だと思っていたが、後に聞くと彼こそが王子私設の警ら隊、一番隊隊長だとの事であった。有事にあたってはその剛腕で、あらゆる者をなぎ倒すというから、確かに彼がいれば心強いだろう。
「攻城器などは使えないでしょうか」
「あぁ。ガロンド隊長が来れねえようなら、それも手だな。狭い場所に追い込み、破城槌でぶっ叩きゃ、どうにかなるかも知れねえ」
「でも、何と言いますか……あれだけ重い音がしたのに、悲鳴の一つも上げずにひたすら腕を振り回してくるの、ちょっと怖いですね」
そうこう言っている間にも、不格好に樽を繋ぎ合わせて作られたかのような長い腕がリャコとティルヒムの間に振り下ろされる。
「引き上げて、対策を練ってから出直した方がいいかも知れんな。さっきみてえな全力の一撃、そう何度も使えるもんじゃねえ。しかも、どうやら効果も薄そうだときてやがる。一向に、動きが鈍る気配がねえ」
「ま、待ってください。なら、
「……俺に隙を作れというのか」
「あ、出来ませんか?」
「ちっ! なめやがって」
隊長としては、引き上げた方がいいのは分かっている。だが、どうしても抑えきれない武芸者としての好奇心が、その選択を妨げていた。
リャコが率いている三番隊は警ら隊の中でもろくに武芸の稽古をした事もないまま育ったような若手ばかり。同行者が腕に信頼の置ける先輩隊員二人だけという解放感も手伝い、少しばかり気が大きくなっていた。
「いいか、やつの攻撃、一度だけなら止めてやる! 必ず決めろ!」
「はい!」
擒拿、すなわち関節技は、リャコの得意とする分野であった。自分より倍近くも大きい隊員との模擬戦でも、一度も破られた事はない。樽の巨人も、形態そのものは人に近い。ならば、極められるはず。
「隊長、今だ! ――おぉおおおぉっ!」
凄まじい音がして、遥か高みから振り下ろされる巨人の一撃をティルヒムが真っ向から受け止めた。地を削り、後退するも、勢いを完全に殺しきる。
「つ、掴んだ!」
その隙を見てリャコは巨人の肘のあたりに飛びついた。上半身は二の腕、下半身は肘から先をがっちりと掴み、全霊を込めてぎりぎりと締め上げる。しかし、
「え、あれれ? うわあっ」
巨人の腕が、本来ありうべからざる方向に曲がった。
「叩きつけられるぞ! 腕をよじ登れ!」
「わわっ、ちょっ」
言われるままに、がむしゃらに巨人の腕をよじ登る。巨人の肩に手をかけた時、リャコの耳は小さな声のような音を拾った。
「……はかえさな……」
「えっ?」
それは蚊の鳴くような、かすかな声だった。
「いつまで捕まってやがる! 後ろだ!」
「きゃっ」
ティルヒムの声に、慌てて巨人の肩から跳び下りる。あわやというところで、もう片方の腕がリャコの捕まっていた肩辺りを激しく
「どうする? 引き上げるか!? 貴様が隊長だ、今すぐ決めろ!」
「あのっ、マールさん! マールさんはどこに!?」
辺りを見回すと、少し後方の崖の斜面から生えた枯れ木の上で、マールは優雅に羽を繕っていた。
「あたしゃここだよ。一通り試して、満足したかね?」
「マールさんっ、あの化け物、何か喋っていませんか!?」
「なんだい、さっきから言ってるだろう。きゃんきゃんきゃんきゃん、耳障りだったらありゃしないって」
「いえ、そうではなくて……あの化け物、フェリカ語を喋ってはいませんか?」
「なんだって? ちょいとお待ち。……あー、ぞわぞわするね、あの声は。聞き取りにくいが……ああ、本当だ。確かに、人の言葉のようなものを話しているねえ。子供達がどうのと」
「おいおい。じゃあ、化け物は子連れの獣って説がまさかの正解かよ?」
「とにかく、今大事なのは言葉が通じるって事です! なら、説得だって出来るかも知れません!」
リャコは再び巨人の元まで駆け寄ると、巨人の攻撃をかいくぐりながら声を張り上げた。
「おやめなさい! 私達に、あなたの子を奪うつもりはありません!」
「あぁ、なんだって? ええと、信じられない、自分の子じゃない、お前達は酷いやつ、とかなんとかそんな事を言ってるねえ」
「本当です! 私達はただ、ここを通らせてほしいだけです!」
「おい、危ねえぞ! せめて武器は構えておけ!」
「いえ! 武器を構えて説得なんて、そんなの恫喝と変わらないじゃないですか!」
「ちっ……! おい、化け物! 武器を持っている俺の方が危ねえだろう。狙うなら隊長より先に、俺を狙いな!」
ティルヒムの言葉に、樽の巨人が躊躇うような仕草を見せた。
「なになに、悪……いやつじゃないのか、でもお前達は子供達を……ああ! そういう事か! どうりで聞き取りにくいと思ったら。声が中で反響してるんだ。ねえ、あんた! まずは樽から出ておいで! 樽の中にいるせいで、あんたの声が姫さん達に、聞こえてないんだよ!」
すると、樽の魔物はビタッとその動きを止め……胴のあたりの樽がぱかっと上下に開いた。リャコが目を白黒させている間に、中から出てきたのは……、
「たぬ、き……?」
リャコの間の抜けた声が峠に響いた。
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